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芸術鑑賞の備忘録

展覧会『日本の中のマネ―出会い、120年のイメージ―』

展覧会『日本の中のマネ―出会い、120年のイメージ―』を鑑賞しての備忘録
練馬区立美術館にて、2022年9月4日~11月3日。

クロード・モネ(Claude Monet)などに比べ点数の少ない、エドゥアール・マネ(Édouard Manet)の将来作品に、マネの影響を受け制作された日本の芸術家の作品を組み合わせて紹介する企画。第1章「クールベ印象派のはざまで」、第2章「日本所在のマネ作品」、第3章「日本におけるマネ受容」、第4章「現代のマネ解釈―森村泰昌福田美蘭」の4章で構成される。なお、[ ]の数字は出品番号である([***]はカタログ未掲載作品を、[---]は本展未出品を表わす)。

2階にある展示室1の冒頭には、マネが、フランシスコ・デ・ゴヤ(Francisco de Goya)が描いた戦争画を参考に描いた《バリケード》[061]が掲げられている。背景を簡略化しつつ、前景に描いた兵士たちの姿を際立たせた作品である。この兵士たちは、ゴヤの《1808年5月3日、プリンシペ・ピオの丘での銃殺》を踏まえた自作《皇帝マクシミリアンの処刑》から引用されている。マネの筆遣いの特色とともに、名画を自由に再構成する手法を端的に示している。
続いて、マネを美術史にどう位置付けるか、先行するギュスターヴ・クールベ(Gustave Courbet)や、後進の印象派の画家たちと比較させる(「第1章:クールベ印象派のはざまで」)。
クールベは実在し観察できるものしか描けないとレアリスムを標榜して伝統的規範に挑戦したのに対し、マネは同時代のブルジョアジーの風俗を画面に再構築しつつ、あくまでもサロン(官展)での成功を目指した。それは、印象派の画家たちが筆触分割の技法によって刻々と変化する現実を描き出すのとも異なるという。
ギュスターヴ・クールベ(Gustave Courbet)の《雪の断崖》[002]は、ノルマンディーのエトルタの海岸と山間部のオルナンの雪景という目にみえるものを描くレアリスムの作品であるとともに、異なる景観が自由に組み合わせれる点で、マネの手法に通じるものが示されている。

マネが印象派の影響を受けた作品としては、アルジャントゥイユでのモネとの交流の中で制作された《アルイジャントゥイユ》[---]がある。本展では、モネの作例として《アンティーブ岬》[006]が展示されている。近くに掲げられた《サラマンカの学生たち》[011]と、3階展示室の冒頭に飾られた《散歩(ガンビー夫人)》[015]とを対照すると、マネが印象派をいかに咀嚼したか偲ばれる。
その他、マネの後進に当たる画家の作品としては、ポール・セザンヌ(Paul Cézanne)の《水浴》[003]、カミーユピサロ(Camille Pissarro)の《エラニーの牛を追う娘》[004]、アルフレッド・シスレー(Alfred Sisley)の《モレのポプラ並木》[005]や《ロワン川沿いの小屋、夕べ》[007]、ピエール=オーギュスト・ルノワール(Pierre-Auguste Renoir)の《髪を結う少女》[008] 、メアリー・カサット(Mary Cassatt)のマリー=ルイーズ・デュラン=リュエルの肖像》[009]、さらにエドガー・ドガ(Edgar Degas)の『ルキアノスの娼婦たちの無言劇』の挿絵[010]が展示されている。

展示室1の後半は、17世紀のスペインを舞台にしたピカレスク・ロマン『ジル・ブラース物語』の一場面を描いた《サラマンカの学生たち》[011]や、ディエゴ・ベラスケス(Diego Velázquez)(現在ではベラスケス作とは考えられていない作品を含む)の影響を受けた作品[019, 035, 042, 045, 052]など、主にスペイン趣味の作品が紹介される。

 (略)マネはスペイン絵画から現実感覚とその表現に優れるゴヤとベラスケスに惹かれたと言えよう。特異な才能を見せるゴヤに触発され、自らの感覚で同時代の主題を再解釈した作品は印象に残る。とはいえ、己の芸術ともっとも通じ合う格調あるレアリスト、ベラスケスの存在は、模写や複製、伝承作品しか知らない初期の頃から決定的であった。1865年にプラド美術館でベラスケスの傑作群を目にしたことは、マネに深い感銘を与えるとともに、自らの芸術に確信を得るまたとない機会ともなった。その後のマネの作品に残されたベラスケス・インパクトの痕跡は多々あるが、《ラス・メニーナス》の感化と超克を印す、晩年の最大の集大成作《フォリー=ベルジェールのバー》にとどめを刺す。ベラスケスこそはマネにとって己の分身のような親しい存在であり、そこには西洋絵画史においても希にしかない、時代を超えた「師弟関係」が見られるのである。(三浦篤エドゥアール・マネ 西洋絵画史の革命』KADOKAWA角川選書〕/2018年/p.80)

展示室1には、暗い背景から明るい女性の顔が浮かび上がる、パステルによる未完の肖像画《薄布のある帽子の女》[016]の展示も。

3階展示室2の入口附近には、《白菊の図》[017]、《イザベル・ルモニエ嬢の肖像》[014]、《散歩(ガンビー夫人)》[015]など油彩画が並ぶ。《イザベル・ルモニエ嬢の肖像》[014]は顔をドレスとの描き分けには、本展冒頭の《バリケード》[061]の前景・後景の描き分けに通じるものがあり興味深い。
続いて、銅版画の作品が紹介される。《オランピア》[049, 050]、《フォリー=ベルジェールのバー》[064](アンリ=シャルル・ゲラールが版画に起こしたもの)、《競馬》[059](《ロンシャンの競馬》に基づく)など、マネの絵画を版画にしたもの、日本趣味を指摘される作品なども含まれる。また、最後には、スラファヌ・マラルメが翻訳したエドガー・アラン・ポーの詩『大鴉』の挿絵[063]が展示されている。

展示室2の後半は、マネの影響が明らかな最初期の作例である、石井柏亭《草上の小憩》[065](《草上の昼食》[---]が下敷き)を初め、マネを受容した絵画が並ぶ(「第3章:日本におけるマネ受容」)。
ルーブル美術館で《オランピア》を模写した熊岡美彦による《裸体》[078]、やはり《オランピア》の影響が指摘される片岡銀蔵の《融和》[079]、《オペラ座の仮面舞踏会》の燕尾服の男性との類似が認められる、小磯良平の少女群像《斉唱》[080]などは、マネの影響が比較的はっきりしている。

3階展示室3では、森村泰昌が《笛を吹く少年》、《フォリー=ベルジェールのバー》、《オランピア》などをモチーフとしたセルフ・ポートレイト作品、福田美蘭がマネの作品と発想を活かして制作した作品群が紹介されている(「第4章:現代のマネ解釈―森村泰昌福田美蘭」)。
森村泰昌の《肖像(双子》[097]は、《オランピア》[---]で横たわる白人女性とその傍らに立つ召使いの黒人女性をともに「黄色い肌」の「男性」が演じることで人種の問題を攪乱するとともに、近代化的ないし帝国主義的な価値の模倣の問題を訴える。セザンヌが《オランピア》に眼差しの主体(=男性)を導入して構成した作品のタイトルを借用した《モデルヌ・オランピア》[098]では、マネの《オランピア》[---]の構図はそのままに、《召使いの位置にシルクハットの男性を配することで、彼の支配的な地位を従属的な立場に貶め、なおかつ彼の眼差しの先には花魁(アジア人)を置いている。《オランピア》[---]と《笛を吹く少年》[---]とはモデルが同じ女性であったという。森村泰昌は《肖像(少年1、2、3)》[092]において笛を吹く「少年」のズボンを脱がせて「男性」であることを示しつつ、その肌の色を変え、あるいは陰部を摑む男性や女性の手を挿入することで、元の作品に存在した性的倒錯を誇張して見せた。
福田美蘭は《帽子を被った男性から見た草上の二人》[081]で、《草上の昼食》[---]の絵画の中に入り込み、タイトル通り、画面右側の帽子の男性から見た光景を描いた。何故だろうか。マネのオリジナルでは、画面左手前のバスケットや衣服・帽子から裸の女性、中景中央の水浴する女性と後景の開けた水辺への連なりが、繁った樹木とそれが作る陰、男性の黒い衣装の中で浮き立つ。それに対し、福田美蘭の《帽子を被った男性から見た草上の二人》[081]では、帽子を被った男性の右手人差指、裸体の女性の右手人差指が矢印として機能し、フレームアウトして見えなくなった水浴女性へと導く。つまり、《草上の昼食》が元来《水浴》と題されていたこと、すなわち「失われた《水浴》」を明らかにする作品なのだ。

 この作品〔引用者註:《老音楽史》〕は結果として、引用の織物とでも言うべき性質を備えているが、より正確には、さまざまな「モルソー(断片)」を集めて合わせる「アッサンブラージュ(寄せ集め)」の手法を用いたと見なせよう。つまり、マネはモルソーを合成してタブローに仕立て上げたのである。断片となる要素は、古代彫刻から古典的な絵画、自作も含めた同時代の作品まで多岐にわたるが、そこには見逃せないポイントがある。参照源には実作品もあり得るが、多くの場合、複製画像を媒体としていたという点である。むろん、複製版画を通して絵画のイメージがりゅうつする現象は19世紀以前にも存在した。しかしながら美術館の整備が急速に進み、(略)シャルル・ブランの美術全集が出版され始めたこの時代は、複製版画をとおして特定の名作をうやうやしく引用する段階から、体系化された膨大な画像のアーカイヴから任意のイメージを自由にピックアップして、大胆にコラージュできるような段階への移行期に当たっているのである。写真が美術品の複製媒体になり始めるのも時期的にちょうど符合する。ベンヤミン風に言えば、複製技術時代にアウラを喪失した美術品は、画家たちのニーズに応じて提供されるイメージの貯蔵庫に収まることになるのだる。
 さらに踏み込んで考えると、マネがこのような歴史的条件を利して、大胆かつ自在に形態をアッサンブラージュし得たのは、その前提としてイメージの等価性をいち早く認識していたからだと思われる。おそらくは、複製画像を介してあらゆるイメージが相対化され、同質化することにひときわ敏感であったマネは、最終的には、起源を問わずあらゆるイメージを同一次元で操作し、絵画を作り上げる試みにたどり着いたのではなかろうか。その作画法にはほとんど暴力的とでも言うべき過激さ、無頓着さがあり、単なる引用を越えて、本来併置し得ない出自の異なるイメージの断片を強引に接合するところに真骨頂が見られると言ってもよい。したがって、マネの「レアリスム」とは単に写実技法の問題ではなく、卑近な現実の導入という次元にも留まらない。典型性を帯びた既存の形態のストックに逆に現実を当てはめること、誇張してい言えば「活人画(タブロー・ヴィヴァン)」のごとき人工的な現実感を創出することを意味するのである。ジャン・クレイの言葉を変え居るならば、「文化から自然を創り出す」ようなタイプのレアリスムのほかならない。(三浦篤エドゥアール・マネ 西洋絵画史の革命』KADOKAWA角川選書〕/2018年/p.152-154)

福田美蘭が、インターネットで見つかる画像を組み合わせた《つるバラ「エドゥアール・マネ」》[085]や《テュイルリー公園の音楽会》[086]、ファッション誌のカヴァーを飾る女性モデルとマネの描いた女性のコピーを組み合わせた《ヴィクトリーヌ・ムーラン》[***]は、マネの「起源を問わずあらゆるイメージを同一次元で操作し、絵画を作り上げる試み」に基づいた作品である。また、同じく福田美蘭の玩具で作った花を描いた《LEGO Flower Bouquet》[***]は、「『文化から自然を創り出す』ようなタイプのレアリスム」を象徴していよう。

 《ロンシャンの競馬》の場合は、(略)当初の状態を示すと推定される水彩と比較して分かるのは、こちらに向かって疾走する競馬の臨場感を高めるためのトリミングの効果である。そのために左側の見物人の部分を削除したと見てよいであろう。(略)
 自由自在に絵画を切断し、トリミングしてしまう画家マネ。だが、これは不思議なことではない。断片を寄せ集めて画面を作る手法を逆にたどれば、画面をばらして断片化する手法にも通じるのである。(三浦篤エドゥアール・マネ 西洋絵画史の革命』KADOKAWA角川選書〕/2018年/p.157)

マネの《競馬》[059]は、トリミングされた作品の例である。福田美蘭もまた自作を切断して別個の作品として提示している(《富士眺望》]《珈琲を飲む女性》《切断後の富士山》[088])。

森村泰昌福田美蘭という2人の作家を通じて、マネの作品の構造や意図が浮き彫りになる。それは、早い段階でマネの作品に触れたためにモティーフや構造の模倣が主となった作家の作品と対照されることで、より鮮明になる。「よく分からない」マネも真似るうち、見えてくるのである。