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芸術鑑賞の備忘録

展覧会『BankART Under 35 2022 第4期』(辻梨絵子個展)

展覧会『BankART Under 35 2022 第4期』(辻梨絵子個展)を鑑賞しての備忘録
BankART KAIKOにて、2022年6月10日~26日。

BankART Under 35」は、2008年にスタートした、35歳以下の作家を個展形式で紹介するシリーズ企画。今年は4期にわたり8名の作家を紹介する、その第4期。小林椋は、不完全な人間が必要に応じて機能を外部化したものを機械と捉え、有用性が選好によるものとして、その選好をもたらす意志すら物理法則の中に位置づけられるとの決定論的な世界観を映像を用いて紹介しつつ、有用性とはほど遠い可動式のオブジェ群を展示する。辻梨絵子は卑近な環境と宇宙とを接続させるようなインスタレーションを展開する。以下では、「ハウスショー」と題された、辻梨絵子の個展を取り上げる。

インスタントメッセンジャーの画面を印刷してアクリル板を重ねた「チャット」シリーズ、PCのディスプレイに現れるイメージをアクリル板にUVプリントした「画面」・「ミニ画面」シリーズなど、スマートフォンやPCでやり取りされるオンラインのコミュニケーションに纏わるイメージを柱の1つとしている。もう1つの柱は、アクリル製の球体のオブジェである「惑星」・「星」シリーズ、天体を思わせる円形画面の油彩画「軌道」シリーズなど、天体のモティーフである。
オンラインでの個人的なメッセージはプライヴァシーに関わる、秘匿されるべき情報である。それを作品にして展示することは、閉鎖的な環境を外部に対して開くことになる。また、情報端末を介してあらゆる情報にアクセスすることは、個人と世界(≒宇宙)とが接続することでもある。
作家は、鑑賞者に端末の画面と天体とをつながせるべく、媒介となる作品を用意している。円錐状の発泡スチロールを3つ重ねて三脚に設置した《ロケット?》は、情報端末からメッセージが宇宙へと向けて発射される状況を形にしたものである。また、子供用の布製のトンナルの部品を用いた「門」のシリーズは、私という特殊から宇宙という普遍への躙り口として機能する。さらに平面であるテーブルクロスを丸めて立体とした《筒》は、画面の二次元から宇宙空間の三次元へと次元を増やすことを訴えている(管状の部品を湾曲させるように接続して平面から立ち上がた「ウネウネ」シリーズも同様の発想が窺える)。
ところで、絵画は外の世界を見るための窓に比せられる。絵画は窓であった。従って、木製の円形フレームで作られた小さな丸窓を模した「ウィンドウ」シリーズは、絵画である。絵画という窓がもたらす風景は、そもそも実景だけではなかった。

 (略)「山水画」とは文字通り、山岳・渓谷や河水の自然景観を主題にした絵画の1ジャンルである。「神仙の住む場所としての山岳(名山)をあらわす、観念的、象徴的な形態から出発」した中国山水画は、道教の神仙思想と密接な関わりをもって展開してきた。日本の風景表現は、この中国山水画を直接学び模倣することから出発した。奈良時代、8世紀ころのことである。この時代は、日本の風景自体が絵画の主題に取り上げられることはなかった。もっぱら、当時の絵師は、請来された中国の絵画を直接模写し、あるいはそれらを粉本にして絵を制作していたと推定される。(横浜美術館学芸員:柏木智雄・倉石信乃・新畑泰秀『明るい窓:風景表現の近代』大修館書店/2003年/p.28〔柏木智雄執筆〕)

現在、情報端末の画面は、窓=風景として機能している。それを絵画に表わすのは至極当然である。そして、風景を構成する要素として、鏡がある。今日、鏡は、自撮りによる画面によって代替される。

 (略)〔引用者補記:18世紀ドイツの神秘主義者ヨーハン・カスパル・〕ラファーターのユニークなところは、宇宙と人体はコレスポンダンス(照応)している、そしてその人の内面と外面もまた照応するという二重の照応関係を考える点です。だから、宇宙の構造が人間の精神に反映されるはずだ、その人間の精神が人間の表面に反映されるはずだという考え方です。したがってマーキュリー(水星)のもとに生まれた人間は、資恵心がマーキュリアン。迅速かつ血のめぐりが良く、盗みが早い。そしてマーキュリー顔をしているはず(笑)。マーキュリー顔ってどんな顔なんだか私は知りませんが、とにかくそういう発想です。
 また、マーキュリーはヘルメースとも呼ばれて、商人と泥棒の神様です。宇宙の構造と、人間の内面つまり人間のインテリアが、1対1に対応している。それが、人間の外側つまりエクステリア、英語では外形(appearance)と一致しているとするわけですね。そしてこの考え方の中間のどっかに「室内=インテリア」が位置してきます。
 簡単に「うち」とか「インテリア」といいますが、これはなかなか深い意味を秘めたことばです。家と書いて「うち」と読む。家は語源的には内側の「うち」。人間の家とそこに住まう精神が、富島美子氏の言葉を借りれば「鏡映(reflect)」し合う関係にある。(略)
 あなたにとって「リフレクト」とは何でしょう。もともと、鏡に自分の姿が映ることを「リフレクトする」といいます。これが17世紀初めにかけて、何かものを考えるという意味に変わる。つまり、人間は自分自身の正体がわからなくなったとき、鏡を見るように自分を、そして自分をリフレクトしてくれる室内をリフレクトするということです。(略)
 そこに住んでいる人間が。自分とは何かを考える。ちょうど中世の人間が、鏡をのぞいて自分とは何かを考えるように。英語では両方とも「リフレクト」ですが、そのように近代人は自分の室内を見ることで自分の姿が見えるようになる。それがロマン派の頃に確立する感覚です。(高山宏『表象の芸術工学 神戸芸術工科大学レクチャーシリーズ』工作舎/2002年/p.251-252)

本展は「ハウスショー」と題されている。この「ハウス」の中、すなわちインテリアには、天体(≒宇宙)が導入されている。情報端末を通じて室内に導入される「宇宙」の姿は、インテリア同様、その人の姿を表わすだろう。もっとも、会場には、《セルフィースポット》なる鏡が設置されている。鏡が自撮りによる画面によって代替されるなら、加工アプリによって正体は分からなくなる。