可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『川っぺりムコリッタ』

映画『川っぺりムコリッタ』を鑑賞しての備忘録
2021年製作の日本映画。
120分。
監督・脚本は、荻上直子
原作は、荻上直子の小説『川っぺりムコリッタ』。
撮影監督は、安藤広樹。
照明は、重黒木誠。
録音は、池田雅樹。
美術は、富田麻友美
装飾は、山崎悠里。
衣装は、村上利香。
スタイリストは、堀越絹衣。
ヘアメイクは、須田理恵。
編集は、普嶋信一。
音楽は、パスカルズ

 

山田たけし(松山ケンイチ)が駅に降り立つ。向かったのは沢田水産工業。山田さん! 社長の沢田(緒形直人)が工場から出てきて山田に声を掛ける。沢田が手を差し出ても、山田は突っ立ったまま。沢田が山田の手を取り、握る。頑張ろうよ! 沢田水産工業は主にイカの塩辛の製造を行っている。作業員がイカを包丁で切断していく。山田も見よう見まねで作業に加わる。ゆっくりでいいから、始めは丁寧に。社長の信頼の厚いベテランの中島(江口のりこ)がアドヴァイスする。作業を続けていると山田のもとに沢田がやって来る。すぐ辞めちゃう人も多い。コツコツ続けていれば、昇給もある。真面目にやれば誰でも更生のチャンスはあるからさ。
山田が仕事を終えて河川敷を歩いて行く。橋脚にはホームレスの姿がある。山田はハイツムコリッタにやって来る。長屋のような平屋の簡素なアパートが2つ並ぶ。ヤギが繋がれていて、鳴いている。山田は箒で掃除している女性(満島ひかり)に声をかける。沢田水産工業の社長の紹介で来ました、山田です。彼女は聞いていますと作業の手を止め、山田を部屋へ案内する。室内に入り、6畳、4畳半、台所と風呂場と部屋を説明する。電気、ガスはすぐ使えるようになっています。こちらが東、反対側が西、だからこちらが北で、そして私が大家の南です。古いけどここで死んだ人はいないから安心してと言い置いて南は出て行った。
風呂に入る。至福の表情を浮かべる山田。風呂を上がると上半身は裸のママ、タオルを首に巻き、南向きの窓の外を眺めながら、グラスに注いだ牛乳を飲み干す。
北側にあるドアをノックする音がして、思わず振り返る。気のせいかと思うと、再びノックされる。山田は白いTシャツを着るとドアを開ける。どうも、僕、隣の島田、よろしく。無精髭の男(ムロツヨシ)が洗面器とタオルを持って立っていた。普通引っ越しする方が挨拶するよね。風呂貸してくれない? 給湯器が壊れちゃって、3日も入ってないの。あ、銭湯行けばいいって思ったでしょ? 銭湯入るのに420円もするんで、余裕無いんだよね。僕、ミニマリストだから。お風呂入ってたでしょ? 全部聞こえちゃうんだ、壁薄いからね。無理矢理部屋に入ろうとする島田を追い返して、山田はドアを閉める。
暑い最中に黒いスーツに身を包んだ溝口健一(吉岡秀隆)が同じくスーツ姿の息子・洋一(北村光授)と並んで歩いている。すき焼きを食べることを想像しよう。関西風がいいな。まず牛脂を入れて熱した鍋に牛肉を広げるんだ。砂糖を振って、焼き色が付いたら肉をひっくり返して醤油を垂らす。醤油と砂糖が溶け合うんだ。肉の煮える音が聞こえてくるだろう。父親がすき焼きを作って食べる動作をして見せる。溝口が一見の民家に立ち寄り、呼び鈴を鳴らす。主婦らしき女性が姿を現わす。こんにちは。お暑うございます。笑顔で過ごしていらっしゃいますか。宗教の勧誘? いいえ、ただいまキャンペーン中でございまして。溝口が墓石のチラシを示す。安心して下さい。死なない人はおりません。今から用意しておけば安心です。子供を出汁にするなんて最低だね。女性は玄関を閉ざす。
沢田水産工業。昼休み。山田は近所の店に向かう。手持ちの金は276円。何も買うことができず、山田は店を後にする。職場の裏手にある防波堤に座り、そのまま倒れて横になる。目の前には青い海が広がる。強い日射しが山田に照りつける。
フラフラと帰宅した山田は郵便受けに手紙が入っているのに気が付く。その場で開封して一読した山田は、川の土手の近くにある電話ボックスに向かい、手紙の送付元である市役所の社会福祉課に電話をかける。山田と申しますが、そちらから手紙をいただいて…。え? 土手の上を黒いスーツを着た親子が歩いて行くのが見える。山田は電話に頭を打ち付け、電話ボックスの外に崩れるように出ると、地面に蹲る。ナメクジに唾を吐く。
暗い部屋に戻った山田は何も無い冷蔵庫を開けたり閉めたりする。食べるものもない山田は、寝る他にすることが無い。横になると、社会福祉課の職員から聞いた話が蘇る。見つかったときには既に亡くなっていました。悪臭で近所の方に発見されました…。山田はかけ算九九の7の段を逆順に何度も唱えていく。
山田さん! 麦藁帽子を被った島田が声をかける。生きてる? 網戸を開けて横たわる山田の様子を確認する。お、生きてた。やだよ、隣人が熱中症で死亡とか。山田は島田に背を向ける。島田は菜園で採れたトマトとキュウリを置いていく。島田が去ると、山田は振り返り、キュウリとトマトを手に起き上がる。キュウリを囓る。トマトに齧り付く。
沢田水産工業。タイムカードを切った山田に沢田が給料袋を手渡す。山田さん、お疲れ様。ほっとしたよ。1日、2日で辞めちゃう人いるから。塩辛持ってって。来月もよろしく。
山田は買い物袋を下げ、いつもの河川敷の道を通って家に向かう。山田の部屋と道を挟んで向かいの建物では、溝口の親子がスーツ姿で団扇を使っていた。
帰宅した山田は買ってきた米を研ぐ。風呂に浸かり、風呂上がりに牛乳を飲む。炊飯器の前でご飯が炊き上がるのを待つ。電子音が鳴るとともに待ちきれないといった山田が炊飯器の蓋を開け、しゃもじでかき混ぜる。茶碗に白米を装うと、卓袱台に向かい、手を合わせてから米を口に頬張り、噛み締める。寺の鐘の音と虫の声に包まれる食卓。味噌汁と海苔の佃煮、塩辛をおかずに、山田は夢中で飯を喰らう。
どうも。ちょうど良かった。これ差し入れ。島田が食事中の山田のところへ姿を現わす。風呂貸してよ。畑仕事でドロドロ。網戸を開けて勝手に入ってくる島田。でも心の準備が…。準備万端でしょ、お風呂は沸いてるんだから。島田は風呂に入ってしまう。
割烹着姿の南が台所で夕食の準備をしている。南は表に出ると、川の土手でいる娘のカヨ子(松島羽那)を呼ぶ。
河川敷。橋脚の傍に青いビニールシートのバラックが建った。山田は鍵盤ハーモニカの音色に誘われて、2つの橋梁に挟まれた場所に向かう。演奏しているのは洋一だった。彼の周囲にはホームレスが集めたものか、家電製品や電話などの廃棄物が山をなしている。山田が洋一に挨拶すると、洋一は鍵盤ハーモニカを吹いて答える。山田は扇風機を見付けると、持って行ってもいいかと洋一に尋ねる。洋一はやはり鍵盤ハーモニカを吹いて答えた。
扇風機を回して山田が寝ていると、島田が現れ、扇風機を買ったのか尋ねる。拾ったと答えると、クーラーを拾って来いとけちを付ける。島田は畑仕事を手伝うよう山田に求める。

 

出所した山田たけし(松山ケンイチ)は水産加工会社「沢田水産工業」に向かう。これまでも出所者を迎え入れて来た沢田社長(緒形直人)は山田を温かく迎え入れると、とにかくコツコツ続けることだと励ます。沢田の紹介で暮らすことになったのは、川岸に立つ古い平屋のアパート「ハイツムコリッタ」。大家の南詩織(満島ひかり)はまさに掃き溜めに鶴だった。早速風呂に入った山田のもとへ隣に住む島田孝三(ムロツヨシ)が訪ねてくる。ミニマリストを標榜する島田が風呂を借りようと侵入を試みるのを追い払う。暮らしに事欠く山田のもとに市役所から絶縁状態だった父の死が知らされた。孤独死だった。自分の行く末とも重なり、気力を失った山田は夏の盛りに冷房も無い部屋に横たわったまま動けない。島田が現れ、目の前の菜園で採れた野菜を届ける。山田は野菜に齧り付くと、気力を取り戻す。給料が入り、米を炊く。一人食事を満喫していると、島田が現れ、一瞬の隙を突いて風呂に入られてしまう。以降、山田は、野菜の見返りで、島田の菜園の作業を手伝わされ、風呂を使われ、飯を食べられてしまうという生活を送る羽目に。ある晩、山田が孤独死した父の遺骨を引き取りに行っていないと知った島田は、どんな人でも居なかったことにしてはいけないと訴える。山田は市役所に向かう。社会福祉課の堤下靖男(柄本佑)から遺骨と遺品とを渡される。遺体は腐敗が進んでひどい状況だったが、火葬場では極めて美しい喉仏が残っていたと、堤下は骨壺から喉仏を出して山田に見せた。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する)

亡くなった人や魂。生きる意味や幸せ。見えないものは見えないのではない。見ようとしていないだけだ。見ようとすれば、見えないものも見えるのである。
生きる意味が何かという問題は棚上げにして、1歩1歩進んでいく他にない。見過ごしてしまうような、ごく細やかな幸せに光を当てて、とりあえず1歩だけ前に進む力を与えてくれる作品。
出所してカツカツの生活を必死で送る山田。だが山田に父の孤独死の知らせがもたらされることで、真面目に生活したところで、行き着くのは孤独の果てに腐敗し、蛆に集られる末路しかないという厳しい現実を突き付けられる。希望もなく、死にかけた山田を救ったのは島田の野菜だった。野菜は命の乗り物だと言えよう。そして野菜は同時に精霊馬でもある。山田は父親を迎え入れることができるだろう。
魂が金魚のように空に舞い上がる話を、山田は命の電話の相談員から聞く。溝口が同じ話をカヨ子に語って聞かせるとき、溝口の状況もまた分かる。
飼い犬のための200万円の墓石と、金魚を埋めた場所に立てられた、捨てられたアイスキャンディーの棒。死者を悼む気持ちに差はない。
生きていたときにも骨はあったと考え、遺骨に対する忌避感がない南は、夫の遺骨を囓り、夫の遺骨と交わる。だが夫の子を身ごもることはないだろう。それが妊婦に対する強烈な嫉妬の原因となっている。南の欲望は、生きること死ぬことへのフラットとも言うべき向き合い方が丁寧に描かれていく中で、違和感なく受け容れられるものとなっている。
塩辛を作るため、切り刻まれたイカが大量に穴に落ちていく水産加工場と、大空に浮遊するイカ形の凧の対比も見事だ。そして、対岸(≒彼岸)に凧が揚がっているのを見た島田が、俺も連れてってくれと叫んで走っていく場面が忘れがたい。
ラクタ感のある音楽も登場人物や作品にふさわしい。