可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『X エックス』

映画『X エックス』を鑑賞しての備忘録
2022年製作のアメリカ映画。
105分。
監督・脚本は、タイ・ウェスト(Ti West)。
撮影は、エリオット・ロケット(Eliot Rockett)。
美術は、トム・ハモック(Tom Hammock)。
衣装は、マウゴシャ・トゥルジャンスカ(Malgosia Turzanska)。
編集は、デビッド・カシェバロフ(David Kashevaroff)とタイ・ウェスト(Ti West)。
音楽は、タイラー・ベイツ(Tyler Bates)とチェルシー・ウルフ(Chelsea Wolfe)。
原題は、"X"。

 

1979年。テキサス州の農村部に立つ古い民家。既に2台の警察車両が停車しているところに、さらにもう1台が到着する。車から降りてきたのは保安官のデントラー(James Gaylyn)。家の前の血溜まりには白い布が被せられている。デントラーがハンカチを口に当てながら布を剥がして遺体を一瞥する。玄関ポーチにも血が付着しており、玄関脇には手斧が刺さっている。デントラーが壊れた扉を抜けて家の中に入る。
リヴィング・ルームのテレビはスイッチが入ったままで、宣教師(Simon Prast)の説教が放映されている。このような闇に覆われた時代には、主に導きを求めることを忘れてはなりません。神に従うのです。アーメン。悪魔に抗うのです。そうすれば悪魔はあなたから逃れるでしょう。申し上げにくいのですが、私は悪魔の力を直に味わっています。私たちの娘が変質者や詐欺師に攫われて罪深い世界に落ちてしまいました。
テレビ画面を見詰めていたデントラーを警察官のミッチェル(Matthew J. Saville)が呼び止める。保安官、確認していただかなくてはならないものが。デントラーは懐中電灯を手にしたミッチェルに案内されて真っ暗な地下室の階段を下っていく。地下室の奥にそれはあった。何てことだ。
化粧台の前でマキシーン(Mia Goth)がドラッグをキメていると、ウェイン(Martin Henderson)が楽屋に入ってくる。ほどほどにしとけよ。お前は唯一無二の存在なんだ。ウェインはマキシーンとキスを交わす。時は金なりだろ、みんな待ってる。ウェインが出て行く。マキシーンは鏡に向かって自らの顔を見詰め、言い聞かせる。あんたはセックス・シンボルなんだよ!
ヒューストンの工業地帯。トップレスを売り物にする酒場から出てきたウェインとマキシーンが紺色のバンに向かう。ウェインは運転席に、マキシーンは助手席に乗り込む。後部座席では、RJ(Owen Campbell)が手懸け、RJの恋人ロレーヌ(Jenna Ortega)が冊子に仕立てた脚本が配られる。男優のジャクソン(Kid Cudi)から彼の恋人で女優のボビー=リン(Brittany Snow)へ、さらにペディキュアを塗っていたマキシーンへ。『農夫の娘たち』。台本に自分の名前を見付けはしゃぐボビー=リン。ハリウッドに行かなきゃ。いいえ、奥様。ハリウッドは必要ございません。ハンドルを握るウェインが茶化す。この種の作品でごく普通の人が一躍スターになります。全ては自らの手で実現するのです。そうだろ、RJ? おっしゃる通り。にこやかに返答するRJ。結局、我々にふさわしい舞台さ、とウェイン。『トップレス・カーウォッシュ』のときもそんなこと言ってなかった? ボビー=リンが口を挟む。国税の連中が俺に個人攻撃を仕掛けなきゃ成功してたんだよ。分かってるでしょ、私はいつでもやる気よ。私の夢なんて大それたもんじゃないわ。大きなプール付きの家を手に入れたいだけ。そしたら風を感じながら浮かんで胸を灼けるじゃない。ボビー=リンが喋るのを、RJは笑いながら、ロレーヌは啞然とした表情で見詰めている。何? 私は手札が良かったの。神様が与えて下さったものに人々が沢山のお金を注ぎ込むってわけ。彼らのためになることをしなきゃ罪でしょ。まあ、そうだろうね。ジャクソンが相槌を打つ。ボビー=リンはマキシーンに話を振る。あなたの夢は? マキシーンは言葉に詰まる。
一行はガソリンスタンドに立ち寄る。急いでくれよ、長居するつもりはないからな。ウェインはマキシーンとともに併設の食料雑貨店に入る。ウェインが次々と必要な品を買い物かごに投げ込んでいく。大学から引き抜いたお子ちゃまが言うとおり作品を仕上げられたら、俺たちが齷齪する必要はすぐになくなるさ。『デビー・ダズ・ダラス』の半分で仕上げりゃさ、赤字とは永久におさらばさ。じゃあ、1週間で撮りましょう。辛抱強くなきゃ。ずっと我慢して生きてきたわ。それで打たれ強いんだな。有名にならなきゃ、ウェイン。私は贅沢な暮らしがしたい。欲しいものが手に入らないなんていい加減うんざり。お前が手伝ってくれりゃ、喉から手が出るほど欲しいもの何でも手に入れてやるさ。もう不安は懲り懲りなの、ウェイン。私は上等なものに相応しいわ。国際的なのが好みなの。分からないな。本気なの。世界中に私の名前を知ってもらいたい。リンダ・カーターなんかみたいに。いったんお前の演技を見りゃ心臓が止まってるのでもない限り、誰でもマキシーン・ミンクスが欲しくなるさ。何でか分かるか? 何で? お前には例の特別な才能があるからさ。間違いないわ。さあ、向こうで「ワンダー・ブレッド」を摑むんだ、ワンダー・ウーマン。マキシーンはパンを取って来ると、ウェインに訴える。RJの彼女が気に入らない。お前は誰の恋人でも気に入らないだろ。彼女、ほとんど何も言わないの。ただみんなを見詰めるの。恥ずかしがり屋なんだろ。たぶん俺たちみたいなの見たことがないんだよ。じろじろ見る人って癇に障るの。映画に出るなら慣れた方が良くないか。
ガソリンスタンドでは、RJがジャクソンに向けてカメラを回している。2人の撮影を眺めながらボビー=リンがロレーヌに尋ねる。あなたの彼氏、可愛いわね。彼の全作品を手伝ってるの? 時々、です。ジャクソンはあなたの恋人ですか? 時々、です。ボビー=リンはロレーヌを真似て答える。ボビー=リンはRJに尋ねる。なんで順番通りに撮らないの? 一旦フィルムに収めてしまえば、いくらでも好きなように編集可能ですからね。実は編集で実験的な試みをたくさんするつもりなんです。前衛的な感覚を出したいんで、フランス映画みたいに。その方がシックですし、低予算を取り繕うのにも有効です。カメラをジャクソンに向けていたRJは、ジャクソンに車に向かって給油するよう促す。撮影するRJにボビー=リンがアドヴァイスする。カメラをノズルからゆっくり上へ上げていってよ、彼がモノを使ってるみたいに見えるから。見えるでしょ? 私もセンスあるのよ。

 

1979年。テキサス州ヒューストン。ポルノ映画のプロデューサーであるウェイン(Martin Henderson)は、大学生のRJ(Owen Campbell)を抜擢して、彼が監督・脚本・撮影・編集を手懸ける低予算作品で一山当てようと目論む。タイトルは『農夫の娘たち』。旧知の男優ジャクソン(Kid Cudi)と女優ボビー=リン(Brittany Snow)に加え、特別な才能があると見込む、自らの恋人マキシーン(Mia Goth)を出演させることにする。撮影クルーにRJの恋人ロレーヌ(Jenna Ortega)を加えた一行は、農村部にある古い民家へ向かう。家主のハワード(Stephen Ure)は連絡をもらっていたことを忘れ、不法侵入だとウェインに向けて銃を構える。ハワードの誤解を解いて案内されたのは、南北戦争中に兵士の宿舎として建設されたという離れ。ウェインはハワードから6人とは聞いていないと文句を言われると、金を握らせて母屋に立ち去らせる。ポルノ映画の撮影が目的であることも秘匿していたが、事後承諾の方が穏便に済むと、ウェインは早速撮影を指示する。RJがカメラを回し、ロレーヌがマイクブームを構えて、ジャクソンとボビー=リンのシーンがスタート。出番がなく手持ち無沙汰のマキシーンが離れの周囲に広がる森に分け入ると、その奥には池があった。マキシーンは服を脱ぎ池に入る。音もなく近づく存在にマキシーンは気付かない。

冒頭、テキサス州の農村部に立つ古い民家で、惨劇が起こったことが示される。血溜まりなどは見えるが、遺体は白い布に覆われて映し出されることはない。地下室の何かも明らかにされないままだ。はっきりしているのは、凄惨な出来事がこれから描かれることだけである。鑑賞者は恐怖に対する緊張を持続させられる。そして個々の惨事が発生する際には、必ず前触れが示されて、改めて緊張を強いられる。恐怖の出来は、同時に緊張の緩和をもたらす。観客にとってそれは一種の報酬である。
また、登場人物の死は、1つの終わりである。だが、複数のキャラクターが登場するために、1つの終焉は、別の終焉の始まりとなる。それは、投資の回収が新たな投資となる資本主義のアナロジーとなっている。ホラー映画と資本主義とはパラレルなのだ。

(以下では、冒頭以外の内容についても触れる。)

マキシーンがロレーヌに見詰められることを嫌がる。それは後にハワードの妻パールによって見詰められることの予兆となっている。あるいはハワードが心臓が悪いことをセックス拒否の理由とするが、それもまたセックスによって心臓が止まることの予兆となっている。

本作品は、美しさは永遠ではないと警告するヴァニタスである。とりわけハワードとパールの交合は、文字通りホラーとして描かれる。年老いることに抗うこと(アンチ・エイジング)の醜悪さを訴えるものと解し得よう。
かつて美しいダンサーであったパールは年老いて欲望の対象とならなくなったことを嘆く。彼女はセックスの代替手段として、血を求める。繰り返しナイフを突き刺すのは、セックスのメタファーだ。相手を逝かせることで、自らも性的な絶頂を感じるのだろう。

男優のジャクソンは軍人であること、女優ボビー=リンはナースであることを誇りにして、ポルノに対する後ろめたさを覆い隠す。マキシーンはドラッグの効果に頼ることでポルノ映画への出演の抵抗感を緩和させる。ポルノ映画を芸術と嘯きながら、RJは自分の恋人であるロレーヌがポルノに出ることは許せない。彼女がポルノに出ることの衝撃と、自分の信条が空疎であったことを知ることで、RJは死ぬ運命となる。ロレーヌはフリー・セックスの状況に感化され、安易にポルノ映画に出演したために、身を滅ぼす。

繰り返し挟み込まれるテレビの説教の言葉や、挿入歌の歌詞が、状況を説明するものとなっている。
撮影隊とパールとの切り替えないし2画面で同時に描く演出も効果的。
デニムのオーバーオールの横から覗く乳房の魅惑。