可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会『南桂子展 透き通る森』

展覧会『南桂子展 透き通る森』を鑑賞しての備忘録
ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクションにて、2022年7月16日~10月23日。

南桂子の45点のエッチング[01-42, 53-57]と2点の油彩[50-51]を中心に、所有していたアクセサリーや図鑑などが併せて紹介されている。地下展示室の「書かれたい物語がひそんでいる絵」のコーナーに展示される21点のエッチングは、小説家の小川洋子の選出による。浜口陽三の版画(メゾチント、リトグラフ)10点[19-21, 43-49]なども展示されている。

《山》[06]には、丸い太陽が照りつける中、二次関数のグラフ(上に凸)を思わせる2つの山とその手前に1匹の羊が佇む弧を描く丘が表わされている。連なる山とそれらに挟まれた太陽、さらには波のようにも見える丘の盛り上がりのためか、《日月山水図屏風》の右隻を想起させる。山は横や斜めに区画され、点在する木々を描き込んだ部分と、地層の模式図のような部分、円や三角形や市松模様のような幾何学的な模様が埋めた部分で構成されている。

小川洋子の短篇に「黒子羊はどこへ」がある。貿易船が座礁して漂着した2頭の羊を引き取った寡婦。羊たちは全てが黒い子羊を残して死ぬ。村人たちが忌避する黒子羊を見ようと幼い子供たちが集まったことをきっかけに寡婦は託児所『子羊の園』の園長となった。その結末。

 偉人でなくとも、羊でなくとも、やはり園長にも“ある日”は訪れた。(略)園長は濡れた芝生に足を取られ、運河に滑り落ちて死んだ。(略)
 どんな葬儀であろうと、葬列というのは長いものと決まっている。うな垂れた者たちが一列に連なり、無言でゆっくりと歩めば、人数にかかわらずそれは長々とした印象を与える。どこへも行き着きたくないのに、仕方なく歩いているような、どこへ向かっているのか尋ねようにも言葉が上手く浮かんでこないような、茫洋としたその長さは、もしかしたら最後尾は世界からはみ出しているのではないだろうか、という不安さえ呼び起こす。
 (略)
 本当に黒子羊は行き先を知っているのだろうか。ふと村人たちは不安を感じるが、口に出して問いただず結城は持てないでいる。子どもたちはたとえ自分がよく知っていることでさえ、それを言い表す術を持っていない。彼らが知っていることは、とても遠い場所に隠されている。例えば皆から忘れ去られた、生い茂る藪の奥や、羊歯に覆われた冷たい窪み。黒子羊が持つ2つの瞳でしか見通せない、遠い場所。子どもたちが口にできるのは、せいぜい偉人伝の文字だけが。
 ゆるゆるとした葬列は時に蛇行し、転がる石にリズムを乱し、坂道を上り下りしつつも、止まる気配は見せない。やがて木立の間から海が見えてくると、黒子羊はそちらに頭を向け、角を宙に捧げ、まるで何かを懐かしむように瞬きをする。離れた2つの瞳が結び、海の果てをじっと見つめる。風が少しきつくなってきたのか、村人たちの髪がもつれ、喪服の裾がなびいている。(略)
 太陽が真上に近づくにつれ、黒色はより深みを帯びてくる。それに導かれて人々は、死者に相応しい場所を目指してどこまでも歩いてゆく。(小川洋子「黒子羊はどこへ」小川洋子『約束された移動』河出書房新社河出文庫〕/2022年/p.194-196)

小川洋子は、常に「海の果て」すなわち死を「じっと見つめる」ように促す作家である。海(=洋)という冥界へと導く流れ(=小川)であり、まさにこの場面に描かれる黒い子羊(≒水羊子=洋子)のようだ。その絵解きが南桂子の《山》[06]と言えまいか。

《森の中の城》[05]の前景に広がる針葉樹林(?)、あるいは《山と鳥》[08]の後景の3つ連なる山などは網干の表現を髣髴とさせる。

 網干の模様は、漁業用の網を浜に干した情景を描いたおので、中世には水墨で描かれた山水図などの水辺の景のなかにみられる。工芸意匠としては平安時代後期の和鏡に網干が文様としてクローズアップされて、千鳥とともに表わされている。近世になると竿にかけた網のつくり出す三角形がデフォルメされ、絵画や工芸意匠として盛んに描かれた。とくに海北友松の作とされる「網干図屏風」は、近世初頭を代表する網干図で、二等辺三角形のように屹立する幾何学的な図様の網干を大胆に描いている。
 志野と織部では網干と千鳥、あるいは葦などと組み合わせて描くものがみられ、うつわのかたち自体としても網干が造形化されている。この網干のモチーフをみると、網目を表わす点などから、籠や籠目のモチーフとの近似性を想起させる。籠も蛇籠や魚籠など網干と同じように水辺に関連する器物であり、おそらく籠がもっていた邪気を祓うような寓意を有していたのではないだろうか。あるいは彼岸と此岸の境界である浜辺に屹立するその姿から、神の依代とも見なされていた可能性もあるだろう。(財団法人出光美術館編『志野と織部』財団法人出光美術館/2007年/p.173〔荒川正明執筆〕)

網干は、神の依代となる山や魂を運ぶ鳥とともに、彼岸と此岸の境界のイメージを引き寄せている。

 お城も鳥も羊も魚も少女も、版画に描かれたものたちは皆静かだ。自らは何も語らず、働きかけず、与えられた場所にすっとおさまっている。
 その証拠に、例えば少女と名付けられた彼女たちの黒い瞳や固く閉じた唇やなで肩のラインは、幼さよりも老成した寂しさを感じさせる。特に羊を連れた彼女の足元の、何とひっそりしていることだろう。見送る人もないまま、羊と犬と一緒に、これから死者の国へ歩み出そうとしているのではないかと、思ってしまうほどだ。
 本当ならば、静か、などというありふれた言葉はふさわさしくないのかもしれない。そこにはどんな言葉も届かない、深くて澄んだ空気が流れている。
 しかし、無音とは違う。耳を澄ませば、さまざまな生ものたちの気配が伝わってくる。くもが繕う網の震え、岩肌にぬめりの筋を残すかたつむり、風に飛び立つポプラの綿毛、太陽の光を浴びて光る毛虫のつやつやした毛、草をはむ羊の舌、海草とともに揺らめく赤い魚の鰓……。ありとあらゆる気配が重なり合い、溶け合って、静けさのベールを織り上げている。(「書かれたい物語がひそんでいる絵」のコーナーで紹介されている、小川洋子の文章より)

例えば、城を後にする少女と羊とを描く《青い城》[24]には、城壁の右側に小さく少女と後に従う羊とが小さく表わされている。そのすぐ先には下りの階段があり、冥府下りであることが暗示されている。南桂子の描く、「死者の国へ歩み出そうとしている」かのような静謐な世界。その世界は生者の国と死者の国との境界に位置している。その境界は網によってごく緩やかに仕切られているに過ぎない。そして、そこに佇む少女は人形でなければならない。操る者の手によって息を吹き返し、捨て置かれるときに息を引き取る。人形は境界を行き来する存在だからである。南桂子の描く少女――例えば《少女と青い鳥》[16]》――が直線的な線で表わされる理由はそこにある。