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芸術鑑賞の備忘録

展覧会 近藤亜美個展『reflection』

展覧会『近藤亜美「reflection」』を鑑賞しての備忘録
下北沢アーツにて、2022年7月30日~8月16日。※当初会期(8月15日まで)を延長。

10点の絵画で構成される、近藤亜美の個展。

《◯△□》(1120mm×1454mm)は、例えば北脇昇の《クォ・ヴァディス》のような日本のシュルレアリスム絵画を髣髴とさせる。その特徴的なタイトルが仙厓義梵の著名な禅画と同じであるだけでなく、主要なモティーフである円、三角形、四角形を右から順に描いている点も共通する。森羅万象を3つの形に象徴させたものと解される(よりシンプルに3本の白骨を三角形状に組み合わせたモティーフのみを描く《骨》(652mm×530mm)という作品もある)。

 (略)3は単数や両数ではなく、多数のしるしなのである。古代エジプトヒエログリフでは、同じ記号を3回書いて大量の意味を表わした。また古代中国語では、人を意味する表意文字を3つ重ねることによって群衆の概念を示していた。また、「木」の文字を3つ並べたものは、「森」を意味する。
 (略9
 英語のthree(3)の語根も、3が多数という概念の始まりであることを裏付けている。アングロサクソン語で3を意味するthriやtriaは、「積み上がったもの」を意味するthropと関係がある。英語のthrong(群衆)のようjな言葉の語源は、ゲルマン齟齬で「多数を意味する言葉だ。ロマンス諸語にも、3と単数のつながりが見て取れる。ラテン語のtres(3)から、孵卵具語ではtrois(3)をはじめ、très(とても)、trop(あまりに多くの)、troupe(集団)などの言葉が生まれた。(略)
 文法でも、違う言い方で「たくさん」が語られている。ひとりめの人間は「自分」、ふたりめは「あたな」、3人めは「ほかのだれか」となる。具体的に言えば、I(私)、you(あなた)、he(彼)かshe(彼女)かit(それ)で、複数ではひっくるめてthey(彼ら、彼女ら、それら)となる。こ、われわれの心の文法における、数の活用とでも言えそうだ。私は1、あたなは2、彼らや彼女やそれ――まとめてthey――はたくさん。要するに、theyは私でもあなたでもない何もかもだ。こんなふうに、われわれは世界を整理している――私、あなた、彼ら、と。(バニー・クラムパッカー〔斉藤隆夫・寺町朋子〕『数のはなし――ゼロから∞まで』東洋書林/2008年/p.58-59)

仙厓は部分的に重なるように3つの図形を配したが、作家は3つの図形の相互の間に僅かな距離を設けている。画面の上段には打ち寄せる波が描かれ、淡いベージュの背景が砂浜、そして此岸であることを示唆する。円の中に置かれた3本の木っ端(言うまでもなく木部は木の「骨」格である)、砂浜に図形を描くために用いたものかもしれない。砂に描いたイメージは僅かな間に消え去ってしまうことから、此岸すなわち現世の森羅万象が儚い存在であること――諸行無常――を訴えているようだ。円の中には木っ端の他、白く細長い巻貝(タケノコガイ?)もある。三角形の上には、大きなピンクと淡い紫の線の入った大きな二枚貝が、三角形を構成する線から食み出すように置かれている。四角形の中の黒い形もまた貝のようであるが判然としない。軟体動物の外骨格である貝は、その内部の空(空洞)を想起させるのみならず、巻貝の螺旋構造、二枚貝の繰り返される円弧、黒いモティーフに見える渦のような筆触によって、中心の存在やそこからの広がりないし成長をイメージさせる。
《水たまり》(652mm×530mm)には、吉原治良の円の連作を思わせるような円をクリーム色の中に水色で表わしている。そこから2つの同色同心円が外側に展開していく(但し、3つ目の円は画面から食み出す形となり、円の形を想起するだけである)。その中に7枚の大小の木の葉と3つの赤い球が配されることで、円は渦となって中心に向かって巻き込んでいく力を発生させている。円相を基本とする禅画的な作品は、水溜まりの存在の一過性、渦による水の流れなどによって、《◯△□》と同様の諸行無常の画題を構成している。
《部屋とイヌ》(1620mm×1303mm)には、コンクリートの打ちっぱなしの壁で囲まれた部屋の水色の床に寝そべる毛足の長いマルチーズが鉢植えの観葉植物とともに描かれている(因みに、会場には観葉植物の鉢があり、画面の内外での呼応も興味深い)。伏せたマルチーズは黒い鼻こそ明瞭だが、ほとんどモップのヘッドのようである。背後には鏡があり、犬の後ろ姿と別の鉢植え、そしてドアが描かれている。犬の手脚が描かれていないのは、面壁9年、手足が腐ったとの伝承のある達磨の見立てとしてではなかろうか。すなわち犬が壁を向いている図は、達磨の面壁座禅を表わすのである。reflection(鏡像)とはreflection(内省)であった。また、壁や床は影(明暗、濃淡)によって分断されている。マルチーズがその境界上に位置するのは、解脱(の可能性)を示唆するものと解される。