可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 木戸涼子個展『Time for a snack Vol.2』

展覧会『木戸涼子個展「Time for a snack Vol.2」』を鑑賞しての備忘録
Gallery KIDO Pressにて、2022年8月27日~10月2日。※当初会期(9月25日まで)を延長。

果物、菓子、アイスクリーム、ご飯など食べ物をモティーフとした絵画10点で構成される、木戸涼子の個展。

《pudding a la mode》(455mm×333mm)には、褐色の背景に、器に盛られたプリン、オレンジ、リンゴ、バナナ、メロン、サクランボ、クリーム、ミントが描かれている。岸田劉生の描く静物のモティーフが華やかなプリン・ア・ラ・モードになっているような印象である。あっという間に食べられてしまう、その儚さをを思えば、ヴァニタスの伝統に連なると言って良い。
《momentary》(600mm×300mm)では、アイスクリームディッシャーで丸く取られたアイスクリームだけを縦に5つ並べている。溶けてしまうアイスクリームこそ、儚い存在として、ヴァニタスにふさわしい。もっとも《pudding a la mode》のように器が描かれていないため、アイスクリームの物体性が際立つ。しかも器から解き放たれるとともに、アクロバティックに積み上げられている。重力に抗する点に着目すれば、直立二足歩行を行う人間の寓意と読むことが可能だ。あるいは、大小の球体の直列と捉えれば、惑星の姿を見ることもできる。
《it's gone》(455mm×333mm)には、暗い背景にパイナップルの果実から切断された冠芽の部分が描かれている。厳めしいパイナップルでさえも儚い存在であることを伝え、死を連想させるタイトルとともにヴァニタスにふさわしい。

《tenkomori》(990mm×990mm)は、天こ盛りのご飯の上に梅干しが載っている様子を仰視するように描く。実物に比してかなり拡大されて表わされ、米の1粒1粒が巨大である。何より、梅干しが、赤いタイツを身に付けた人物の蹲る姿に置き換わっている形が奇異な印象を生んでいる。人を梅干しに擬態させることで、白米に支えられている身であることを訴えるのであろうか。

《caramels 1》(1170mm×910mm)は、個包装された、あるいは包装を剥がされたキャラメルを暗褐色の背景に表わした作品には、包み紙がわずかに剥がされたもの、半分ほどキャラメルの姿が覗くものなどもある。その違いが、静物画の中に動きを生んでいる。9個のキャラメルのうち、8つは画面上部に置かれているが、1つだけ画面の下部の外れた位置にある。8つはやや手前上方から俯瞰して描かれているのに対し、離れた1つだけは異なる角度から描かれているために、他のキャラメルから離れて落下するイメージを作っている。画面下部が画面上部に比べてより暗く表わされているために、どこまでも果てしなく落下して行ってしまいそうな不穏さがある。

《Time for a snack》(333mm×530mm)は、青いゼリー(ジェロ)、ツートンカラーの三角錐状のチョコレート(間違いなく明治のアポロ)、色取り取りの糖衣チョコレート(おそらく明治のマーブル)、個包装されたキャラメル(おそらく森永のミルクキャラメル)を並べて描いた作品。青いゼリーの上部だけを切り取り、恰も成層火山の山頂のように捉えた《jello》(100mm×100mm)とは異なり、大理石を名乗り糖衣で完全防備のマーブルと並べられることで、透明感のある青いゼリーのフルフルした感触が伝わる。ゼリーの右側にはピンクと茶の円錐状のチョコレートが3つ並べられ、かつ2つ宙に浮いている。あるいは異時同図で、アポロ宇宙船が着陸する様子を表わしているのかもしれない。アポロが引き寄せる宇宙のイメージは、ジェロを未知の宇宙船に変貌させる。カラフルなマーブルは『未知との遭遇(Close Encounters of the Third Kind)』(1977)でやり取りされた、宇宙船との光と音を用いたコミュニケーションを想起させる。3つあるキャラメルの1つの包装が解かれているのは、宇宙の謎がまた1つ解明されようとしていることを示しているのかもしれない。おやつの時間は空想の時間。見立ての時間だ。