可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『わたしは最悪。』

映画『わたしは最悪。』を鑑賞しての備忘録
2021年製作のノルウェー・フランス・スウェーデンデンマーク合作映画。
128分。
監督は、ヨアキム・トリアー(Joachim Trier)。
脚本は、エスキル・フォクト(Eskil Vogt)とヨアキム・トリアー(Joachim Trier)。
撮影は、キャスパー・タクセン(Kasper Tuxen)。
美術は、ローゲル・ローセンベリ(Roger Rosenberg)。
衣装は、エレン・ダーリ・イステヘーデ(Ellen Dæhli Ystehede)。
編集は、オリビエ・ブッゲ・クエット(Olivier Bugge Coutté)。
音楽は、オーラ・フロッタム(Ola Fløttum)。
原題は、"Verdens verste menneske"。

 

ユリア(Renate Reinsve)が、高台にある街を見渡せるテラスで、1人煙草を吸っている。
医学部生のユリアが大教室で講義を受けている。ユリアは自分が情けなかった。昔なら簡単だった。未だ優秀な学生の1人であったが、中断、更新、連絡、解決できない地球規模の問題が多すぎた。心を苛む不安を感じても、知識の詰め込みやネットへの没頭で何とか抑え込んできた。それは間違いだった。そんなのは彼女ではなかった。医学を志したのは、入学が一番難しかったから。彼女の優れた成績は、事実、大した物だった。しかし、彼女は急に閃いた。彼女の興味はずっと人間にあった。身体ではなく、精神にあった。外科手術は実際に形あるもの。大工仕事と言っても差し支えない。
手術室で、他の学生から少し離れた位置で、ユリアは外科手術を見学する。
私の興味はずっと心の中で起こっていること、思考と感情にある。解剖学なんかじゃない。心理学で幸せになれるなら、そうしなさいよ。とっても勇気があるわ。母は娘の進路変更を受け容れる。私はもう耐えられない。我慢したくない。彼女は医学部生の恋人(Jonathan Nielssen)を捨てた。彼は打ちのめされたが、彼女が思い通りに生きるのを尊重しないわけにはいかなかった。
心理学部生のユリアが大教室で講義を受けている。周囲の学生を見渡した。ノルウェーの将来の臨床心理士たち。たいていは境界性摂食障害の女の子たち。ユリアは模範的な学生の役割に未だに囚われているのを感じた。結局は詰め込み式の学習。人生はいつ始まることになっていたのか。例えば、パーティー会場にいるとしよう。教授(Martin Gran)がユリアに名前を尋ねる。ユリアです。例えば、ユリアと私がパーティー会場であったとして、お互いに魅力を感じたとするよ。仮定の話だよ。ユリアは教授と関係を結ぶ。
実際、彼女は視覚的な人だった。
今なら分かる。写真家になりたい。写真家になりたいって? 分かったわ。真剣なら。安全装置はないけど、躊躇う必要もないわ。援助が必要? 母親は娘の進路変更を受け容れる。ユリアは学生ローンをカメラとレンズに注ぎ込んだ。彼女は書店でアルバイトをした。写真家の道を歩み始めた。
ユリアと同じ写真コースの学生(Olav Stubberud)を相手にシャッターを切る。撮影を続けるうちに彼との距離が近くなり、彼と口付けを交わす。ユリアには新しい友達ができた。故郷に帰ったような気持ちがした。オスロは突然、違う姿を現わした。新しい場所。新しい表情。
ユリアはバーにいた男(Anders Danielsen Lie)に声をかける。アクセルでしょ? そうだけど。グラフィック・ノヴェルの? ユリアはアクセルが『ボブキャット』の作者だと聞いていた。読んだことある? ええ。本当? 彼の描く性差別主義者だと思えるシーンが頭に浮かんだだけだったが、ユリアは読んだフリをした。
2人はアクセルの部屋で一夜をともにする。アクセルはユリアに告げる。このままだと君に本気になってしまって手遅れになる。多分、お互い会わないと決めた方がいい。問題は年齢差だよ。悪循環に陥るんじゃないか不安なんだ。君は僕よりはるかに若いからね。自分が何者かって気にするようになる。僕は40を超えた。新たな段階に突入してしまったんだ。君はまだ自分が何者かを模索してるっていうのにね。僕を待つ必要なんてないんだよ。君には絶対に自由でいて欲しいんだ。傷つけ合うことになるのは嫌なんだ。ユリアはアクセルの部屋を出る。階段を数段下ったところでユリアは踵を返し、今出てきたばかりのドアを叩く。アクセルが笑顔でユリアを迎え入れると、2人はお互いを烈しく求め合う。

 

外科医になる道を歩んでいた優秀な医学部生ユリア(Renate Reinsve)は、身体ではなく精神を扱いたいと心理学に転向する。だが詰め込み式の学習に嫌気が差したユリアは心理学を見切り、写真家を志す。ある日、バーで、過激なグラフィック・ノヴェル『ボブキャット』の作者アクセル(Anders Danielsen Lie)に出会う。2人は惹かれ合うが、アクセルはユリアとの15歳という年齢差に躊躇う。ユリアは自分探しを続ける自分に寛容なアクセルとの交際を決意し、彼との同居を開始する。アクセルの親戚の家に招かれた際、アクセルは2人の間に子どもが欲しいと訴えるが、ユリアは時期尚早だと彼の要求を拒む。

序章に続いて12の章、そして終章で構成される。
序章の始まる前、高台にあるテラスでユリアが1人煙草を吸う姿が映し出される。オスロの街並を背景に、カメラは彼女を横から捉える。横顔(profile)とは紹介(profile)でもある。
このシーンは中盤で再び登場する。交際相手であるアクセルのグラフィック・ノヴェルの発売記念パーティーの会場を出て、ユリアが時間を潰しているところであることが判明する。著名な作家であるアクセルに対して、自分が何者でも無いことを痛感させられ、それを1人反芻するかのように煙草を吸う。ユリアは高台に位置するアクセルの出版記念パーティーの会場を立ち去り、1人歩いて降っていく。帰宅途中、見知らぬ夫婦の結婚パーティーに潜り込む。そこで出会うのが、アイヴィンである。彼については偶然の再会を果たすまで、「アイヴィン」という名前しか分からない。実は、アイヴィンはウォーター・フロントのベーカリーでバリスタをしている。海抜高度がこれ以上にないほど低い位置にいる人物として設定されている。
朝起きて、アクセルがコーヒーを入れる。その姿を見たユリアは、バリスタをしているアイヴィンのもとへと駆け出す。
ユリアは、母親を捨てて別の女性のもとへ去った父親との関係を拗らせている。優秀な成績を修め、難関の医学部に進学したのは、父親を見返すためだった。父親への反発という支えを取り除いた途端、ユリアは自らの人生の空虚さを思い知る。ユリアはアクセルを支えとする。アクセルは父親代わりである。敵である父親の代替として、性差別主義的内容を含むグラフィック・ノヴェルの作者は相応しい。彼との間に子どもは望まない。そして、アイヴィンと関係を持つことは、アクセルという代理人を介した父親への復讐となる。その結果、もはやユリアに「父親」の存在は必要ない。ユリアは父親の代替であるアクセルを、愛しているし愛していないとして、捨てるのだ。
「不注意」な妊娠によってがユリアは再び父親の支配下に引き戻される。