可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『光復』

映画『光復』を鑑賞しての備忘録
2021年製作の日本映画。
129分。
監督・脚本は、深川栄洋
撮影監督は、安田光。
録音は、植田中。
音楽は、福廣秀一朗。
整音・音響効果は、丹雄二。
サウンドエンジニアは、伊藤貴匡。
造形は、宮本芽依。
VFXは、田中貴志。
コンポジットは、伊藤創志と小林亜唯。
コンフォームエディターは、坂本ユカリ。

 

長野県の郊外にある住宅地。雷鳴が轟き、激しく雨が降る夜。リンゴ農園の先にある一軒の住宅。もういい加減にしてよ。何時間かけてるの。片付けるよ。女性が叱る声と、呻くような声が聞こえる。何するの! 誰のおかげで食べられると思ってるの! 大島圭子(宮澤美保)は堪えきれず、母親の安江(クランシー京子)に馬乗りになる。我に返った圭子は、居間を出て廊下で座り込む。母親の呻き声が続く。うるさい、うるさい! 死んで母さん! 圭子は激しく壁を蹴り、頭を抱え込む。
圭子がゴミ収集所にゴミを出す。おはよう、今日は晴れたね。近所の女性が圭子に声をかける。お母さんはどう? 大人しくしてます。そう、良かったねえ。
家へ戻る。玄関の郵便受けに高校の同窓会の案内状が届いていた。圭子は居間の炬燵で母親に食事を出す。母親は手で掻き込む。ねえ、これで食べて。スプーン持って。母親は聞く耳を持たずにひたすら食べる。そこにインターホンが鳴る。市役所の斎藤です。今、大丈夫ですか? 今、お母さんの食事中なので。ここで待たせてもらいます。生活支援課の斎藤は市の財政悪化に伴う生活保護の減額について説明しに来たのだった。圭子は渡された書面がよく見えない。見かねた斎藤が老眼鏡を差し出す。凄い。眼鏡を掛けると文字がくっきり見えた。何かお困りごとは? 特に…。斎藤に促された圭子は言っても仕方がないと前置きしつつ、死にたいと溢す。せめて母が死んだらできるだけ早く死にたいなと…。そんなことを考えてはダメです。もっとポジティヴに。生きてればいいことありますよ。…どんな? 喜べば、喜び事が喜んで、喜び連れて、喜びに来る。他の言葉にも置き換わってしまいます。悲しめば、悲しみ事が悲しんで、悲しみ連れて、悲しみに来る。苦しめば…。
圭子が台所に立ち、料理する。食事を出すと、炬燵に坐る母親が手を使って貪る。圭子は母親の食事を終えると、1人台所に立ち、フライパンから直接食べる。時計を確認し、スーパーへ向かう。足早に売り場を廻り買い物を終えた圭子は、家の前に車を停めると、駆け足で家へ向かう。玄関が開いていた。お母さん! お母さん! 居間の炬燵に母親の姿がない。台所も他の部屋も見て回るが、母の姿は無かった。お母さん! 声をかけながら近所を廻る。リンゴ農園のおじさんがこっちには来てないから道路を越えたかもしれないと言う。圭子が力なく幹線道路を歩いていると、向かい側の警察官の姿が目に入る。おまわりさん! 大島さん、どうしました? 母親が家を出てしまったと告げると、警官は即座に無線を入れる。長野南交番、近隣住民の女性から認知症の母親の徘徊について…。
圭子が暗い台所の隅に倒れ込んでいると、弟(崔哲浩)から電話が入る。何、姉ちゃん。何度も電話くれたみたいだけど。お母さんがいなくなった。目を離すからだろ。今、仕事なんだ。あのとき特養入れとけばさあ…。今みたいに酷くなかったから。圭子は警察から電話があるかもしれないからと電話を切る。間もなく、警察の生活課から圭子に連絡が入った。インターチェンジ付近のレストランで高齢女性が保護されたが話せないのでご足労をかけるが身元を確認して欲しいという。圭子はすぐさま車を走らせる。
母親を連れ帰った圭子は棚の上を確認するがインスリンの注射器は1本も残っていなかった。
母親を食事させていると、ヘルパーの三井がやって来る。母親の食事中で手が離せないと言うと、上がらせてもらいますと三井は中に入ってきた。看護師免許も持っているから任せて下さいと三井は圭子にアピールした。
そういうの、いいですから。洗い物をしていた店長が菓子折の受け取りを断る。圭子は母親を保護してくれたレストランに挨拶に来ていた。店長によると、たまたま店員に圭子の母親の知り合いがいたのだという。そこへ女性の店員(清滝美保)が親しげに圭子に声をかけてきた。松本さん? 田辺だよ。同じ部活だったでしょ。忘れないでよ。同窓会の招待状届いたでしょ? 私もショックだったのよ。お母さん。近くに住んでるのに全然知らなかった。いつから? 28でこっちに戻ってお父さんの介護して…。100%何にもできないけど、何かあったら言ってね。横山賢治は? ヨコケンよ。あなたたち付き合ってたでしょ。ドラッグストアで会ったの。薬剤師だって。なるの大変よね。声かけたらポイント2倍にしてくれたの。
帰宅した圭子は洗濯物を干していた三井から母親の寝る場所について尋ねられる。ベッドで寝ないんですか? 最近は炬燵で寝ることが多いです。ベッドで寝かせた方がいいですよ。睡眠時の姿勢は大事ですから。
母親の食事を終え、一段落したところで、圭子は母親が1人で廊下を歩いて行くのに気が付く。お母さんトイレ? 母親はトイレの前の廊下で立ったまま失禁する。一杯出たね。このままお風呂に行こうか。
母親の服を替えて寝かせた後、圭子は卒業アルバムを眺めていた。高校時代の自分の写真と、横山賢治の写真。
圭子は久しぶりに鏡に向かっておめかしする。いってらっしゃい。三井に見送られて圭子が車を出す。駐車場に車を停め、バックミラーで改めて髪を直す。圭子はドラッグストアに入る。薬剤師らしい白衣を着た人が接客しているのを棚の陰から確認していると、後ろから声をかけられる。御用の時はいつでもお声掛け下さい。段ボール箱を抱えた白衣姿の横山賢治(永栄正顕)だった。…久しぶり、分からないわよね、もうおばさんだし。動揺した圭子は賢治を置いて店を飛び出す。大島さん! 賢治は慌てて段ボールを抱えたまま圭子の後を追う。圭子は途中で派手に転ぶ。惨めさに打ち拉がれて身動きがとれない。何とか立ち上がって車に向かった圭子に、賢治が圭子の落とした車のキーを渡す。圭ちゃん、救急箱持ってくるから待ってて。圭子の落としたカバンも渡す。鼻血を出して泣く圭子。
車の中で賢治が圭子に手当てをしながら尋ねる。よくこっちに買い物に来る? 同窓会は行く? 時間があるときにちゃんと病院に行った方がいいよ。…変わらないね、優しい。変わったよ、年取ったし、疲れやすくなったし。結婚は? 俺は2つ下の嫁と娘が1人。圭子の電話が鳴る。三井からの電話だった。すいません遅くなって。何かあったんですか? お母さんが排泄物を食べちゃうんです。止めたんですけどすごい力で抵抗されて。おむつに手を入れて投げちゃうんです。車を出そうとする圭子を賢治が止める。圭ちゃん、俺運転する。今運転したら事故起こす。
賢治の運転で自宅に戻ると、排泄物で汚された三井が外で待っていた。すいません、もうどうしたらいいか分からなくて…。お母さんは? 多分、炬燵です。炬燵からベッドに連れて行ったんです。ベッドでおむつのまま排泄して、おむつの中に手を入れて便を投げてきたんです。圭子が家に向かうと、玄関の扉に投げられた便が付着していた。壁や廊下にも便が落ち、悪臭を放っている。母親は炬燵にいた。お母さん、遅くなってごめんね。おむつ嫌いだもんね。賢治が玄関から圭子にできることはないかと声をかける。もうここには来ないで。今日は会えて良かった。嬉しかった。嫌な思いさせてごめんね。さようなら…。圭子は玄関の賢治に向かって精一杯訴えた。

 

大島圭子(宮澤美保)は大学進学を機に東京に出たが、倒れた父を介護するために15年前に28歳で長野の実家に戻った。父の他界後は、認知症を患った母親の安江(クランシー京子)の面倒を見ている。母親の希望をできるだけ叶えようと努力してきたが、次第に母親の症状は悪化。言葉を話せなくなり、失禁や徘徊を繰り返している。疲れ果てた圭子は徘徊した母親を保護してくれた同級生の田辺(清滝美保)から、高校時代に交際していた横山賢治(永栄正顕)が近くのドラッグストアに薬剤師として勤務していると聞く。賢治に会いに出かけた圭子は、賢治がすぐに自分だと気付いてくれなかったことにショックを受けてドラッグストアから逃げ出す。転んで怪我をした圭子をやさしく手当てしてくれた賢治に癒やされたのも束の間、ヘルパーの三井から母親が排泄物を投げつけて暴れているとの連絡が入る。賢治の運転で自宅に戻ると、部屋は糞便で悲惨な状況だった。かつての恋人との再会が最悪の形で終わったと悲嘆する圭子は、手助けを申し出る賢治を家に入れずに帰らせる。ところが、後日、もう二度と会うことはないと思っていた賢治が介護用品を車に載せて圭子のもとを訪れた。祖母の介護で心得がある賢治は、介護は1人で抱えちゃだめだと、その日から週に2日は圭子のサポートに訪れてくれるようになった。

(以下では、全篇について言及する。)

両親の介護のために献身的に尽してきた圭子は死を望むまでに疲弊している。そこにかつての賢治から「蜘蛛の糸」のような支援の手が差し伸べられる。ところがある事件をきっかけに、再び圭子の運命は暗転し、彼女に身の上には次々と災難が降りかかっていく。
登場するキャラクターは類型化されているのは、1つにはキャストに演技未経験者が含まれているからであろう。だが監督は、それを逆手にとって、主人公・圭子が確実に不幸に見舞われるべく、個性を排した役割としての駒を盤面に打って行くのである。すなわち、この作品は、圭子を不幸に叩き落とす装置として構想されているのである。
無論、それは、来たるべき「光復」(=幸福)のお膳立てのためである。
しかも、その「光復」は、全ては無常である「空(くう)」の悟りの先にある、とストレートに提示してしまう。ジェットコースター的な悲劇のエンターテインメントの先に展開する、突然の思弁的な展開。しかもその悟りの強度を示す演出がまた観客の度肝を抜く。年の瀬に凄い作品を見てしまった。それこそBravo!と声を上げずにいられない。

例えば、不倫した女性ならレイプして山中に遺棄しても構わないと考える連中を描くことで示すのは、不倫を論う人々の醜悪さに対する諷刺である(それこそ不倫が文学に繰り返し描かれるのは、それだけ人々が執着するテーマなのであろうが)。
失明(光を失うこと)は、希望を失うことである。だが、同時に、視覚に惑わされないで「見る」ことを可能にする。法廷にいた判事、検事、弁護士たちの描かれ方を見るが良い。彼らは報道によって歪んだ目を圭子に向けていなかったか。圭子だけが「正義の女神」のごとく目隠しをして裁判(事件)に望んでいたのが示唆的である。そして圭子は後に寺男(池田シン)の「目」によって生活するようになるが、それは圭子が肉体(すなわち自己と想い込んでいる物)を離れて達観することが可能になったことを象徴している。

主演の宮澤美保がどこまでも転落し、その果てに解脱する聖女を体現。監督のメッセージを観客に届けることに成功している。彼女の手になるタイトルの書も素晴らしい。