可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 大木裕之個展『tiger/needle とらさんの墨汁針』

展覧会『判断の尺度 vol. 4 大木裕之tiger/needle とらさんの墨汁針」』を鑑賞しての備忘録
gallery αMにて、2022年10月29日~12月17日。

千葉真智子のキュレーションによる「判断の尺度」をテーマに行なわれる展覧会シリーズの第4回。映像作品や墨書を始め、作家が会場に持ち込んだ雑多な物で構成される、大木裕之の個展。

会場の随所のディスプレイや壁に映像が流されている。時代を感じさせる粒子の粗い映像や、カメラを適当に動かしたかのような映像、二重露出の映像などが多くを占める。映像を鑑賞するためか、様々な椅子がところどころにある。壁や柱には、図面、手製の地図、墨書などが貼りつけられている。床には、フライヤーやカタログなど美術展に関連するもの、書籍、カーテンなどの布、書道用具の他、雑多な物が散乱している。
混沌とした展示会場の中で眼を惹くのが、手描きの地図である。訪問先の記録であるとともに思考の過程を記したものでもある。ありのままの世界に飛び込み無数の情報を浴びる中で、作家は特定の情報を抽出し、それを図像と文字とに変換してみせている。鑑賞者に対しても、混沌の内に潜むものを自らの判断の尺度(指針)を用いて捉(虎)えてみせよと促すようである。
本展の展示内容は、墨書などの追加によって、刻々と変化しているらしい。未完ないし現在進行形のインスタレーションである。作家は本展に際して詩のようなステートメントを発表しており、また、もともと建築に携わっていたこともあり、言語(=人間)と建築(=物質)との新たな関わり方を模索した未完のプロジェクトである、荒川修作とマドリン・ギンズによるエピナール市の橋梁計画を想起させた。

荒川修作+マドリン・ギンズ(以下、AGと記す)の《問われているプロセス/天命反転の橋》(エピナール・プロジェクト)はフランスのエピナール市を流れるモーゼル河にかける橋として構想されたが、実現には至っていない。出品されるのはその長さ13m(実際のスケールは140mになるはずであった)の巨大な模型であって、漆黒の装置としての異様な存在感を漂わせている。
橋は21の装置の連鎖からなり、それぞれ「光の身体的推量」、「共同体的凝視のプロセス」、「不確定性とのつきあい」、「惑星の叫び」、「不滅性の形成」などと名づけられているが、いずれにも特定の行為を強いるような造作が仕組まれており、球状のタンクの横の隙間を体を折り曲げてくぐり抜けたり、斜めに傾けた姿勢で歩んだりしなければならない。内部の構造は複雑で、色セロハンによるステンドグラスのような透明な仕切りも設けられている。
AGの制作ノートには「このコンストラクションは、ディスクールのまったく新しいかたちを可能にする。従来、たとえば話し言葉においては、話し手ないしその話すプロセスはずっと、言葉の連続の背後に隠れていた」。だがこの作品では「人間の行動や表現につねながら課せられている拘束を真似るか、あるいは並行するコンストラクションの中に立つと、通常のように言語の一方的発生によって進む必要がなくなり、問題のプロセスと直接的なディスクールに入っていくことになるだろう」と記されている。
極めて難解ではあるが、エピナールの橋がアフォーダンス的に動作を誘発する(無自覚的な動作を引き出す)装置ではなく、要請された行為の必然性に従うという拘束的な空間の体験をもたらすものであり、それが「ポスト・ユートピア時代の人間」として私たちを形成し直すことになるのだと解釈できなくはない。(埼玉県立近代美術館新潟市美術館広島市現代美術館国立国際美術館『インポッシブル・アーキテクチャー』平凡社/2019年/p.146〔建畠晢執筆〕)

本展において、鑑賞者が実際に「体を折り曲げてくぐり抜けたり、斜めに傾けた姿勢で歩んだりしなければならない」ことはない。もっとも、一般的な展覧会のように作品だけが整然と並べられているわけではないため、単に通り抜ける訳にはいかない。偶々会場は柱が視界を遮る構造であり、(それほど大袈裟ではないが)雑多な展示物の中をくぐり抜けつつ探索せざるを得ない。その過程で「問題のプロセスと直接的なディスクールに入っていくことになる」とは言えまいか。
また、そもそも"gallery"とは歩廊のことであったが、会場の長いプラン(=「細道」)の隅にある小空間(=穴)には、「神話」と墨書された紙が貼られ、その傍に、夜道に映る人の黒い影を映し出す僅かの間、「ここに人が、人が」と発される声を収録した映像が繰り返し流されている。行き着く先に待っているのは、終わりの無い人の影(=死)。「年がら年中、非常に細かく間断なく、『死』の、白い影のような歩行者がいるらしいことが判るから、それと、刹那に、あるいは四六時中、面壁しているということ」が明らかにされているようだ。

 ヴァルター・ベンヤミンに「破壊」について書いたものがあるでしょう? 破壊してみたら何ができるか、瓦礫の中を縫う道ができる。その瓦礫の中を縫う道こそは大事なことなんだということを、ベンヤミンが言っているのですね。ポイントは、の「縫う」でもあるのね。「縫う」も「繕う」も「紡ぐ」もね、女の人たちの太古からのしぐさですね。ここで気づかないような思考がされてる筈なのえ。市村弘正さに教えてもらってね、ドイツ語にも当たってみたんだけど、それをわたくしありに言いかえると、細いブラックホールの道みたいなものに変わるよね。これは、「詩作」という作業というか行為と、やはり必ず関連性があるのです。そういう意味では、芭蕉さんはただ単純に『奥の細道』と題名をつけたのかもしれないけれど、無意識にせよ、よく「細道」と言ってくれたものだと思います。しかも「奥の」ですからね。普通みすごされてしまう言葉だけれど、無意識にまで届いています。
 そのことと合わせてととても印象深く覚えているのが柳田國男の『海上の道』の中にある「鼠の浄土」という論考です。家の隅っこに穴が空いてて、そこにお餅が転げ落ちていって、それを追っかけていくと鼠の浄土があるというやつですが、その抜け道みたいなものは、芭蕉さんの「奥の細道」にもつながるし、あるいはさらに延ばしていくと、人が旅をしてどこかに行くというのも、常に潜在的に自分の命がいまだ知らない抜け道を目指して歩いているのかもしれない。ヒトは、瞬時にして、そんなことを、みえない道のことを、いつも考えているのね。さらに大風呂敷を広げると、日本までたどり着いた、各所からやってきた血や魂というのは、そうした先祖代々の細い悲しい抜け道を通ってやってきたような人たちの心なんじゃないか。そうすると、芭蕉さんの「奥の細道」というのはそれの延長としても言うことができるんじゃないのか。
 でもこの「抜け穴」に代表される「穴」というものは、いわゆる無意識とはちょっと違っているのではないかと思うのです。むしろもう気がついたら、その無意識と言ってるやつよりももう少し下のほうに何かがあったという、そういう気がつき方のプロセスの途中に出て来るのがいわば現在、無意識、不在といわれているもので、それを掘った先に、その行き着く先にはじつは何もないのかも知れない。もうこの先には他界もないし天国もないし神様もないし何にもないという、そんなところにまでぶち当たったときに、今度はそこにおける感じ方とかいうものそのものが変わっている、というような、なにかそんな白いような、……「境域」、……ちょっとこの言葉は宗教がかっているし、大げさなのでなるべく避けたかったのですが……そんな「場」が、どこかにあるのかも知れない。
 つまり、やはりマラルメの言う「不死の言語」、言語のさらに「底」、あるいはベケットジョイスが懸命になってつかまえようとしたところへは、普通で言う「死」を通っていかないと、やはり行けないのでしょう。その通路にわたくしも、わたくしなりに少しずつ少しずつにじみ込むようにして入っていったというのが詩業の歩みだったのではと、今振り返ってみると思えてきます。しかもわたくしの場合には、それを物語や、あるいは論理的な論述にはしないで、詩のあらわれとして捉えようとしたのです。
 これはごく最近のことなのですが、石巻市街に月に1度必ず戻って行って、明るくて白い街頭を歩いていて、その白い道と白い人影が、詩への入口らしいと気がついていました。現実でもない非現実でもない、他界とも別宇宙ともいえない、そう、「虚の宇宙」があるのです。「詩」は、そこに接しているらしい。「詩」でも「生」でもない、……「虚」としかいいようのないところへの入口がみえた刹那がありました。
 そうしますと、ここでいいます「死」というのは、ハイデガーが否定的に言うときの、その影におびえ、それを忘れて存在忘却に陥っているという、そういう状態ではないでしょう。逆にもう年がら年中、非常に細かく間断なく、「死」の、白い影のような歩行者がいるらしいことが判るから、それと、刹那に、あるいは四六時中、面壁しているということなのですね。無意識の素で、「生」からみての「死」とつき合っている。そそしその状態が、とても深くなってきている。
 ちょっと書けないような状態に誰でもがなってきてるんじゃないかな。言い方を変えると、物語として書けるような、そういう世界じゃもうなくなっちゃってきているんです。そのような世界にしてしまったらもううそになってしまう。もっと、何というか、よりリアルなものなのです音楽が必死になって、苦しんで苦しんだ上でようやくわずかに摑めるような、何か「新しいとき」みたいなものが詩にもできるかどうかでしょう。つまりその場合には、出来上がった作品というより、何か、「立ち上がり方」みたいなことのほうがむしろ重要になっている。そこに毎回、真実が、真理が、立ち上がったり、立ち上がりかけては終わるみたいに。序でもいいましたが、それが少し、ほんの少しだけ立ち上がるようになって来ているのですね。石巻の白い明るい街角はその一例でした。誰かが、不図、そこに辿りついた気がしていたのですね。
 (略)
 9.11の直後に台湾に行って読んでいたのが『クレーの日記』でした。それから3.11の後、一所懸命読んでいたのが『ゴッホの手紙』。論述的なものじゃなくて、エクリチュールの極限まで行った、そのたった今の、筆先の先端の光みたいなものにさわらないと、これはだめだなと、そういう覚悟がありました。論述的なもの、あるいは小説的なるもの、それは一切破産したというのが今現在のわたくしの中の声なのです。また同時に、エクリチュールとかパロールとか、そういうものもそのとき既に死んだのです。
 あと、到達、デスティネーション。目的地という概念はもう捨てちゃったほうがいいでしょう。だって「目的地」ってあり得ないんですもの。すべてが「途上」なのですね。うん、ツェランの声を想い出して下さいな。(吉増剛造『詩とは何か』講談社講談社現代新書〕/2021年/p.232-236)