可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『ストーリー・オブ・マイ・ワイフ』

映画『ストーリー・オブ・マイ・ワイフ』を鑑賞しての備忘録
2021年製作のハンガリー・ドイツ・フランス・イタリア合作映画。
169分。
監督・脚本は、イルディコー・エニェディ(Ildikó Enyedi)。
原作は、ミラン・フスト(Milán Füst)の小説"A feleségem története"。
撮影は、マルツェル・レーブ(Marcell Rév)。
美術は、イモラ・ラング(Imola Láng)。
衣装は、アンドレア・フレッシュ(Andrea Flesch)。
編集は、カロリー・サライ(Károly Szalai)。
音楽は、アダム・バラージュ(Ádám Balázs)。
原題は、"The Story of My Wife"。

 

息子がいたら、この世界に生まれ出てくるとき何を伝えよう? おそらく夜を説明して、他には何も言わない。船上で迎える夜。私の船は頑丈な貨物船だが、それでも海の力の前では、脆く小さな貝殻に過ぎない。男の世界について話そう。単調な仕事、質素な食事、稀に訪れる陸での興奮、星空の下で眠ることの素晴らしさ。絶え間のない警戒について語ろう。うねる波のごく僅かな変化にさえ注意していないと、悪意など無くとも、容易く命を奪いかねない。人生について説こう。支配できないものを支配しようとする営為について。
夜の海。一隻の貨物船が航行している。船尾楼甲板に水夫が集まり、その輪の中で軽快に踊る2人に喝采している。船橋に立つ船長のヤーコブ・ストア(Gijs Naber)は、煙草を吸いながら水夫たちを眺めている。
昼。船室に人影はない。船長室ではヤーコブが1人煙草を燻らせている。船は進む。灯台が見える。船は石造りの建物が建ち並ぶ島の港へ入っていく。
積み荷を降ろす作業が行われる。コックが食事を用意している。トミー(Sandor Funtek)が食事を持って船長室へ駆け上がる。トミーが料理の切り分けを申し出るがヤーコブは断る。船員たちは狭い食堂に集まってガヤガヤと食事をとっている。
夜。船長室を出て潮風に吹かれながらヤーコブが煙草を吸っている。トミーがハビブ(Nayef Rashed)を連れて来て、すぐさま立ち去る。食べ物に問題が? ハビブが船長に尋ねる。また腹が痛むんだ。張ってる感じですか、それとも石がある感じですか? 石みたいな感じだ、全く。煙草はどうです? 効いてない。船員特有の病気だろうか? 残念ながら歳を重ねれば避けられないものです。そうか、でもお前は肉屋の犬みたいに健康じゃないか。私は結婚してますから。で? 役に立ちますよ。
昼。ヤーコブは船を下りる。大勢の人が行き交う活気ある通りを歩いて、1軒の洒落たレストランに入る。待ち合わせていたコードー(Sergio Rubini)の姿があった。こんな高級店で会おうなんて気が触れたのか? いいから黙って座れよ。コードー、狂ってるだろ。うるさい、何にする? 牛乳をもらおうか。腹の調子が悪いんでね。そうか、でも頼むから他のものも注文してくれよ。普通に。騒ぎを起こしたくないんでね。彼にコーヒーを! 3人のビジネスマンが卓を囲み、卓の下でこそこそと書類をやり取りするのがヤーコブの目に入る。向こうを見るんじゃない。静かに話すんだ。俺の商売仲間が今ここで俺を出し抜こうっていうんだ。分かったよ。だから向こうを見るなって! 俺を見ろ。会話のフリをしてくれ。結婚することにしたよ。誰と結婚するんだ? まだ分からない。女性としか。よく会う女性ではないだろうな。何か微妙な話だな。この店に最初に入ってきた女性と結婚しよう。言うのは簡単さ。お前さんのお仲間が握手して出て行くぞ。奴には目に物見せてやるさ。それはそうと、見てみようか。何を? 最初に入店する人と結婚するって言ったじゃないか。まあ、ただの言葉の綾だよ。すぐ手を引くって分かってたさ。ちょうど老婦人が店の入口にやって来た。だが彼女は誰かに呼ばれて立ち去った。危ういところだったな。コードーが笑う。くたばれ。なあ、本当のところを教えてくれよ。結婚なんて恐くないのか? 何が? 女性に騙されるかもしれないだろ? 気にならないのか? それも結婚の一部だよ。それはそうとさ、助けてくれないか? ちょっと金に困ってるんだ。ヤーコブは財布から紙幣を取り出しコードーに渡す。悪いな。またな、ヤーコブ。酒もご馳走さん。ヤコブは勘定を支払わずに出て行く。
1人店に残されたヤーコブ。ハシシで緊張を取り除く。白のスーツにハットを被った女性(Léa Seydoux)が1人で店にやって来た。ヤーコブは少々躊躇った後、意を決して女性に近づき、声をかける。お邪魔ですか? 大丈夫。でも、手短にね。私の妻になって下さい。私は極めて真剣です。もちろん、奇妙に思うに違いないのは分かります、あなたの席に近づいてきた男が…。杖を突いた白いスーツの男(Simone Coppo)が擦れ違う女性たちに話しかけながら徐々に店に近づいて来ていた。あなたについて教えてくれない? 急いで。ええ、私は船長です。身長は6フィートあります。背の高さなら見れば分かるわ。結婚式はいつなの? 明日にでも。1週間後ってことにして。その方が現実味があるわ。私は極めて真剣です。ゲームを台無しにしないでもらえます? 何の船長って言ってましたっけ? まだ伝えていません。貨物船です。ばら積み貨物船です。面白い? 積み荷によりますね。名前は? 早く! ヤーコブ・ストア船長です。白いスーツの男が2人のテーブルにやって来た。親愛なるリジー、ちょっと遅れちゃった、許してくれ。紹介させて下さい、こちらはリドルフィさん。こちらは船長のヤーコブ…。ストアです。ストアさん。私の婚約者。そうなの、おめでとう。でも突然過ぎやしないか? 彼は船長なの。なんてロマンティックなんだ。女性を泣かせる職業だよね。だけと彼のこと心配じゃないの? 少しはね。僕を証人にしてくれないか、君の最も忠実な友人としてさ。悪いけど、他に思い当たる人を見付けてくれないかしら。あなたは私の慎ましい人に反対ですか? いや、ただ結婚式までに君の脚が治っているとは思えないんだ。失意のリドルフィは退散する。あなたってひどい人ね。

 

貨物船の船長ヤーコブ・ストア(Gijs Naber)は船上で単調で孤独で日々を送っていた。体調を崩すのは妻帯しないからだとハビブ(Nayef Rashed)に指摘されたことをきっかけに結婚を考える。ハシシの入手などで付き合いのある山師のコードー(Sergio Rubini)と落ち合った高級レストランで、ヤーコブは最初に入ってきた女性と結婚すると宣言する。リジー(Léa Seydoux)がその人で、ヤーコブが求婚すると、つきまとうリドルフィ(Simone Coppo)から逃れる口実に、あっさりと受け容れてくれた。航海のため家を空けることの多いヤーコブは、リジー貞操に疑念を持ち始める。リジーが関係を持っているのは、リジーに言わせれば作家だという、ドゥダン(Louis Garrel)であると考える。

7章の構成。章題が物語の展開をある程度予告する。
結婚初夜、ヤーコブは船員式のポーカー(脱衣ポーカー)を提案し、結果、リジーに丸裸にされる。一方、初夜におけるリジーの裸の描写は回避される。その後、航海から戻ったヤーコブが警察から届いた手紙をリジーに手渡すシーンでは、リジーは入浴している。これは、リジーの真の姿が明らかにされることを予告する。ひったくりの被害にあったことを訴えるリジーのためにヤーコブが警察署に向かうと、ヤーコブは酒を勧められて、リジーに関する事実を教えられることになる(但し、それがどんな事実であったかは説明が省かれ、鑑賞者の想像に委ねられる)。ヤーコブはその事実を引き受け、等閑に付す。
海原に浮かぶ船は、そのまま船長ヤーコブの姿を象徴する。ヤーコブが臨時で豪華客船マリエッタ号の船長を務めた際、火災が発生する。一等航海士(Beniamino Brogi)はヤーコブの経歴を知悉しており、貨物船と客船とは耐久性が異なると、救助を求めることを進言する。ヤーコブは徒に救援を待つよりも鎮火のために雨の降る海域へと船を発進させる(結果的にヤーコブの判断は功を奏し、彼の名声を高めることになる)。航海を終えたヤーコブが、リジーと、彼女と関係を持っていると踏んでいるドゥダンとともにピアノのコンサートに出かけた帰りに、嫉妬に萌えるヤーコブが雨に打たれながらタクシーを拾おうとするシーンで、船とヤーコブとが重ねられる。
窓越しや鏡越しの描写が少なくない。とりわけヤーコブが鏡越しに見るリジーは、ヤーコブの内面を反映していることを示唆する。また、窓の向こうのヤーコブは、他人との距離を詰めることができず、常に自分の世界に引き籠もっていることを示す。
とりわけ室内の描写では、ヤーコブ、そして、とりわけリジーを絵画のような構図で描き出す。