可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 西村藍個展『silent drama』

展覧会『画廊からの発言 新世代への視点2022 西村藍展―silent drama―』を鑑賞しての備忘録
ギャルリー東京ユマニテにて、2022年7月25日~8月6日。

西村藍の絵画展。

メイン・ヴィジュアルの《ギロチン》(1620mm×1303mm)には、目を瞑った女性が描かれている。ベールを被り、長いスカートを身につけているが、上半身は裸である。女性の首元には、鎌の刃のような白い円弧が当たっている。この円弧の両端は右上の月が発した銀色の光と連なっている。女性は台の縁に爪先で立っていて、今にも台から落ちそうだ。女性の立つ台の背後にはやや距離を置いて、一部湾曲した壁が立ち、その右手にはカーテンがかかる。左側の壁には、台の上に立つ女性と瓜二つの女性が宙に浮いているが、その姿は肌もヴェールも服もすべて白っぽい。目を瞑ったまま左手で台の上に立つ女性の首元を指し示している。
カーテンがかかっていることや女性が裸足であることから室内と考えられるが、満月が浮いている。どこまでも――室内までも――追ってくる月は、常に自らを見張る存在である。また、月の鏡という言葉もあるように、とりわけ満月は鏡に見立てられる。実際、《接吻》(455mm×380mm)には、ヴェールを被り長い丈のスカートを穿いた(上半身は裸の)女性が、壁の銀色の円盤から上半身を現わした、やはりヴェールを被った黒衣の女性に驚いた様子が描かれているが、銀色の円は明らかに鏡である。翻って、《ギロチン》の満月もまた鏡であり、自らを見張る存在は、自身の姿の投影、すなわち自分自身であると考えて間違いない。女性の左側には、彼女と瓜二つの女性が、月と同じ白っぽい姿で表わされていることがこれを裏付ける。すると、月は、カントの言う実践理性を象徴するものと解される。目を瞑っているのは、月が「我が内なる道徳律」(=実践理性)であり、自らの裡に存在することを示すものだろう。
《Moonlight》(1455mm×1455mm)では、タッセルで纏められたカーテンが左右に見える角部屋で、ヴェールを被り上半身には何も身に付けずロング・スカートを穿いた女性がベッドに腰掛けている。2つの窓からは異様に大きな月が姿を覗かせ、右側の窓から射す月光が彼女の右目を灼くとともに、左側の窓からの月光は足元を照らしている。外的な要因ではなく「我が内なる道徳律」に従って歩むことを促している。