映画『愛してる!』を鑑賞しての備忘録
2022年製作の日本映画。
94分。
監督・編集は、白石晃士。
脚本は、白石晃士と谷口恒平。
企画監修は、高嶋政宏。
撮影は、池田圭と根矢涼香。
照明は、松本竜司。
録音は、岸川達也。
整音は、岩丸恒。
装飾は、安藤真人。
スタイリストは、藏之下由衣。
ヘアメイクは、升水彩香。
音楽は、森優太。
SM監修は、蒼月流。
わたしもあなたもネコになる! ライブハウスのステージではユメカ(乙葉あい)が率いる3人組のアイドル・ユニットが歌い踊り、観客がペンライトを振って声援を送っている。3人が歌い終えて退場すると会場は暗転。赤い爆弾娘、ミサ・ザ・キラーの入場です! 呼び込みとともに赤いライトが点灯し、プロレスラーの衣装に身を包んだミサ(川瀬知佐子)がステージに上がる。激しく歌い踊るミサ。だが観客は疎らになっていた。
ステージ終了後の物販。ミサ・ザ・キラーのブースに客は並ばず、ミサはグッズを並べたテーブルの前でトレーニングに勤しんでいる。ガタイのいい客(今成夢人)がユメカに自分の胸筋を触らせるなど、執拗にスキンシップを取っていた。見かねたミサがプロレス技を繰り出してセクハラ男を床に倒す。大事なお客さんの中村さんに何するんですか! ミサはユメカから感謝の言葉ではなく、非難の言葉を浴びるのだった。
ミサが1人トボトボと階段を上がっていると、毛皮のコートを纏ったサングラスの人物(ryuchell)から声をかけられる。ミサ・ザ・キラーにピッタリの場所があるよ。ウチに来てくれたら最高のアイドルになれる。差し出された名刺には大きなHのロゴの下に「椿」とあった。
サヤは自室で食事をとっている。佐藤さん、何か飲みます? サヤはカメラを回しているドキュメンタリー映画監督の佐藤(根矢涼香)に声をかける。先日のライヴから、サヤは佐藤の密着取材を受けていた。もっともユメカの客に暴力を振るったとして、あのライヴハウスは出禁になってしまった。
サヤは椿に会いにHというクラブに向かう。そこはSMクラブだった。
ミサ(川瀬知佐子)は、プロレスラー「ミサ・ザ・キラー」として活動していたが、そのスタイルのままアイドルに転身した。ある日ライヴハウスで行われたコンサートの後、物販でユメカ(乙葉あい)につきまとう客(今成夢人)をプロレス技で撃退したところ、そのライヴハウスを出禁になってしまう。失意のミサだったが、顚末を目撃していた椿(ryuchell)から、ウチに来てくれたら最高のアイドルになれると声を掛けられる。名刺を手に椿の店に向かうと、そこは大規模なSMクラブだった。椿は女王様をやらないかとミサに持ちかける。椿が新人を口説いている場面に通りがかった高嶋政宏(高嶋政宏)が、SMクラブは自分らしくいられる場所だとミサに訴える。鬱陶しく感じたミサは、高嶋を倒して股間を踏み付け喜ばせ、却って女王様の素質を披露してしまう。あくまでもアイドルだと立ち去ろうとしたとき、ミサはステージに姿を現わしたカノン(鳥之海凪紗)に目を奪われる。
ミサの前に初めて姿を見せたカノンは落ち着いたワンピース姿で、いわゆる女王様のコスチュームではない。突然裾を捲り上げて下着を身につけていない下腹部を見せ、陰毛を剃るよう迫り、「黄金水」を飲ませるまで一気に畳み掛けてミサを籠絡してしまうカノンの手腕が見事。ミサはカノンの虜となる。
SMプレイの最中に「止めて」などの言葉が字義通りに機能しない。そのためにプレイを中止するために特殊な言葉を予め決めておく。ミサはカノン女王様との間で「愛してる」をその言葉として(椿に促されて行きかがりで)採用することになる。だが、ミサがカノンに「愛してる」と発するとき、それはプレイを中断するためのものではない。ミサは「愛してる」という言葉を本当に大切な局面でしか用いないと決めており、それを自然に漏らしたに過ぎない。だがカノンはミサの前から立ち去ってしまう。尤も優れた女王様であるカノンは、奴隷であるミサの本心を把握している。言葉の意味の曖昧さないし揺らぎ(あるいはメタメッセージ)をSMプレイによって浮かび上がらせるとともに、およそ言葉のやり取りというものがいかに字義通りにいかないものかを訴える。
放尿は自分の本心を曝け出すという言葉の、また飲尿はそれを受け容れる言葉の、それぞれ代替行為になっている。その言葉を介在させないメッセージのやり取りが円滑に遂行される時、理想的なコミュニケーションが完成する。
例えば、全裸で公道に出ることは法律に抵触する。刑罰などの制裁を伴う法に限らず常識・道徳など社会規範の存在こそが快楽の源泉となっている。仮に服を身につけない文化であれば、裸であることは極めて自然であろう。従って、(役としての)高嶋政宏が訴えるように皆が自由に欲望を曝け出した場合、欲望を曝け出すハードルが下がり、結果として快楽を感じづらくなってしまうというパラドックスに陥る。やはり快楽には縛りが必要なのであろう。
ドキュメンタリー映画のための密着取材をしているという設定にしたのは何故だったのだろうか。とりわけミサが一目でカノンに心を奪われるシーンは、主観映像などを用いてもっと衝撃的に描く手もあったように思われる。それこそ、手法に縛りをかけていたのであろうか。
冒頭、ユメカが「わたしもあなたもネコになる」と冒頭に歌っていたのは、ユメカとミサがカノンの「ネコ」になることの伏線を張るためであったとは。
ミサを翻弄する女王様カノンを演じた鳥之海凪紗に説得力があった。