映画『ミューズは溺れない』を鑑賞しての備忘録
2021年製作の日本映画。
82分。
監督・脚本・編集は、淺雄望
撮影監督は、大沢佳子。
照明は、松隅信一。
録音は、川口陽一。
美術は、栗田志穂。
ヘアメイクは、佐々木ゆう。
整音は、小宮元と森史夏。
音楽は、古屋沙樹。
画用紙に鉛筆で線を引く。消しゴムで消す。再び線を引く。
力みすぎて線が固くなってる。もっと大事なのは心よ。顧問の田口先生(新海ひろ子)が鉛筆を木崎朔子(上原実矩)から受け取り、線を引いてみせる。絵画コンクールに出品する作品を描くために美術部の面々が港にやって来ていた。朔子は白い漁船を描こうとしてなかなか線が決まらない。先生は朔子が美大志望と認識しており、指導に熱が入る。
まだ描いているの? 適当に完成させちゃえば。大谷栄美(森田想)が朔子の画用紙を見て呟く。SF研究部の部員の井上うらら(渚まな美)と吉村流星(桐島コルグ)は追いかけっこしているようにしか見えないが、部長の吉村がスマートフォンで撮影しているのは、学園祭で上映する映画の素材にするのだろう。西原光(若杉凩)はいつもの通り、皆とは距離を置いた場所に陣取り、黙々と制作していた。あっ! 走り回っていたうららが朔子にぶつかり、朔子はそのまま海の中へ。
階段の踊り場。海に落ちてから浮かび上がり、顔から水が垂れ、手で海面を叩いている朔子を描いた絵画が壁に飾られている。描いたのは西原。絵画の全国コンクールで審査委員特別賞を受賞した。朔子と一緒にいる栄美が絵を見て笑う。栄美は朔子に対する顧問の指導を批判すると、朔子も美大目指してる訳じゃいのにと同調すると、てっきり美大に進学すると思っていた栄美は驚く。話している2人の脇を西原が通り抜けて階段を降りて行った。後から階段を下ってきた田口先生が、西原に新聞社から取材申し込みがあったものの、本人が取材に乗り気じゃないのだと朔子と栄美に溢す。先生は、進路希望調査票を出していないのは西原と朔子だけだと言って、西原が美大志望かどうか朔子に尋ねるが、西原について朔子はよく知らなかった。
美術室に向かいながら朔子が栄美に進路を尋ねると、美容の専門学校に決めたという。美術室には西原がいて、栄美が声をかけるが、西原はいつも通り無言。朔子は何でもないですと西原に告げる。予選勝てるかな、うちの学校、野球弱いからな。栄美は野球部の遠藤(佐久間祥朗)が朔子を気にしていると伝えるが、朔子はどう反応していいか分からない。タイミング良く遠藤が美術室の外にある水道にやって来る。受賞おめでとう、必死な顔だなと言って遠藤は朔子にグラブを預ける。私の作品じゃないと否定する朔子。遠藤は水で顔を洗う。次に予選で当たるのが優勝候補の学校で負けも同然だから頑張る必要はないと遠藤が言うと、栄美が何でそんなこと言うのと怒り出し、美術室を出て行く。朔子が後を追う。
廊下で栄美は朔子に遠藤が好きだと告白する。恋愛に溺れるなんて馬鹿馬鹿しいって思ってるでしょ。でも好きな人には幸せになって欲しい。私は朔子の考えてることが分からない。栄美は朔子を置いて、別の生徒と下校する。
朔子が1人家に向かう。家のある一帯は区画整理事業が進み、真新しい更地に重機が置かれている。朔子の家も近々解体予定だ。家に着くと、門から玄関までの通路に白い羽が落ちているのを見付ける。軒下に白い鳩が巣を作っていた。
朔子が玄関を開ける。ただいま。家の中の物は大方片付き、所々に段ボール箱が置かれている。階段を登ろうとしたところで、大きなお腹をした臨月の聡美(広澤草)が降りてくる。お帰りなさい。引っ越しで何か手伝えることあったら言ってね。
自分の部屋で朔子はビニール袋に処分する物を入れてく。スケッチブックに描きかけの漁船の絵は破いてしまう。本棚のフィギュア、クローゼットの資料。クローゼットの中には、親子3人の姿を描いた朔子の絵が隠すように貼ってある。
居間では壁に飾ってあった写真を聡美が片付けている。壁の高いところに掛けてある時計を外そうとしているところに出会した朔子が、聡美に代わって脚榻に上がる。そこへ父の拓朗(川瀬陽太)が帰ってくる。食事の用意のために台所に立つ聡美に、父は先に風呂に入ると告げる。まだお風呂の準備ができてないの。いいよ、いいよ、俺がやるから。デレデレと対応する父がコソコソと聡美とイチャついているのが朔子の気に触る。
木崎朔子(上原実矩)は、美術部に所属する高校3年生。幼い頃から絵を描くのが好きで、美術大学への進学を考えていた。だが最近は絵を描くことができない。父の拓朗(川瀬陽太)と再婚相手の聡美(広澤草)との間にもうすぐ子供が生まれる。家は区画整理の対象地域に当たるため解体が決まっていて、引っ越しが迫っている。絵画コンクールに出品するために美術部の面々と港に写生に出かけた際、同行していたSF研究部の井上うらら(渚まな美)と吉村流星(桐島コルグ)が巫山戯ていて、朔子が海に落とされてしまう。いつも周囲と距離を取っている西原光(若杉凩)が冷静にその場面をスケッチし、描いた作品がコンクールで審査員特別賞を受賞して話題となる。地元の新聞社の取材を受けた西原は、記者に次回作について問われ、改めて朔子をモデルにすると答える。同じ美術部所属の友人・大谷栄美(森田想)は西原は絵じゃなくて朔子が好きなんじゃないかと勘繰る。栄美は、想いを寄せる野球部の遠藤(佐久間祥朗)が朔子に気があることで嫉妬していた。朔子(上原実矩)は、美術部顧問の田口先生(新海ひろ子)に退部を切り出すが、朔子のスランプを承知している先生は文化祭に向けて作品を完成なさいと告げる。
(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)
家が解体されることと、継母の子供が生まれること。朔子が変化の波に呑まれている。とりわけ壊れた掛け時計は、実母と父親と朔子の3人の姿を描いた幼い頃の絵と相俟って、聡美が入ってくる前の家族を象徴する。朔子の時計の針は文字通り止まっていて、新たな時間を表わす線を描くことができない。朔子が、絵を描くのではなく、家にある品々を使って舟のオブジェを作り上げることになる。変化の波を越えて行くための舟である。
解体される家と古い掛け時計とは類比である。家に巣をかけた白い鳩は、鳩時計をイメージさせるために配されている。家の解体に先んじて放たれる白い鳩は、時計が象徴する過去の桎梏から解放されて飛び立つ、朔子の姿である。
朔子に想いを寄せる遠藤が、水道で水を浴びるのは、絵画において朔子が水を被っている姿に自らを重ね合わせるためだ。
『ミューズは溺れない』というタイトルには、ミューズ(=ヒロイン)が恋愛に溺れないことを示している。ヘテロセクシャルの父親と継母、栄美、そしてレズビアンの西原との対比で、ヒロイン朔子のアセクシャルが引き立てられる構造となっている。
西原が「溺れる」朔子の絵画は、実は溺れる場面ではない。朔子が恋愛に溺れようにも溺れることのできない苦しさをこそ描いている。
西原が朔子をモデルに肖像画を制作する。西原が朔子に自らに目を向けるよう促す。朔子は直視(=欲望)に耐えられず、逃げ出す他ない。
美術室で、それぞれに異なる志向を持つ朔子、西原、栄美の対峙・対話こそが本作のテーマだ。
学校、自宅など、階段を上り下りする場面が繰り返し登場する。とりわけ学校の階段は螺旋的な動きを生む。
作業音を用いた音楽や、映像に音を用いて別の場所を重ねていくなど、音の使い方も印象的。