可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 会田誠・曽根裕二人展『-・-・ ・- -・ ・-・・ ・-- -・・- ・・-- -・・ ・・ --- ・---- ・・--- ----- ---・・ 侵攻の記憶』

展覧会『会田誠・曽根裕展「-・-・ ・- -・ ・-・・ ・-- -・・- ・・-- -・・ ・・ --- ・---- ・・--- ----- ---・・ 侵攻の記憶」』を鑑賞しての備忘録
ミヅマアートギャラリーにて、2022年9月21日~10月15日。

モールス信号表記による「ニイタカヤマノボレ1208」をタイトルに冠した、会田誠と曽根裕との二人展。

会田誠《紐育空爆之図(戦争画RETURNS)》(1740mm×3820mm)は、ニューヨークの摩天楼が炎に包まれる中、上空を日の丸の戦闘機が∞の形に旋回飛行する場面を描く。太平洋戦争において、アメリカ軍の爆撃機による日本本土空襲の恨みを晴らす、日本の戦闘機による報復作戦を夢想するものであろうか。と言うのも、作家は「うらみ・ます」と題したエッセイを(タイトルに借用した中島みゆきの「うらみ・ます」の歌詞にある「ドアに爪で書いてゆく」イメージを響かせる)ガリ版で印刷した紙を壁に掲示しているからである。そこで、中学生時代から十五年戦争に関心を持っていたと述懐する。

 僕が心動かされるのは、いつも決まって人々の心だった。平穏な生活を送っていたところに突然侵略者が現れ、生活が根こそぎ蹂躙される被害者、およびそれをやる加害者――双方の現場における極限的な心理状態。(略)
 そんな人間なので、ロシア軍の侵攻が始まりひと月ほど経って明らかになった、いわゆる「ブチャの虐殺」を知った時には、強い既視感に襲われた。(略)僕はとっさに「ああ、また、かつて日本軍が中国などでやったような容易には消えない恨みを生むことをやってしまっている…」と思った。(会田誠「うらみ・ます」より)

日の丸の戦闘機が∞の形に旋回飛行するのも、恨みが無限に続いていくことを表わすのであろうか。「恨み」は「増す」他ないのか。

曽根裕《玉山/新高山 No.1》(610mm×915mm)・《玉山/新高山 No.2》(4000mm×500mm)は、青空を背景に冠雪した玉山山頂をを描いた作品。玉山は台湾を統治していた時代、新高山と呼ばれ、富士山を超えて最も高い山であった。真珠湾攻撃を命じた暗号電文「ニイタカヤマノボレ1208」に登場する山である。富士山から新高山へ。より高みを目指す運動は、帝国主義の膨張政策と資本主義の拡大と軌を一にする。なおかつ、絵画が複数化しているのも、資本蓄積を思わせる。2枚の絵画の手前には、雪玉を模した、やや歪な白い球体《Snowballs》が置かれている。雪玉は雪合戦を介して戦争のイメージを招き寄せるより、転がって次第に大きくなっていくことから、やはり帝国主義や資本主義を連想させる。

両作家の作品を併せ見ることで、資本主義、帝国主義、戦争、恨みが蓄積されていくイメージが生まれる。
ところで、会田誠は、「うらみ・ます」とともに「海のCURE」というエッセイを掲示している。すぐ治ると思われた皮膚炎が「腹に背中にとその赤黒い領地を広げ続け」、「もはや全身が痒い感じで、とうてい安眠などできない」悲惨な事態に至り、医師も有効な手立てを講じられない中、海水浴に縋ることにした顚末を描いている。作家は、波打ち際に対して平行になるよう海中を歩行することを繰り返す治療法を編み出し、見事に治癒させたという。ここで、拡大を続けた皮膚炎とは、資本主義、帝国主義、戦争、恨みのメタファーであろう。作家は、それに対して海水浴(海中歩行の繰り返し)という対処法を提示するのである。
再び、《紐育空爆之図(戦争画RETURNS)》に目を向けよう。高さを競う摩天楼こそ、資本主義、帝国主義、戦争、恨み――ひいては皮膚病――の象徴である。ホログラムにより輝く「日の丸」の戦闘機は、「太陽」光線の象徴であり、紫外線により皮膚病を治療すると言うのか。そうではない。確かに海水浴に日光浴は付き物であるが、ここでは、やはり海水に着目すべきである。描かれた戦闘機は(おそらく)日本「海」軍の「零」式艦上戦闘機である。零戦が∞の旋回飛行をするのは水の循環を表わしている。富士山から新高山へに象徴される、より高みを目指す運動を冷却するのは、山頂に降り積もる雪である。雪は融け、川となって、海に流れる。まさに水に流すこと(=零)になる(ウィリアム・ケントリッジの"FORGIVE"に通じよう)。海で水は蒸発し、再び雪となって降るだろう。冷静になって、水に流すことの繰り返し。それが作家の提示する治療法であった。