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芸術鑑賞の備忘録

展覧会 棚田康司個展『はなれていく、ここから』

展覧会『棚田康司展「はなれていく、ここから」』を鑑賞しての備忘録
ミヅマアートギャラリーにて、2022年10月26日~11月26日。

1本の樟を2つに割って作られた《宙の像》と《2020年 全裸の真理》など木彫5点と、女性の肖像を中心とした絵画14点で構成される、棚田康司の個展。

《2020年 全裸の真理》(3120mm×103mm×650mm)は、グスタフ・クリムト(Gustav Klimt)の絵画《ヌーダ・ヴェリタス(Nuda Veritas)》(1899)に基づいた作品。女性の一糸纏わぬ立ち姿を同じ姿勢で彫刻に表しているが、彼女の髪に飾られるのはフランス菊ではなく、楔のように突き刺さった金色の破片に変更され、彼女が右手に掲げていた手鏡は失われている。クリムトは《パラス・アテナ(Pallas Athena)》(1898)においてヌーダ・ヴェリタスの彫像(らしき小さな姿)を戦争・知恵・芸術の女神パラス・アテナに持たせているが、樟の幹の樹形を活かした本作の台座に施された金箔の装飾はパラス・アテナが装備する金色の鱗状の金の板を重ねた鎧を想起させるものである。その台座には《ヌーダ・ヴェリタス》で脱ぎ捨てられた「噓の水色のヴェール」が、やはり同作で女性の足下に絡まりついていた蛇を思わせる形の水流として描き入れられている。また、台座の上部が浮くように下部と切り離されてアルミニウムの板によって固定されている。台座の裏側にはクリムトの作品の製作された時代のフランスや日本の新聞のカリカチュアやイラストレーションを中心とする切り抜きが貼り込まれている。100年以上の時間の経過を強調し、クリムトの時代との断絶を表現するものかもしれない。本作において右手の鏡が失われているのは、真理を映す(捉える)ことが困難になったことを示すものだろうか。台座によって高い位置に持ち上げられた立像を見上げると、3つの楔のようなものが打ち込まれた陰部に目が留まるが、この一種の貞操帯は真理へのアクセスが禁じられたことを示すものだろうか。否、作家は手鏡を持たせないことによって、鏡にだけに視点を集める、一面的なものの見方を排しようとしているのではなかろうか。それは、ヌーダ・ヴェリタスを絵画から彫像へと転換したことで、鑑賞者に絵画ではありえなかった作品の背面に回り込み、着彩されていない部分に目を向けさせることにも表われていよう。クリムトは、油彩画《ヌーダ・ヴェリタス》に先行する習作に「真理は炎であり、真理を語るとは、輝き、燃えることだ。(Wahrheit ist Feuer und Wahrheit reden heisst leuchten und brennen.)」と記していた。消去された、真理とは輝きであるとの言葉からすれば、手鏡は光となって、ヌーダ・ヴェリタスの頭部に拡散し、多様な現れを示しているのであろう。「貞操帯」は蛇=男根によって蹂躙されることから真理を守ろうとするものと考えられる。

《宙の像》(3080mm×955mm×390mm)は、プリーツが印象的なドレープのワンピースを纏った女性が両腕を真上に上げている像。急傾斜の台座に足の裏を着けているためにワンピースの長い裾から覗く足の甲が正面からほぼ見えるのが、不安定な印象を生んでいる。もっとも、ワンピースの裾は大きく広がることも小さくすぼまることもないため、飛翔していくようにも落下しているようにも見える。否、どちらでもない宙吊りの状態(pending)を表現しているのである。それは《顔パックとつま先立ち》(765mm×570mm)と題された絵画において爪先立ちの女性の髪が逆立っていることによって(また背後の効果線によって)落下のイメージを生んでいるのと対照するとより判然となる。また、同じ樟から制作された《2020年 全裸の真理》を併せ見るとき、白黒付けられない曖昧な真理に耐えることを求めているようである。そして、女性の秘部に相当する位置が大きく凹むのは、空即是色の表現と考えられる。

《2020年 全裸の真理》の台座の一部が切断され浮かされていること、《宙の像》の飛翔とも下降とも言えない宙吊りの表現、《つづら折りの少女 その5》(720mm×510mm×225mm)の少女のスカートの端の広がり(なおかつ足を表さない)とそれに呼応するようなバルーンボブの髪の形など、本来ずっしりと重い木彫に軽やかな印象を与えているのが印象的である。例えば、絵画作品《全裸とプラム》(765mm×570mm)から、女性の顔の傾げ方、左右の肩の位置、腰の撚り、浮かせた右足、台座のような床の右側のカーヴなどによって、いかにして軽やかさを生み出すかという探究の一端が窺える。

絵画作品《A.M.と火砲》(1325mm×725mm)は、画面下部から突き出す砲身から発された爆弾の黄と白の炎と煙が画面下半分に描かれ、画面上部の青空を背景に浮遊する裸身の女性が配されている。とりわけ本作は青と黄との組み合わせと砲火から、ウクライナの戦火を彷彿とさせる作品である。のみならず、砲身は男根であり、裸体の女性に向けられることで、おそらくは#MeToo運動のメタファーともなっていよう。上空に俯せに浮かんだ裸体の女性の下半身に向けてミサイルが打ち上げられる《C.S.とミサイル》(606mm×455mm)、横たわる裸身の女性の背後で湧き起こる噴煙と打ち上がったロケットを描いた《F.W,とミサイル》(650mm×505mm)なども戦火の男性性と#MeToo運動の問題を絡めた作品である。