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芸術鑑賞の備忘録

映画『女神の継承』

映画『女神の継承』を鑑賞しての備忘録
2021年製作のタイ・韓国合作映画。
131分。
監督は、バンジョン・ピサンタナクーン(บรรจง ปิสัญธนะกูล)。
原案は、チュイ・チャハウォン(ชเว ชา-ฮวอน)とナ・ホンジン(나홍진)。
脚本は、バンジョン・ピサンタナクーン(บรรจง ปิสัญธนะกูล)、チャントウィ・タナセウィー(ฉันทวิชช์ ธนะเสวี)、シワウット・セウェタノン(ศิววุฒิ เสวตานนท์)。
撮影は、ナルフォル・チョカナピタク(นฤพล โชคคณาพิทักษ์)。
編集は、タラマット・スメートスパチョーク(ธรรมรัตน์ สุเมธศุภโชค)。
音楽は、チャッチャン・ポンプラパーン(ชาติชาย พงษ์ประภาพันธ์)。
原題は、"ร่างทรง"。

 

タイ東北部の山間部にある湖畔の町。家並みが続く通り。軒先に吊された衣類。魔除け。仏像。祠。
地元の人々は古くから精霊を信じてきた。どんな宗教よりも古い。この地域の人々にとって精霊の意味は通常とは異なっているかもしれない。自然を超えたもの全ては精霊と呼ばれ、死者の魂だけではない。家、森、樹木、田など、あらゆるものに精霊が宿っていると信じられている。
2018年、タイの霊媒を調査するため撮影隊が全土を巡り、女神バヤンの霊媒であるニム(สวนีย์ อุทุมมา)の生活を取材することにした。
東北部の人々にとって、ピー(精霊)にはピー・ファー、ピー・タン、ピー・スア、ピー・バン、ピー・ムアンなど様々な種類があります。守護してくれる良い精霊と、取り憑いて病気にする悪い精霊がいます。中心部では憑依と呼びますが、東北部ではマティヤムと言います。私は女神バヤンのマティヤムです。バヤンは先祖の精霊です。長い間村を守ってきた良い精霊です。実のところ、バヤンが何者で何処から来たのか誰も知りません。しかし、何世代にも渡って崇敬されてきました。
人々が山を登り、森と洞窟を抜け、樹木と岩とに囲まれた祭祀の場へと入っていく。その中心には女神バヤンの石造が設置され、蝋燭が立てられている。
ニムが語る。私の家は何世代にも渡ってマティヤムの血統です。生まれた時から祖母をマティヤムとして見てきました。バヤンがマティヤムとするのは女性だけです。多くの地元民が会いに来たものです。毎年儀式を行います。地元民は来年の村がどうなるかを尋ねます。祖母が亡くなってマティヤムを継いだのは伯母でした。伯母の次は姉のノイ(ศิราณี ญาณกิตติกานต์)のはずでしたが継承を拒否しました。バヤンは代わりに私を選んだのです。取材班が身体を揺すったり声を変えたりするのかと尋ねる。テレビの見過ぎじゃないですか。そんな必要はありません。ご覧になったと思いますが、人々が毎日私に会いに来ます。病気を癒やしに来る人、祝福や願いを求める人、酒瓶や鶏肉を持って願いが叶ったお礼をする人もいます。
夫婦がニムのもとへやって来る。どうしました? 夫がコブラを見付けて酒を造りました。飲むなと言ったのですが言うことを聞かなかったんです。腕と脚が痺れてしまいました。コブラはどこで? 墓場から。それが不幸の原因です。悪いカルマの報いを受けています。この動物に宿る精霊を飲んでいるからです。ニムが手脚の痺れた男のために火を焚くなどして悪霊を祓う。取材班がどんな病気にでも対応できるか質問する。癌にかかった人が来ても役に立ちません。黒魔術のような不可視の存在に起因する病に限って治癒することができます。普通の病気なら医師の診察を受けるよう勧めます。
山中にあるバヤンの斎場に続々と人が集まる。青い服を身につけた人々は輪になって歌い踊る。白っぽい服のニムはバヤンを祀るための儀式を行っている。
ニムが語る。マティヤムに成るなんて考えたことがありませんでした。実際、成りたくなかったんです。常に病気に苛まれてる時期がありました。何をしても良くなりません。痛みがひどく、痛みから逃れられるなら全てを抛ちたいと思いました。何故私でなければらならないのか。ニムは左手首に残る疵痕を示す。しかし逃れられませんでした。私はバヤンのもとへ行くことにしました。素晴らしいことです。毎日祈ったり儀式を行ったり。人々は私のところに来て、抱えている問題について助けを求めます。良いことだと考えています。すっかり落ち着いていますよ。何故当初はバヤンを受け容れなかったのか、何故腹を立てていたのかさえ思い出せないくらいに。
ニムは家並みが続く通りにある2階建ての民家に一人で暮らす。裁縫で生計を立てている。
ニムが自動車を運転している。ウィロー(ประพฤติธรรม คุ้มชาติ)の葬儀に向かいます。ウィローは姉ノイの夫です。昨年癌にかかっていることがわかりました。何故だか分かりませんが、ヤサンティア家の男たちは皆不幸な死を迎えます。ウィローの祖父は労働者による石打ちで殺されました。ウィローの父は工場が潰れた際、保険金を手に入れようと放火しましたが、逮捕されると服毒自殺しました。ウィローの息子メァ(ปูน มิตรภักดี)はオートバイの事故で数年前に亡くなりました。途中、道路に血だらけの犬の死骸が落ちているのを目撃する。
斎場である寺院には弔問客が集まっている。ニムは到着するとすぐに葬儀の手伝いを始める。久しぶりに会った兄のマニ(ยะสะกะ ไชยสร)に挨拶すると、誰か死ななければ会うことはないのかとマニはつれない。お前はいつも親族のことを忘れる。しつこく言わないでよ。祭壇は青やピンクの花、電球などで飾り付けられている。ノイが通う教会の神父が白い祭服で現れる。ノイは娘のミン(นริลญา กุลมงคลเพชร)に椅子を用意させる。ニムがミンに話しかける。大丈夫なの? あなたが最初に遺体を発見したってノイに聞いたけど。大丈夫よ。
息子のメァに続いて夫のウィローが亡くなった。ノイは娘のミンと残された。ノイとウィローとは晩婚で、ノイは何故だか知りませんが、義理の母親から犬肉店を引き継ぎました。政府は許可していませんが、今でもノイは密かに犬肉の販売をしています。マニとノイと私とは折り合いが悪く、私は話し合って仲直りしようと努めてきました。
夜伽となる。講堂の床に参会者がいくつかのグループに別れて座り、ゲームなどに興じている。ミンが家から取ってきて欲しい頼まれたとニムに白い紙に書いたノイのメモを渡す。ニムが頼まれたものをノイに届ける。飼い犬のラッキーが外に出ないように戸締まりしたか確認すると、袋の中身を確認する。生地が違う。もっと厚手のが欲しかったのに。だったら自分で取りに行きなさいよ。そのとき、何言ってるのと男性に向かってミンが激昂して叫ぶ。何も言わないよ。何て言った? 何も言わないって。構わないでくれる! マニらがミンを落ち着かせようとするがミンの興奮は収まらない。売女って言った! あいつをここから追い出して! ニムはマニの妻パン(อรุณี วัฒฐานะ)に尋ねる。ミンはよくお酒を飲むの? 酒を飲むのは知っているけど、そんなに多いとは知らなかった。幼子を抱えるパンがマニと車で帰宅するのをニムが見送る。講堂に戻り、ニムが蚊帳に入ろうとすると、隣の蚊帳の中にいるミンの様子がおかしいことに気が付く。ミンの蚊帳の前には杖を持った盲目の老女(เม็ด สุขบัว)が立っていた。
翌朝、寺院の周りに多くの人が集まっている。寺院の裏に住んでいた盲目の老女が亡くなったという。ニムは野次馬の中にいたミンに声をかけるが、ミンは立ち去る。ニムが追いかけると、ミンは民家の前で1人佇んでいた。

 

タイの東北部に暮らす霊媒のドキュメンタリーを制作するチームは、女神バヤンの霊媒であるニム(สวนีย์ อุทุมมา)の生活を追うことにする。独身のニムは、町中の民家で裁縫で生計を立てる一方、地元民の願いや悩みの相談に応じ、定期的に山中にある斎場で行われる伝統的な祭儀を取り仕切っている。霊媒を継承しなかった姉ノイ(ศิราณี ญาณกิตติกานต์)の夫ウィロー(ประพฤติธรรม คุ้มชาติ)の葬儀では、2人の娘ミン(นริลญา กุลมงคลเพชร)が突然激昂し、盲目の老女と会うなどしていた。ミンの異常を感じ取ったニムは、ミンの部屋を調べる。クローゼットからはウコンを組んだ魔除けのパタバが見つかる。ニムからミンにバヤンの霊媒が継承される過程が撮影できるのではないかと考えた取材班は、ミンの姿も追うことにする。

(以下では、冒頭以外の内容についても触れる)

女性だけに継承されるマティヤム(霊媒)は、ヨーロッパの魔女のように、例えば避妊や堕胎のような女性のための知恵を伝える役割を担っていたのだろうか。
財産の継承が親子間など血族間で行われ、避妊や親子関係の確認が難しかった時代には、女性の性交渉に関する管理が徹底的に求められただろう。欲求不満はヒステリーなどの形で現れたかもしれない(それは霊媒の振る舞いとのイメージを形成する)。他方、管理する立場である男性に対してはセックスの制限は課されなかっただろう。
犬の肉を食べたり、兄妹間で行われる性交など禁忌を破る行為の存在が示されるのは、男性の支配(男性の設定する社会規範)に対する抵抗を示すものではなかろうか。
実際、ミンは職場での性行為を理由に解雇される。それは女性の性交渉が未だに男性によって管理されていることを象徴するものである(抑圧された怒りの矛先は、一族内に残された男性である伯父マニに向けられ、ミンは若いマンコが好きなんだろとマニを挑発する)。
マティヤムが仮に女性のための知恵の継承者であるとしても、それはあくまでも男性によって支配される社会を補完する存在に過ぎない。ノイの継承拒絶や、ニムの疑念は、既に男性社会の補完的役割存在としてのマティヤムに対する疑念が表面化し、制度の維持が困難になっていたことを表わす。ミンに至って、そのような社会の仕組みを覆す、新たな力を有するに至ったということではないか。ミンが愛玩動物を殺害するのは、女性が男性に飼われる時代の終焉を告げるためである。ミンは、男たちを犬のように従えて君臨するだろう。女神の誕生である。