可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『窓辺にて』

映画『窓辺にて』を鑑賞しての備忘録
2022年製作の日本映画。
143分。
監督・脚本は、今泉力哉
撮影は、四宮秀俊。
照明は、秋山恵二郎。
録音は、弥栄裕樹。
美術は、中村哲太郎。
スタイリストは、馬場恭子。
ヘアメイクは、新井はるかと金田順子。
整音は、山本タカアキ。
音響効果は、井上奈津子。
編集は、相良直一郎。
音楽は、池永正二。

 

老舗の喫茶店。市川茂巳(稲垣吾郎)が窓辺の席で1人本を読んでいる。久保留亜著『ラ・フランス』。茂巳が本を閉じ、テーブルに置く。水の入ったグラスを右手で持ち、窓からの日射しに翳すと、左手に反射した光を当てる。店のドアベルが鳴る。いらっしゃいませ。店員の声がする。
ホテルの部屋。窓から日が射し込む。有坂正嗣(若葉竜也)が起き上がり、ベッドを出る。隣にいた藤沢なつ(穂志もえか)はまだ眠っている。
正嗣がトレーナーの指示を受けながら怪我をした脚の筋力トレーニングをしている。頑張って、あと2回。そこへ正嗣と待ち合わせていた茂巳が顔を出す。どう、調子は? まあ、何とも。もう少しかかりそうだから待ってて。トレーナーは茂巳に待っている間にランニングをしないかと誘う。ウェアを持って来ていないと断る茂巳だったが、結局走ることに。ランニング・マシンで身体を動かす茂巳。彼の悩みは、ランニングをしていても頭から離れることはない。
割烹料理店のカウンター。茂巳と正嗣が並んで座り、食事をしている。あと1年で引退するつもりだと正嗣が茂巳に伝える。怪我でチームに貢献できない正嗣にはネットに誹謗中傷の声が溢れていた。顔のない声を気にすることはないと宥める茂巳だが、自分に声は届いているし、活躍しているときだけ聞き入れるのはずるいだろうと正嗣は言う。若手に経験を伝える、数字には現れない貢献の仕方もあると指摘すると、それなら引退してもできるし、出場枠は限られているから若手に譲るべきだと意に介さない。怪我して辞めるにしても後悔したくないって言ったの覚えてます? 真剣に向き合っていれば、辞めても辞めなくても必ず後悔はするものだから、今は後悔したくないとは思わない。
ただいま。茂巳が帰宅する。お帰り。ご飯あるよ、食べる? いや、食べてきたから。妻の紗衣(中村ゆり)はテーブルで文芸誌を読んでいた。紗衣は文芸書の編集者で、吉田十三賞にノミネートされている人気作家・荒川円(佐々木詩)を担当している。誰が獲ると思う? 茂巳さんは? 全部読んだんでしょ? 久保留亜。やっぱりそうか。呼び止めてごめん。
第50回吉田十三賞を受賞した高校生・久保留亜(玉城ティナ)の記者会見がホテルの宴会場で行われている。手に入れたものを失う、主人公の葛藤が描かれていないように思うんですが。全部書きますかね…。受賞を喜んでいないようにも見えるんですが。争うのが苦手で、嬉しいことは嬉しいんですけど…。記者からの質問に対する留亜の返答は正直なものであるがゆえにぶっきら棒にも映る。フリーライターの茂巳も質問する。主人公は心から欲した物を何でも手に入れながら簡単に手放してしまう、一方で、おにぎり屋のアルバイトで感じるおにぎりの暖かさのような些細なことには心が動いている…。受賞作品『ラ・フランス』の内容に関する長い質問が続く。留亜は逆に茂巳に質問する。正直、どうでした? 面白かったですよ。手に入れると手放してしまう、そこに惹かれたし、腹も立ちました。迷ってる時間が贅沢だと言うのも、果たしてそうなんだろうかと…。
記者会見が終了し、通路で1人作業していた茂巳がスタッフから声を掛けられ、留亜の控え室に案内される。留亜は茂巳に名刺を差し出す。茂巳もフリーで物書きをしていると自己紹介して留亜に名刺を渡す。留亜はきちんと作品を読んでいてくれたことが嬉しかったと茂巳に伝える。

 

市川茂巳(稲垣吾郎)は、姿を消した恋人と野良猫との思い出を元にした『STANDADS』を最後に小説を書かず、フリーライターをしている。妻の紗衣(中村ゆり)は文芸書の編集者で、吉田十三賞にもノミネートされた人気作家・荒川円(佐々木詩)を担当して多忙だ。茂巳は紗衣が円と不倫しているのを知りながら、妻の裏切りにショックを受けなかった自分にショックを受けていた。茂巳は友人でプロスポーツ選手の有坂正嗣(若葉竜也)からあと1年で引退する決意を固めたことを告げられる。正嗣は引退が暮らしに直結することだからと妻ゆきの(志田未来)に相談できず、代わりに茂巳や愛人の藤沢なつ(穂志もえか)に打ち明けていた。吉田十三賞は久保留亜(玉城ティナ)が『ラ・フランス』で受賞した。授賞式後の記者会見で作品に関する長い質問をした茂巳は留亜に関心を持たれ、記者会見終了後に直々に作品のモデルを紹介すると告げられる。

(以下では、冒頭以外の内容についても触れる。)

茂巳は、恋人がある日突然姿を消してしまったことがトラウマになっている。愛する者は消え去ってしまうという諦念により、紗衣の裏切りに直面しても感情を揺さぶられることがない。翻って、諦念でもって自らに接する茂巳と異なり、本気で愛情をぶつける円に、紗衣が惹かれてしまうのも已むを得ない。
留亜は母を亡くした上に、仕事で行き詰まった父が蒸発してしまう。留亜は17年間の人生で大きな喪失を2度経験している。その喪失には手放すという選択肢はない。留亜は、茂巳のような諦念に囚われることなく、信頼することでしか人との繋がりを作ることはできないとの信念で、喪失を乗り越えようとしている。
留亜が注文するフルーツ・パフェ。パフェは、その語源"parfait"から、完璧の象徴である。だが実際は、パフェはチーズケーキほども完璧ではなく、食べた後に後悔が伴う。それでも留亜はパフェを注文する。留亜にとって、パフェとは人に命を預けるような完璧な信頼の証だ。留亜は茂巳に機会があれば必ずパフェを注文するよう勧める。茂巳にも他人に自己を委ねることで人との繋がりを作るよう促している。
窓を開けることは、自己を他者に対して開放することだ。そして、窓を開ければ、光が射す。留亜は茂巳に対して窓を開けてみせる。