可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 郭家伶個展『浮回廊』

展覧会 郭家伶個展『浮回廊』を鑑賞しての備忘録
GALLERY b.TOKYOにて、2022年9月12日~17日。

郭家伶の個展。

《烟火》(840mm×295mm)には、垂直に伸びるアーチで構成されるゴシック様式の聖堂の内部のような空間が、暗くはなく、黄色と黄緑とで光溢れる場として表現されている。縦長の画面が見上げる動作を促し、高さの感覚を増幅する。雲のような白い物体が3つ宙空に浮いているのも高さの演出となっている。画面手前から奥へ向かって通路も長く伸びていて、行き止まりの小さな扉からは光が放たれる。中景には何かが煙を上げている。雲のような浮遊物は、この煙であったのだろうか。狼煙のようなメッセージであるのかもしれない。前景には動物が手前に飛び出すように駆け寄る姿が描かれ、「雲」・煙・アーチの垂直に対し、通路とともに水平の動きを強調している。絵画の通路は、鑑賞者が現に立っているギャラリーの通路状の空間と接続する。会場の床に丸まって眠る(?)白い毛の犬の立体作品《犬》は、《烟火》から飛び出したのかもしれないと思わせ、絵画と現実とを地続きにするのに一役買っている。

地下にあるギャラリーへと階段を下ってきた鑑賞者が最初に目撃する作品は、表題作《浮回廊》(900mm×645mm)である。いくつものアーチにより構成される聖堂のような建物の内部――《烟火》への連想を促す――に佇む赤いマントを羽織った人物が描かれる。画面手前の床から階段を上がったところに人物が立っており、人物の背後には窓越しにドームの内部が覗いている。画面手前から奥に向かう上昇運動が、繰り返されるアーチとともに演出される。画面手前の床には花束が落ちている。赤いマントの人物が捨て置いたものか、あるいは人物が花(の化身)であるのかは定かでは無い。画面右手前のアーチには緑のカーテンが描かれている。それが僅かに開いているのは、絵画の内部へと誘うためであろう。
《人魚》(460mm×300mm×50mm)は、壁に掛けた木箱の下に白い粘土製の人魚を背中を見せる形で横たえた上、臙脂のカーテンで覆った作品。人魚とは、人間と魚との両者の性質を併せ持つ境界上の存在であることが、木の縁に置かれることで強調されている。人魚の下半身、すなわち魚の部分を覆うカーテンは、尾鰭に擬態するかのように箱から飛び出している。現実との緩やかな仕切りであるカーテンを開き作品の中へと入り込ませる《浮回廊》の仕掛けが、立体作品の《人魚》で繰り返されている。《人魚》の隣に展示された、森の中へと舟で分け入る人物を描く《听见钟声》(228mm×158mm)や、ギャラリーに比せられる壁に囲まれた水辺で、人物が水の中へと飛び込む様を描く《别处》(970mm×1460mm)もまた、鑑賞者に作品の世界を探索し没入するイメージを増幅させる。3枚の画面で構成された《密林》(530mm×1365mm)では、密林の奥に向かう人を描いた左側の画面が、中央のハンモックに横たわる人物の背後の、光の滝のような場所に飾られている。右側の画面のシャンデリアの吊された空間で洞穴の入口に向かう人の姿は、それ自体壁面に描かれた絵画となっている。現実と絵画とは地続きであり、鑑賞者はそこに宙吊りになっているのである。作家の本展の意図を象徴する作品と言える。

《失重》(470mm×490mm)は、エメラルドグリーンの空の下、黄色と桃色との明るい海岸に白味を帯びた群青の波が打ち寄せる、明るい景観。仮に暗い色彩が用いられていれば、レオン・スピリアールト(Léon Spilliaert)の世界に転じていたかもしれない。画面の手前の草叢には、台座に人物の立像が立っていて、左に傾いている。恰も左側の蛇行する海岸線(あるいは波)に引っ張られているようだ。あらゆる物の間には引力が働いているのであるから、ブロンズ像が波に引き寄せられるのも当然である。作家は力に着目している。世界をダイナミックに捉えている。例えば、流体のような砂が絡みつく人物や、空中に巻き上げられた椅子などを描く《浮砂》(1167mm×803mm)は、常に人や物に力が働いていることを表わすものだ。力の相互関係による絶えざる変化が、感情、認識、表現に影響を与えずにはおかない。そのため、作品もまた固定されたものではなくなる。さらに、展示空間は作品による舞台に比せられることとなる(《失重》の画面には銅像の台座以外に舞台のような半円の構造物が描き込まれている)。《テーブル》、《椅子》、《カーテン》、《抱き合う人》、《蝋燭》というサイズも異なる5点の絵画で構成される《白焰火》は、役者(《抱き合う人》)、舞台装置(《テーブル》と《椅子》)、照明(《蝋燭》)、幕(《カーテン》)という演劇を強くイメージさせる作品である。《无人的房间风景居民》(1450mm×1000mm)では、紐が張られた木枠からズレた位置に、人物や室内を描いた画布に椅子を描いた画布が重ねられ、さらに樹木などを描いた背景幕や装飾のような画布も上か垂らされたり貼り付けられたりしている。1枚の絵画が舞台として提示されているようだ。ピーター・ブルック(Peter Brook)の言うように、俳優と観客との存在で演劇が成り立つのならば(「空的空間」)、絵画とそれを見る人とでも「演劇」は成り立つ可能性があると、「无人的房间风景居民」というタイトルは示唆しているのではないか。

北行》(243mm×333mm)は、草原に佇む馬と、その背に乗って手綱を摑む人物とを描いた作品。馬は人物の背丈の倍くらいの高さを持っている。馬の体は仄白く発光するようで、それが月明かりのためか、足元の燃えるような草のためかは判然としない。背後の丘の向こうには暗い空を背景に海がわずかに覗いている。作品は床に置かれ壁に立て掛けられているが、その手前に、繰り返し折り返された白い紐が潮の満ち引きを表わすように置かれている。鑑賞者の立つ床に流れ出た波は、絵画に描かれた海へと連なっている。
《蔓延回廊》(1000mm×803mm)には、桃色の壁に掛けられた肖像画が肉体を手に入れたかのように青い影を壁と床とに伸ばした様子が描かれる。夕暮れ時、崖を背にわずかに俯く顔。その首から肩にかけての途中で絵画は途切れるが、その身体を補う形で青い影の肩・胴・腕がピンクの壁面に広がる。フロアタイル(?)の床に伸びた下半身はボーダーのパンツを身につけているように見える。その床のパネルを、影から浮き立った右手が持ち上げ、左手が床を引っ張り布のように撓ませる。絵画のモティーフが現実へと食み出し、床が布≒画布へと変容する。《北行》では画面とは別に紐の実物を用いて絵画と現実とを接続してみせたことを、絵画の中で完結させて見せていると言えよう。

作品のほとんどには人物が描き込まれている(《浮回廊》、《听见钟声》、《北行》、《浮砂》、《海岸》、《别处》、《无人的房间风景居民》、《微光》、《カーテン》、《抱き合う人》、《吊灯和脉搏》、《蓝沼泽》、《密林》)。だがその人物たちの姿は抽象化されている。それは鑑賞者誰もが画面の中に遊ぶことのできるよう、絵画内のアヴァターとして機能させるためである。そして、とりわけ《微光》(530mm×725mm)や《无人的房间风景居民》の人物がそうであるように、人の姿は容易に植物に変じる。植物にだけではない。人魚(《人魚》)、あるいは銅像(《失重》)や絵画(《蔓延回廊》)も、人とその他の存在との間で揺れ動いている。そこにポストヒューマニズム的な思考が窺える。
人物の不在によってかえってその存在を意識させる椅子や、絵画の象徴であるとともに別の世界へと通じる窓なども、作家の作品の重要なモティーフである。