可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『離ればなれになっても』

映画『離ればなれになっても』を鑑賞しての備忘録
2020年製作のイタリア映画。
135分。
監督は、ガブリエレ・ムッチーノ(Gabriele Muccino)。
脚本は、ガブリエレ・ムッチーノ(Gabriele Muccino)とパオロ・コステッラ(Paolo Costella)。
撮影は、エロワ・モリ(Eloi Molí)。
美術は、トニーノ・ゼッラ(Tonino Zera)。
衣装は、パトリツィア・チェリコーニ(Patrizia Chericoni)。
編集は、クラウディオ・ディ・マウロ(Claudio Di Mauro)。
音楽は、ニコラ・ピオバーニ(Nicola Piovani)。
原題は、"Gli anni più belli"。

 

新年を祝う花火が打ち上がる。ジュリオ・リストッチャ(Pierfrancesco Favino)が屋敷の庭で煙草を吸いながら夜空を見上げる。娘のスヴェヴァ(Elisa Visari)も出て来る。どれくらい続くんだ? 1時間。そんなに? 妻のマルゲリータ(Nicoletta Romanoff)が窓を開けて声をかける。何してるの? 寒いから入って。娘が父親の煙草を取って吸う。娘から煙草を取り戻す。娘が行こうと言って家に入る。
私はジュリオ・リストッチャ。1982年当時16歳でした。
ディスコでは大勢の若者が音楽に合わせて踊っている。焼き尽くしてるぞ。衝突が起きてる。1人の青年がフロアの連中に向かって叫ぶ。パオロ・インコロナート(Andrea Pittorino)が女の子と踊っていた友人のジュリオ・リストッチャ(Francesco Centorame)に声を掛ける。車が燃えてる、行ってみよう!
数名の若者が店を出ると、通りではシュプレヒコールを挙げ、火炎瓶や石を警官隊に向かって投げつける人々の姿があった。ジュリオとパオロは飛び出したはいいが、店のドアが閉ざされてしまい戻れない。炎を上げる車に向かったとき、銃声がする。1人の少年(Matteo De Buono)が倒れて悶えていた。2人は慌てて駆け寄る。腹部に被弾した少年は血だらけだった。救援を求めるが騒乱で反応はない。2人は負傷した少年を担ぎ出す。病院に行かないと。中年の男性が運ぶのを手伝いに来る。あいつらが撃ったのか、死んじまうぞ。男性は自分の車に導く。名前は何だ? 男が運転する車の中、ジュリオが声をかける。リカルド。リカルド、死ぬな。目を開けてろ! 助手席のパオロがどれくらいかかるか男に尋ねる。もうすぐだ。ジュリオが意識を失わないようにリカルドに声をかけ続ける。
病院。リカルドの両親が医師と話している。呆然としたジュリオとパオロが通路のベンチに腰掛けている。車椅子の老女が2人に話しかける。どうしたの? 撃たれたんだ。誰が? リカルドです。あなたたちの友達? 2人は顔を見合わせる。
ジュリオ、パオロ、リカルドの3人が湖に駆け込む。
リカードは助かりました。僕らはリカード九死に一生を得た奴って呼び、略して九一になりました。死に損なったんだから、僕の人生は余生みたいなもんだよ。
リカルドの母親(Federica Flavoni)が一糸纏わぬ姿で現れる。お前の母さん全裸だぞ! 何やってるの? 友達がいるんだよ。それが何? みんな一緒でしょ。
3人とリカルドの両親が庭のテーブルで食卓を囲み、談笑している。
リカルドの両親はうちの両親とはかなり違っていました。一緒に夏を過そうと湖畔の家に誘ってくれました。とても親切でした。共産主義者でしたけど。
皆で庭に木材を組み立てる作業を行っている。。
僕は鳩が好きだったので鳩小屋を作りました。僕があらゆる動物が好きだったんです。
それは私の人生で最高の夏でした。
鳩小屋が完成し、3人が鳩小屋の中に入って鳩を観察している。永遠に鳩たちの家だ。ずっといるかな? いるさ。目の前で鳩の雛が孵る。
言わなきゃならないことがあるんだ。でも必ず手を貸してくれよ。何を手伝えばいい? でかいヤマだ。誰にも打ち明けたことはないけどな。半年以上は暖めてたんだ。
ジュリオは2人を連れて自動車解体業者の敷地に向かう。俺を信頼してくれよ。全部直すから。どこに向かってるか分かるか? どこに行くんだ? 街だよ。できるだけ遠くに行くんだ。ジュリオは廃車の積まれている中に置かれた1台の赤い車を示す。よく見てくれよ。格好いい。だけど動くのか? 心配するな。3人で乗り込むんだ、バルセロナに向かってな。憧れのバルセロナか。どうやって修理するんだ? がっかりはさせないさ。1つのことだけ考えて、実行あるのみ。分かってないだろ? 分かってないのはお前だよ。入ろう。
廃品業者の親爺(Massimiliano Cardia)は50万リラだとふっかけてきた。お買い得だろ。ボンネット外しゃあよ、完品だぜ。持ち合わせがないんだ。金が無いなら諦めな。50万リラはぼったくってない? だったら出てけ。親爺が立ち去る。俺たちでこの車を手に入れよう。何とかして持ってくんだ。でもどうやって? 俺が戯言吐いたことあるか? いや。
リカルドが両親に借金を申し出る。必ず返済するし、これ以上は何も望まないと。何するつもり? 黙り込むリカルド。教えてくれないのよ。トラブルに巻き込まれてるんじゃないのか?
本当に何かを求めるなら、いつかは手に入るでしょう。本気になって求めさえすればいいのです。
赤い車を手に入れた3人は修理工をしているジュリオの父親(Fabrizio Nardi)のもとに運び込む。エンジンルームを点検していた父親は錆がひどいと言っていくらで手に入れたのか尋ねる。50万リラ。そりゃいい、馬鹿もんが。冷却装置、燃料装置、点火装置、吸気管、みんなダメだ。50万リラで新車なんて手に入らないだろ。じゃあ運転してハンドルが切れるか? ステアリング・コラムがいかれてんだよ。最初のカーヴで事故るじゃねえか。突っ返して金を取り戻せ。部品は俺が何とかする。保管してもらえるか聞きたかっただけさ。好きにしろ、仕事のやり方が学べるさ。何で俺には賢い息子がいないんだろうな。父親が捨て台詞を吐いて立ち去る。ジュリオ、どうするんだ? 俺たちで走らせるんだ。
鳥の標本や図解が並ぶ教室。黄色いインコを手にしたパオロが皆の前で鳥について発表を行っている。もう1つの基本的な違いは、人間が平らな胸骨に対して、鳥のはV字になっていることです。鳥の胸筋は人間のものよりも遙かに強力で、胸骨との組み合わさることで気圧に耐えることができます。ルーシーと名付けたインコをパオロが放つと、1人の少女(Alma Noce)の机の上に止まった。彼女は手にルーシーを載せてみる。何でいつも付いてくの? 生まれてすぐに僕が育て始めたから、僕を母親だと思ってるんだ。終業のベルが鳴る。鳥の飛行について教えてくれたインコロナート君に拍手! 先生が皆にまた来週と言って授業を終える。パオロは美しい少女に見惚れる。名前は? ジェンマ。僕はパオロ。
彼女の名前はジェンマ。僕はそんな素敵な名前があるなんて知らなかった。

 

弁護士として成功を収めたジュリオ・リストッチャ(Pierfrancesco Favino)は、政治家で実業家のセルジオ・アンジェルーチ(Francesco Acquaroli)を父に持つ妻マルゲリータ(Nicoletta Romanoff)と、2人の間の美しい娘スヴェヴァ(Elisa Visari)とともに2022年をローマにある豪邸で迎えた。新年を祝う花火を見上げながら、ジュリオは40年前、16歳の自分を思い出す。
1982年。ローマ。友人のパオロ・インコロナート(Andrea Pittorino)とともにディスコに遊びに出かけたジュリオ・リストッチャ(Francesco Centorame)は、デモ隊と警官隊との衝突に居合わせる。暴動に参加して被弾したリカルド(Matteo De Buono)を助け出したことから、リカルドの両親の家に招かれ、3人は友情を育む。自動車修理工の父(Fabrizio Nardi)を持つジュリオは、自動車解体業者(Massimiliano Cardia)から赤い廃車を手に入れる。父親からは屑鉄を突っ返して来いと匙を投げられるが、ジュリオは何とか車を動かそうと知恵を絞り、最終的に車を蘇らせることに成功する。パオロが生物の授業で知り合い恋仲になったジェンマ(Alma Noce)ととともに、4人で車を乗り回して馬鹿騒ぎを楽しむ。だが車はジュリオの父親に勝手に売り払われてしまい、ジェンマは母親の死をきっかけにナポリの叔母の家に引き取られることになった。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

黄色いインコはルーシー(Lucy)=光(lux)。パオロは光を求め続ける。ジェンマ(Gemma)は宝石(gemma)であり、光。
紆余曲折を経て、路面電車でパオロがジェンマに再会する奇蹟。そこからジャコモ・プッチーニ(Giacomo Puccini)作曲のオペラ『トスカ』の、「星は光りぬ(E lucevan le stelle)」の観劇シーンへ雪崩れ込む。そこで再びパオロは光を見出す。
赤はジュリオのシンボル・カラー(共産主義には抵抗があるみたいだが)。赤い廃車はジュリオそのものだ。彼は貧しい修理工の息子の境遇から抜け出したい。打ち棄てられた赤い車を直して疾走させるのは、その象徴だ。父が車を勝手に処分するのは、車以外の立身出世を望んでのことだ。父親は自分の息子の有能さに気付いている。ジュリオが父親の法的な問題を指摘するのは、後の法曹界への進出の予兆だ。
有能な弁護士になったジュリオは、ウェイトレスとして働くだけで夢が無く、休日にどこにでかけるかくらいにしか興味がないとジェンマに夢が無いと言い放つ。だが、後にジェンマがイタリア・オペラ座のバーを引き継ぐことになったのは、接客の仕事に精魂を込めて取り組んでいたからだろう(ジェンマはいつも仕事で疲労困憊していた)。成功を収めたジュリオは、どんな仕事にも必死で取り組む人がいるということが見えなくなっていた。それは、より広く、彼が他人の気持ちを理解できなくなっていたということである。家族との距離も広がっていくことになる。娘は、彼の華々しい生活の裡にある虚しさを暴き出す。そのとき、ジュリオは考えを改めることになる。
変わっていくジュリオに対して変わらないパオロが対照的。
パオロは臨時教員で食いつなぎながら、名門校でイタリア語、ラテン語、そしてギリシャ語の正規教員の職を得ることになる。2000年前には大プリニウスが最近の若者はと嘆じていたらしい。もしそうなら、今頃世界は無くなっているだろうとの正論。
銃弾を腹部に受けながら生還したリカルドは"sopravvissuto(生き残り)"と呼ばれる。sopravvissuto(英語のsurviveに当たるsopravvivereの過去分詞)には「時代遅れの人」という意味もあるらしい。なお、略して"Sopravvissù"と呼ばれた(あまり縮まってないが)。字幕では「イキノビ」とされていた。
少年期以外は、パオロをKim Rossi Stuart、リカルドをClaudio Santamaria、ジェンマをMicaela Ramazzottiがそれぞれ演じている。ジュリオは大学生から老けていたというセリフは、Pierfrancesco Favinoが法学部の大学生を演じているからで、さすがに無理があると思って自虐的に組み込んだのだろう。
Nicola Piovaniによるメインテーマは、これぞイタリア名画と言える美しい旋律で、印象に残る。
映画館のフリーペーパー『月刊シネコンウォーカー』誌に連載中の松久淳「地球は男で回ってる」は、作者の偏愛する作品や俳優を選り好みして言い散らかして嫌みが無い素敵な映画エッセイ(「おヒュー」とか「ドンちゃん」とか…)。その第185回で『離ればなれになっても』は往年の名作へのオマージュに溢れていると紹介されていた。