展覧会『開通60周年記念 芸術作品に見る首都高展』
O美術館にて、2022年12月15日~21日。
1962年12月に首都高速道路1号線の京橋~芝浦間4.5kmが開通して60年になるのを記念して、首都高速道路をモティーフとした作品を展観する企画。「首都高のはじまり」を皮切りに、首都高速道路のどの部分を描いたかにより、日本橋、レインボーブリッジ、その他の東京の首都高速道路、埼玉・神奈川の首都高速道路、その他の大きく6つのセクションで構成。壁面は、絵画・写真を中心に、関連資料も含め、200点を優に超える作品が並ぶ。個々のキャプションには首都高のどの位置を描いたものか図示され、作家のコメントが併記されている。
田沼武能の《日本橋の上をまたぐ首都高速道路を建設中》は、日本橋川に建設中の首都高速道路の橋脚が日本橋を挟むように向かい合って立っている様子を切り取ったモノクロームの写真。切断は接続を引き寄せ、接続は切断を招く。その予兆。
ニセ口晃(こと会田誠)《シン日本橋》(2018)は、日本橋の上を通る首都高速道路を跨ぐように巨大な歩行者用の太鼓橋を構想した絵画作品。首都高速道路は1964年の東京オリンピックに向けて建設が進められており、首都高速道路とオリンピックとの因縁は浅くない。その首都高速道路の上に江戸時代の日本橋を彷彿とさせる木造の歩道橋は屋上屋を架す、アナクロニズムの建築構想である。だが、その当て擦りこそが《シン日本橋》の狙いである。すなわち、過去の栄光の名の下にオリンピックを打ち出の小槌にするぼったくり連中のプロジェクトが《シン日本橋》であり《シン東京五輪》なのだ。
加藤翼《Route-TOKYO-》は、学ラン姿の応援団員が応援する映像を流しながら都心環状線を走るトラックを撮影した映像作品。応援と都心環状線一周とが6分8秒に編集されており、蜿々と同じ応援だけが繰り返される。フランツ・カフカの作品を彷彿とさせる不条理は、掛け声だけの社会を痛烈に諷刺する。
城田圭介《Highway》は首都高速道路6号三郷線の小菅ジャンクション付近で撮影された写真の外側に、想像で周囲の景観を描き足した作品。見えないものへの想像力を発揮せよと訴えるようだ。
小沢朋範の写真《YOKOHANE》は、多摩川の河口に近い場所を渡る大師橋を壁のように表現。高速道路や新幹線の繋ぐ効果に目をくらまされることなく、その遮断する効果に目を向けよと訴える。
AKI INOMATAの《Why Not Hand Over a Shelter to Hermit Crabs? -Tokyo-》は、半透明の樹脂でできたヤドカリの引っ越し用の貝殻。その貝殻には都心環状線をすやり霞として、新宿と芝公園の2箇所のランドーマークを切断しつつ接続する。
本城直季の《Small Planet, Shutoko》は、種痘高速道路湾岸線の本牧付近の貨物コンテナなどを俯瞰で捉えた写真。自動車やコンテナなどがジオラマの模型に見える。
山口英紀の《速足の旅人》は、一ノ橋JCTを捉えた精密な描写の絵画。一見すると本城直季の写真のように見えるが、ボケは和紙を重ねたことで得ている。
佐藤信太郎《「非常階段東京」葛飾区新小岩2005》は、中央環状線・平井大橋を背景に雪化粧した新小岩の家並みを捉えた写真。黒白が反転するが、浜口陽三の《パリの屋根》のような静謐な雰囲気を新小岩にもたらす雪の力に驚かされる。
NaNaHa《unexpected coincidence 23》は、首都高速道路5号池袋線の橋脚にある形と、ノルウェーの木造建築に見られた形との相似を、1枚の写真に組み合わせた作品。
松山賢の絵画《模様の絵(石川町JCT下交差点)》は、高速の高架下に女性のヌードを配することで、異化効果を狙う。
藤本明《Fountain #Syutoko Expressway》は、同じ映像を4つ繋ぎ併せ、万華鏡のような効果を生み出した映像作品。