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芸術鑑賞の備忘録

展覧会 クリスチャン・ヒダカ&タケシ・ムラタ二人展『訪問者』

展覧会『クリスチャン・ヒダカ&タケシ・ムラタ展「訪問者」』を鑑賞しての備忘録
銀座メゾンエルメス フォーラムにて、2022年10月21日~2023年1月31日。

会場の壁面にも描画し、絵画を展示空間との入れ子式のインスタレーションとなるように見せるクリスチャン・ヒダカと、CGI技術の「ディゾルヴ」をフィーチャーしたアニメーションなどCGを用いた作品を衷心としたタケシ・ムラタの2人を取り上げる企画。

クリスチャン・ヒダカの《傘を持った女性》(2035mm×1035mm)は、強い風から身を守るように紫の蛇の目傘を握る和服の老女を描いた絵画。風に呷られて裾が翻る様子を表現するために左側から伸びた手が糸で裾を引っ張り上げている。このような演出による写真は、開港後の横浜で外国人向けの日本土産として制作された「横浜写真」を下敷きにしているのだろう。高下駄がスリッパのようになっていたり、ヨーロッパの古地図に見られる風の神アネモイの1人(ボレアス?)が風を吹いていたり、ヨーロッパ中世の城館やイスラーム建築を想起させる床や壁、さらにはピート・モンドリアン(Piet Mondrian)の抽象絵画のような仕切り壁を設置するなど、異なる地域や時代を混淆させた表現が仕組まれている。床を這う亀が地球の球体を載せているのは、西欧人によって地球平面説的表象と誤解されていたイメージを改変したものであり、錯誤の錯誤の表象である。また、床を支えるアーチ構造、ベンチを支えるそれと同じアーチ構造、さらにはアーチ構造の壁の開口部。さらにその開口部には六芒星が見える格子が嵌められ、六角形は亀の甲羅と共鳴する。床板のパネルや壁の上部のデザインには幾何学的形態の繰り返しが見られる。混淆と錯誤、そして反復。整序された直線的な時間構造とは異なる時空が絵画の中に展開している。

同じくクリスチャン・ヒダカの《シパリウム(バックドロップ)》(1780mm×2550mm)は、男女2人の俳優が立つ仮設の舞台を中心に、柱廊に囲まれた中庭描き出した作品。石造の建築と人物などから延びる長い影はジョルジョ・デ・キリコ(Giorgio de Chirico)の絵画を連想させ、静謐さと不穏さを生む。太鼓を叩く青年(《タンブール・アンシャン(古代の太鼓)》)や、眠る老人やモンドリアン抽象絵画を思わせる間仕切((《カービーと眠る人物像》)、会場に設置された他の作品に描かれたモティーフがこの作品の中に鏤められている。そして、会場には絵画に登場する壁や間仕切などが描き込まれ、あるいは新たに壁(や開口部)が設置されることで、鑑賞者は作家の作品の中に入り込む感覚を味わわせられる。

タケシ・ムラタのCGによる静止画像《ゴールデン・バナナ》(794mm×1098mm)は、バナナと金のバナナのオブジェを並列する(マウリツィオ・カテランの露骨な表象)とともに、獣の頭骨や画面の割れたスマートフォンを添えたヴァニタス。現代的モティーフによる古画の再生という意味では、《傘を持った女性》で横浜写真の現代的解釈を行ったクリスチャン・ヒダカに通じると言える。

バスケットボーラーである犬のラリーを主人公とした、タケシ・ムラタのCGアニメーションのシリーズでは、犬のラリーの動作の残像を溶けるように表現することで時間の性質について問いかける。現在とは何か。過去も未来も全て現在のうちにしかないのか。瞬間は断絶しつつ連続するのか。

タケシ・ムラタの映像作品《ドーナツ》は、犬の散歩でドーナツ店の前を通り過ぎる人たちとドーナツ店の客とをとらえた映像が繰り返されるうち、時空に歪みが生じ、それがどこまでも連なっていく。整序された直線的な時間構造が歪んでいくという点で、クリスチャン・ヒダカの絵画《傘を持った女性》と同じ主題を扱っていると言える。

一見すると全く異なる作風の2人の作家の共通性を見抜き組み合わせる企画者の手練に感服させられた。