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芸術鑑賞の備忘録

展覧会『合田佐和子展 帰る途もつもりもない』

展覧会『合田佐和子展 帰る途もつもりもない』を鑑賞しての備忘録
三鷹市美術ギャラリーにて、2023年1月28日~3月26日。

合田佐和子(1940~2016)の回顧展。
合田佐和子は、廃品などを組み合わせたオブジェが瀧口修造に評価され、1965年頃から個展で精力的にオブジェを発表。晩年までオブジェの制作が続けられた。1969年以降は唐十郎寺山修司らのアングラ演劇の舞台美術やポスター原画を手懸ける。1971年に再婚した三木富雄とともにニューヨークに渡り、現地で拾った銀板写真のイメージを絵画に写したことをきっかけに独学で絵画を制作するようになる。モノクロームに近い配色や、色数が増えても暗い画面に俳優や動物の姿などを表わした。旅行をきっかけに一時は生活の拠点を移すほどエジプトにはまり、以降の絵画はパステル調の明るい画面となり、神懸かりの(意志とは関係なく手が動く)絵画制作も行われるようになる。
最初期から晩年までのオブジェ、初期のモノクローム調の油彩から後期のパステル調の油彩を経て晩年の鉛筆画までの絵画作品、書籍のカヴァー、演劇のポスター原画や舞台美術、ポラロイドによる写真作品などを、ほぼ年代順に紹介している。

一貫しているのは、目に対する注目。最初期から手や足に目を組み込こんだオブジェを制作している。人形の頭部を組み込んだオブジェの中には《Watch-Angels》(1964)と題されたものもある。エジプト滞在時にはホルス神の目に加え、現地の共同生活の中で見慣れぬ日本人に対して四六時中視線が注がれる体験があったとのことで、ガラス器に付け加えられた義眼、目だけを描いた絵画など、ますます目が作品に溢れている。
ところで、ポラロイドの作品では、親しい人物をモデルに、敢て瞼に目を描いて撮影している。描かれた目とは結局は義眼であり、ガラス玉である。
改めて展示されている絵画に目を向けると、描かれた目の多くは、鑑賞者を見返すことなく、どこかに視線を外している。何故だろうか。
1つには、目が描かれたもの――義眼、ガラス玉――に過ぎず、目の持つ力、不可思議な視線の力――たとえ破邪とまでは行かずとも、背後の視線を感じるような――を発揮することはないことを隠蔽するためではなかろうか。また1つには、反対に、その視線の隠蔽によって却って目の持つ力を想起させる意図があるのかもしれない。さらには、目に対する不信を、恰もマジシャンが観客の目を動作に引き付けることでトリックを仕掛けるように、敢て目に着目させることで訴えるのではなかろうか。見えているものに囚われるなと。瞼に描いた目とは、心眼を用いよとのメッセージのようである。