展覧会『八木マリヨ・八木夕菜「地殻を辿る」』を鑑賞しての備忘録
ポーラ ミュージアム アネックスにて、2022年9月16日~10月23日。
八木マリヨと八木夕菜の二人展。
八木マリヨ《鉄の惑星―東経110度北緯50度地点 2000万年後》は、波状に切断した鋼材を円筒状に並べ、縄の表面の螺旋構造を表現したものを立て、その上に、不定形に切り出した鋼板を3枚、外側がやや反るように折り曲げたものを重ねた作品。作家は、DNAの二重螺旋構造に象徴される縄の形態に生命の根源を見る「縄ロジー」を提唱しているという。
縄は注連縄に通じる。注連縄は蛇の交尾に擬えられる。蛇自体も男根に見立てられる。太古からの蛇信仰もまた、蛇に生命の根源を見ているからと言えよう。
多くの自然物の中で、際立って蛇に見立てられたものは樹木であり、その樹木の中でもその第1位は蒲葵であった。
蛇信仰のよってきたるところはまず蛇の形態であって、蛇の頭部およびその尾に及ぶすべての形が男根を連想させる点にある。したがって、蛇に見立てられる樹木の第一条件も、やはり男根相似ということになる。そこで、下枝が分岐せず、幹が直立で、木肌そのものも蛇のそれに近い亜熱帯のヤシ科の植物、蒲葵が蛇に見立てられ、聖樹として信仰されたが、おそらくこ信仰の担い手は南方から稲作を列島に持ち込んだ人々であったろう。
蒲葵は日本古典の中では檳榔の字が宛てられ、この木と混同されているが、古和名はアジマサ、沖縄ではクバと称されている。
(略)
また、蒲葵の葉は白く晒すことができるが、このようにして繊維化された蒲葵の葉の代用としては、菅・藁などが挙げられ、蒲葵葉の入手困難な日本本土では、これらはすべて蛇に還元されうる植物として捉えられる。(略)藁は注連縄をはじめ神事に不可欠の植物繊維であり、菅・藁でつくられる蓑・笠が神話に登場し、民俗の中にも数多く見られ、謡曲「善知鳥」の中で蓑笠が物言わぬ主役を演ずるのもその背景に祖霊としての蛇が潜んでいるためと私は解釈したい。(吉野裕子『蛇 日本の蛇信仰』講談社〔講談社学術文庫〕/1999年/p.58-61)
《鉄の惑星―東経110度北緯50度地点 2000万年後》の長いタイトルは、蛇の姿のようでもある。また、近くに展示された、八木夕菜《Surface #3》の稲穂の写真も、蛇信仰を伝えた「稲作を列島に持ち込んだ人々」を想起させる。
そして、注連縄(蛇の交尾)の形象は、生命の根源から宇宙の始原へと通じる。
たとえば、隣国中国の天地開闢の創世神は伏羲、女媧の陰陽神であったが、この二神の神像は人面蛇身の兄妹神で、しかもその尾を互いにからませ合っているから夫婦関係を示している。要するに、中国の祖神は蛇なのである。この蛇の夫婦神は劫初の洪水をのがれ、天の裂け目をつくろって平和をもたらし子孫を残して栄え、人間の祖となったのである。(吉野裕子『蛇 日本の蛇信仰』講談社〔講談社学術文庫〕/1999年/p.27)
「縄ロジー」は蛇を介して宇宙の誕生へも広がってくのである。
ところで、八木夕菜は、硝子瓶に詰めた原油《燃ゆる水》や和紙の上に置いた天然瀝青《燃える土》を出展するなど、原油をモティーフとした作品を中心に出展している。八木マリヨ《鉄の惑星―東経110度北緯50度地点 2000万年後》の縄状の円筒部とその頂部からの鋼材の不定形の広がりには、原油が地中から噴出して溢れ出すイメージを見るべきだろう。
八木夕菜《43.29544458129679,141.39991568990612》は、北海道石狩市の厚田油田跡で地面に置いて原油を染み込ませた和紙6枚を、2つの棚の硝子製の棚板に3層に並べた作品である。やはり長いタイトルは蛇がのたくっているようではないか。和紙が地を這っている姿にも、蛇のイメージを喚起することは不可能ではあるまい。また、八木夕菜《oil slick #1》は、地表に湧き出た原油の表面を撮影し、横幅の長いアルミ板(720mm×2500mm)にプリントした写真である。虹色の干渉縞に虹蛇を見るのは、牽強附会に過ぎようか。