可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『ドリーム・ホース』

映画『ドリーム・ホース』を鑑賞しての備忘録
2020年製作のイギリス映画。
113分。
監督は、ユーロス・リン(Euros Lyn)。
脚本は、ニール・マッケイ(Neil McKay)。
撮影は、エリック・アレキサンダー・ウィルソン(Erik Alexander Wilson)。
美術は、ダニエル・テイラー(Daniel Taylor)。
衣装は、シャーン・ジェンキンズ(Sian Jenkins)。
編集は、ジェイミー・ピアソン(Jamie Pearson)。
音楽は、ベンジャミン・ウッドゲーツ(Benjamin Woodgates)。
原題は、"Dream Horse"。

 

ウェールズの谷間の町クヴン・フォレスト。ベッドに横になるジャン・ヴォークス(Toni Collette)の目は冴えている。隣で眠る長年の連れ合いブライアン・ヴォークス(Owen Teale)の鼾がうるさくて眠れないのだ。セットしていたアラームが鳴ると、すぐに止める。ベッドに上がっていた大型犬を撫でる。シャワーを浴び、犬とともに階下へ。壁には鳩レースで優勝した際の賞状などが飾ってある。台所で治療中のアヒルに挨拶。気分は良くなった? トースターで焼いた食パンにバターを塗ると、良い子にねとアヒルに声をかけ家を出る。
辺りはまだ薄暗い。家の前に駐めた車のヘッドライトを直して職場に向かって歩き始める。町のメインストリートの坂道を下り、コープのスーパーマーケットへ。掃除機をかけ、キャッシャーに立つ。思わず溜息をつくジャン。
仕事を終えたジャンは実家に立ち寄る。母さん、大丈夫? 元気よ。母親のエルシー(Lynda Baron)が暖炉に靠れて動けなくなっていた。跪いて火を点けようとしたら起き上がれなくなっちゃった。ジャンが母親を引っ張って立ち上がらせ、ソファに座らせる。わしが起こしとったら、自分が倒れとったろうな。だからジャンを呼べと言ったんだ。掃除機をかけながら父のバート(Alan David)が言う。娘には迷惑をかけないで、テスコだからって言ったのよ。コープよ、母さん。火は私に任せてって何度も言ったでしょ。何度も私たちのためにやらなきゃって思わせちゃうのが嫌なのよ。娘が世話するのは役に立たん間抜けのブライアンだけだ。もう鳩もいないことだしな。それに親の世話をせんなら娘じゃなかろ。
目抜き通りの坂道を上がっていく。空き店舗の壁に落書きがある。そんなに悪かないはずさ、鳩が戻ってくるんだし。
前に言ったでしょ、近くに住んでたらベビーシッターなんて必要ないの。ジャンが息子と電話しながら帰宅する。ブライアンはリヴィングの椅子に腰を据え、酪農番組を見ている。実家に立ち寄ったの。父が母が転んだって連絡してきたから。脳卒中かと思って慌てたわ。大丈夫か? 夫がボソッと尋ねる。めまいがしただけ。両親が同居したらずっと楽なんだけど。子供たちが独立して部屋もあるわけだし。父と同居するのは嫌だろうけど…。俺は手袋なんかしなかった、肛門に素手を突っ込むんだ、腕時計を失くしたこともある。テレビ番組を見て呟くブライアン。ジャンが宝籤に当たったとか浮気してるとか言ってみても話し合いを避けたい夫は上の空。出かけるわよ。茶でも飲むか? ジャンは怒って食事の支度を始める。
地元の社交場となっているパブ。ジャンは夜はここでバーテンダーをしている。ホールでは老人たちがダンスを習っている。カウンターでは店主のガーウィン(Steffan Rhodri)がカービー(Karl Johnson)にツケはもうお断りだと注意しながらビールを注いでいる。ソファでは見慣れない男(Damian Lewis)が競馬について興奮気味に語っていた。…僕のサラブレットがまた追い抜いてね、観客席の最前列に駆け寄ったよ、そしたら見失ったんだ。僕の馬が倒れてしまった。パニックになって馬場に降りようとしたんだ。そこにスウィート・ジェンマが外側から来たんだ、勝ったんだよ。ダメなんだけどさ、祝福してやるために柵を越えて駆け寄ったんだ。僕の馬が勝ったんだ。ジャンは喜色満面の男の話に興味を覚えた。見たことない顔ね。ジャンがガーウィンに尋ねる。ハワード・デイヴィス、会計士、いかにもって感じだろ。別の店に通ってたんだが、木曜はここに来るようになった、スカッシュの後に。競走馬を持ってるの? 所有していた。おじゃんになる前はな。何があったの? 彼は話したがらない。おけらになっちまったんだ。酒を切らしたとガーウィンがバックヤードに向かう。ハワードがジャンにビールの追加を注文しに来る。ステラを6杯。ハワードね? 競走馬を持ってたの? 聞き耳を立てずにいられなかったのよ。すごくお金がかかるんでしょ。どういうこと? 競走馬を手に入れるって。シーク・オマリが1600万注ぎ込んだみたいにやらないと。彼のフレンチ・オーヴァーはウェールズ・グランド・ナショナルを制したんだ。まあ、ポンドじゃなくてドルだから多少はお手頃だけどねジャンがビールをカウンターに置く。運んでくれる? 腕があるでしょ? ハワードがジョッキを手に去る。ガーウィンがツケでいいってさ。カービーがもう1杯注ぐようジャンにジョッキを差し出す。
朝。鼾を掻いて眠るブライアンの隣でジャンがベッドから起き上がる。珈琲が入るのを待ちながら、ジャンが部屋の壁に架けられた若いジャンとブライアンの写真を眺める。部屋には沢山の賞状やトロフィーも飾られている。
コープで掃除機をかけるジャン。雑誌コーナーを通りがかり、競馬雑誌に目を留める。立ち読みしていると、電動車椅子の老女から通路が汚れていたと指摘される。ジャンは周囲を確認すると、馬主になるためのガイドブックの広告をこっそり切り取る。

 

廃鉱により寂れた、南ウェールズの谷間の町クヴン・フォレスト。ジャン・ヴォークス(Toni Collette)はコープのスーパーマケットとガーウィン(Steffan Rhodri)のパブとを掛け持ちして、関節炎で動けない夫ブライアン・ヴォークス(Owen Teale)の代わりに家計を支えている。2人の子供は独立して遠くに暮らし顔を見せない。同じ町に暮らす高齢の両親は介助が必要になっている。動物が好きなジャンは鳩レースでの優勝経験もあるが、今は情熱を注ぐものがなく単調な日々を送っていた。ある日、パブの客のハワード・デイヴィス(Damian Lewis)が競走馬の話を夢中になって話しているのを目にしたジャンは、繁殖牝馬を手に入れて競走馬を繁殖させることを思い立つ。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

かつて炭鉱の町として繁栄したが、廃鉱でこれといった産業がなく高齢化した住民が残るクヴン・フォレストと、鳩レースなど動物飼育で輝かしい受賞歴を有するが、子供たちが巣立ち、高齢の両親と残されたジャン・ヴォークスとのアナロジー。とりわけ町の目抜き通りの落書き"CAN'T BE THAT BAD", "PIGEONS KEEP COMING BACK"によって明快だ。
ジャンとブライアンの夫妻が繁殖牝馬リューベルを入手し、馬主組合を結成、種付けに成功して優秀な競走馬ドリームアライアンスを手に入れるという展開にほとんど障害がない。あまりにも円滑な展開に説得力があるのは、Toni Colletteが一旦決めたことはやり抜く不屈の精神を体現しているからだろう。ライヴァルであるエイブリ卿(Peter Davison)も物の数ではない。
ドリームアライアンスの荒々しさが丁寧に描かれていて、レースのシーンに見応えがある。障害があるコースでは、障害を飛び越えるシーンのたびににはらはらさせられる。
歯が抜けた関節炎の夫ブライアン・ヴォークスを演じたOwen Tealeを始め、脇を固めるキャストも皆円熟した演技を見せる。
勝って、飲んで、歌ってのご機嫌な映画。
ウェールズ愛に溢れているという点で貴重な作品。