可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 木下理子個展『Human Humor』

展覧会『木下理子「Human Humor」』を鑑賞しての備忘録
児玉画廊にて、2022年6月4日~7月9日。

木下理子の個展。

展示の冒頭には2点の"atlas"を冠した作品が掲げられている。1点は縦に3本・横に2本の針金を骨組みとして黄色のネットに取り付け、その表面全体に白いポリマー・クレイを散らした《atlas #1》(500mm×450mm)。もう1点は、波打つように捻った針金を縫い付けた銀色(灰色?)の網の中央に長方形状に白いポリマークレイを塗り付けた《atlas #2》(500mm×450mm)である。

 ゲラルドゥス・メルカトルは82歳で没したが、その5ヶ月後の1595年春、ヨーロッパの辞書にメルカトルが浸かった「アトラス」(地図帳)とう新しい言葉が加えられた。彼が思い描くアトラスは、西洋人にとってなじみのある神話の巨人(両肩で世界をかつぐ筋肉隆々の大男)ではなく、ひげを生やした博識な数学者であり哲学者であった――ゆったりとした赤紫色のローブをまとって、バスケットボールほどの大きさの天球儀に向かい、コンパスでさまざまな場所を計測している。少なくとも『メルカトルのアトラス(地図帳)』の表紙に描かれたのはそんな姿だ。この地図帳には36,000語からなる天地創造に関する論述と、数編のラテン語の詩、そして107の地図が収録されている。
 これは生涯にわたる彼の情熱の集大成であった。もしあなたが当時、5巻組のこの重厚な書物を見ることができたなら、これまでで最も正確で完全な世界地図に目を見張ったことだろう。器用に手彩色され、画期的なメルカトル投影法を駆使して、私たちの世界が優美に平面化されていた。(サイモン・ガーフィールド〔黒川由美〕『ヒストリカルスタディーズ12 オン・ザ・マップ 地図と人類の物語』太田出版/2014年/p.130)

《atlas #1》と《atlas #2》とは網を支持体とした作品である。網目は経緯線であり、あるいは世界中に張り巡らされた、文字通りの通信ネットワークと解することもできる。

 地図帳がアトラスと呼ばれるようになった由来については、ふたとおりの説があるという。ひとつは世界で初めて地球儀を作ったとされる、マウレタニア王アトラスに因むというもの。もうひとつはギリシア神話の虚字にアトラスに因むというもの。地球儀を手に世界を見下ろすアトラス王の像は、ゲラルドゥス・メルカトルによる有名な地図帳の扉絵にも描かれている。他方、天空を支える巨人アトラスは、地球儀を背負い苦悶の表情を浮かべる像として描かれることが多い。たまたま名前が同一であるため、混同されてしまったという。両者はしかし、ひとつの事態を別の側面から表わしたものと見做すこともできる。ますます稠密にひとつに結びついた世界は、ある者にとっては外側から誇らしげに眺めるトロフィーとなる。だが別の者にとってはその重みに耐えかね、打ちひしがれる苦痛の源でしかない。ここに今日グローバリズムと呼ばれる市場経済の網が我々にもたらした、分断の寓意を見るのは穿ちすぎだろうか。(樺山三英「アトラスの双貌」『ユリイカ』第52巻第7号(2020年6月号)p.268)

本展には、《short hair #3》、《soft hair #4》、《curtain #35》、《grit and dust #7》、《humor #1》、《lowlander #3》といった、藍染めを連想させるようなサイアノタイプの平面作品が出展されている。サイアノタイプは、薬品を塗布した紙に被写体を置き、光に当てたときの明暗を青色の濃淡として定着させる技法である。立体的なモノを紙の平面に投影している点では、地図に等しい。翻って、《atlas #1》は、平面の網に針金を通すことで凹凸を積極的に生み出している。3次元のアトラスは、あるいは4次元を投影したものであるのかもしれない。実際、ステンレス製の輪12個をステンレス製の線4本でXの形に繋いだ作品には《lapse》という時間を意味するタイトルが付けられている。

 クラインの瓶が、四次元空間では自分自身と交差せず、三次元空間では交差するのはなぜかを理解するには、もうひとつの方法がある。風車が三次元と二次元でどう見えるかを考えて見るのだ。三次元では、垂直方向に立つ塔の全面で、羽根車が回転しているのが見える。しかし、風車の陰が草原に落ちているのを見れば、羽根車と塔の関係は違ってくる。影は、三次元の風車を二次元に投影したものだ。二次元では、羽根車は何度も何度も、塔を通過していくように見える。つまり羽根車は、二次元レベルの射影では塔と交差するが、三次元の世界の中では交差しないのだ。(サイモン・シン青木薫〕『数学者たちの楽園 「ザ・シンプソンズ」を作った天才たち』新潮社〔新潮文庫〕/2021年/p.392-393)

「クラインの瓶」はドイツの数学者フェリックス・クラインの発案だが、本人は
瓶(Flasche)ではなく面(Fläche)としたものが誤って定着したものらしい(サイモン・シン青木薫〕『数学者たちの楽園 「ザ・シンプソンズ」を作った天才たち』新潮社〔新潮文庫〕/2021年/p.394参照)。「クラインの瓶」における混同は、アトラスの由来についての混同を想起させるのみならず、瓶から面という投影という点でも地図を連想させる。

アルミ箔を細い板状にしたもので、高さ4~5メートルはある3体の巨大な棒人間を成形し壁に設置した《lowlander》が圧巻である。なぜ"lowlander"と題されているのかは謎である。エディンバラ出身、すなわちローランダー(lowlander)であるロバート・スティーヴンソン(Robert Stevenson)は『宝島』で知られる。

 小説『宝島』は、海賊行為やオウム、義足、ラム酒……といった小道具に私達が抱く一般的なイメージを作りあげた。収録された宝の地図はこの物語の筋を生みだしただけでなく、誰もが思い浮かべる宝の地図の原型ともなった。紙はぼろぼろで、端が丸くめくれあがり、茶色く変色している。そこに書き込まれた情報は不十分で、読み手にとって親切とは言いがたく、財宝への道順は判然としないのだが、それでも人を一世一代の冒険に出たいと思わせるに余りあるものだった。。(サイモン・ガーフィールド〔黒川由美〕『ヒストリカルスタディーズ12 オン・ザ・マップ 地図と人類の物語』太田出版/2014年/p.231)

光(紫外線)によって変色した作品、最小限のモティーフによって表わされた作品は、恰も「宝の地図」のように、鑑賞者にあらゆる想像を求めて止まない。