展覧会『たゆたまりに小石をひとつ』を鑑賞しての備忘録
アキバタマビ21にて、2022年8月20日~9月19日。
「自身の制作行為を省みる」をテーマに、小林大悟、田中美沙妃、竹本侑樹、榎本浩子の4名の作家を紹介する。タイトルにある「たゆたまり」とは、創作過程で生まれた作品未満のものや過去の作品の再構成など作家の周囲に揺蕩っているモノの集積を指す造語。それらが公開されることが、鑑賞者の投げ掛ける視線を小石に擬えることで示されている。
小林大悟は、かつて出版した、小さな茶人・利休が茶を呈した礼にもらった小槌の力で増殖するという筋の絵本「せんのりきゅう」に関連して、新たに制作した1,000人の利休の線画《せんのりきゅう》を展示する。飄飄とした利休の肖像は「千体仏」と化し、素朴な祈りへと昇華している。並べて掲出されている《せんとおり占い》との相性も良い。他に映画鑑賞中のスケッチ(70作品分)と、岩絵具で描いた小作品を公開している。
田中美沙妃は、「モータープール」(車溜まり?)と題し、ノートやメモ帳、封筒などに描いた、ポーズを取る人物や動物などのイラストやスケッチ、色や形の構成を研究したコラージュ、詳細な旅の絵日記など、咄嗟の殴り書きと思しきものから丁寧に描き込んだ資料までを取り混ぜて壁面にびっしり並べている。並べられたモノが作る形は水溜まりにも雲(映画『天気の子』(2019)が描くように、雲もまた水溜まりである)にも見えるが、作家の目であり、作家を象徴する。作家の目に映ったあらゆる像の中で、切り取られ、描かれたものが、作品を構成するが、それは作家の似姿である。
竹本侑樹の、赤・青・黄などのマーカーの線の組み合わせによって作り上げられた、恰も色紙で制作した紙吹雪を散らしたような画面は、一見すると純粋な抽象絵画である。だが実際は、田端、曳舟、越中島、大手町、銀座など実際の風景を再現したものだ。マーカーによるカラフルな線が構成する画面の中では、スカイツリー、電信柱、道路標識との間に何の隔ても無い。世界の全ては光で出来ていることを訴えている。なお、ハヤカワepi文庫版のジョン・スタインベック『怒りの葡萄〔新訳版〕』は作家の絵がカヴァーを飾る。
榎本浩子は、絵画とテキスト、蜜蝋による小さな器や花瓶、鉢植えの植物などによるインスタレーションを展示。《ゆるやかな認知―病院》は、病院の待合室に飾られたアンドリュー・ワイエス(Andrew Wyeth)の《クリスティーナの世界(Christina's World)》と診察を待つ三人の人の頭部などを紺で描いた作品。歩くことができないために腕で這いずることで丘の斜面を登るクリスティーナを描いた絵画を画面上部に配し、座って俯く人たちの顔を画面下部に並べることで、彼我の差が浮き彫りになる。この作品に寄せたメッセージが「わたしたちはクリスティーナのように強くはない」と結ばれているのが絵解きになっている。もっとも、オレンジ色のカレンデュラ(《ゆるやかな認知―畑のカレンデュラ》)を始め様々な植物を育てる作家は、地に足を付け、手を動かす。手の形をした蜜蝋作品には、植物の種が載せられている。啄木よろしく「ぢっと手を見る」内省という過去への視線だけでなく、発芽への期待という未来への視線を想起させる。掌に置いたレモンの花をオレンジ色の絵具で描いた《ゆるやかな認知――レモンの花》にも、レモンの収穫後のジャム作りを期待する作家の希望が籠められている。ちょうどクリスティーナが丘の上に立つ家を目指すように、作家は現在の中に未来を見出して作業を続けているのだ。結果として作家はクリスティーナと同じ強さを手に入れているのではないか。そして、その姿に、鑑賞者は「チッチ、チッチ」と優しく背中を押されるのである(《ゆるやかな認知―3匹の仔猫》)。仔猫ではないので排泄はしないが。