可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『生きる LIVING』

映画『生きる LIVING』を鑑賞しての備忘録
2022年製作のイギリス映画。
103分。
監督は、オリバー・ハーマナス(Oliver Hermanus)。
原作は、黒澤明監督の映画『生きる』(1952)。
脚本は、カズオ・イシグロ(Kazuo Ishiguro)。
撮影は、ジェイミー・D・ラムジー(Jamie D. Ramsay)。
美術は、ヘレン・スコット(Helen Scott)。
衣装は、サンディ・パウエル(Sandy Powell)。
編集は、クリス・ワイアット(Chris Wyatt)。
音楽は、エミリー・レビネイズ=ファルーシュ(Emilie Levienaise-Farrouch)。
原題は、"Living"。

 

1953年。ロンドン郊外の駅。ロンドンに向かう通勤客が跨線橋を渡って次々とホームに集まって来る。周囲に比べ明るい青のスーツを身につけたピーター・ウェイクリング(Alex Sharp)は微笑みながら汽車を待つ。やや離れた場所に職場の同僚が固まっているのに気が付き、ピーターが挨拶しに行く。おはようございます。おはよう。よろしくお願いします。覚悟はできています。紹介しておこう。新入りのピーター・ウェイクリング君だ。ミドルトン(Adrian Rawlins)はハート(Oliver Chris)とラスブリッジャー(Hubert Burton)をピーターに紹介する。待ち侘びたよ、ほぼ2ヶ月間職場は定員割れだったからね。猫の手に成れたらいいんですが。1~2週間くらいで。同僚たちが受け流し、寒々しい雰囲気。君、心配するな。朝のこの時間帯はあまり笑わないことになってるんだ、教会みたいにね。おっしゃる意味が分かりました。ホームでは大勢の人が汽車を待っているが皆押し黙っていた。
汽車がプラットホームに滑り込んでくる。汽車はもうもうと煙を吐きながらロンドンに向かって田園地帯を抜けていく。2人ずつ向かい合ってクロスシートを占めている4人は押し黙っている。初日は少々緊張するものだ。直に慣れるさ。ラスブリッジャーがピーターをリラックスさせようと声を掛ける。我々については心配しなくていい、同僚だ。ボスには気に入られないとな。ミドルトンが忠告する。ウィリアムズさんのことですか? 面接では感じのいい人でしたけど。冷淡な面もあるんですかね…。実際、あまりよく知らないので。すぐに会うことになる。次の駅で彼が乗車する。ハートがピーターに告げる。
列車が停車すると、4人の座席の前の窓にロドニー・ウィリアムズ(Bill Nighy)が立っていた。お互いに帽子に手を掛けて挨拶する。列車が動き出す。彼がここに来ますよね? まさか。一緒に乗ったことなんて一度も無い。
汽車はウォータールー駅に到着。4人がホームで待っていると、ウィリアムズが姿を現わす。諸君、おはよう。4人も挨拶を返すと、ミドルトンがウィリアムズを通す。後に続こうとするピーターをミドルトンが傘で制する。ウィリアムズとの間が開くと、4人が歩き始める。
スーツに帽子の勤め人がそれぞれ職場へと向かう。ウィリアムズらはロンドン州議会の螺旋階段を登っていく。ウィリアムズは廊下でジェームズ卿(Michael Cochrane)が歩いてくるのを見かけると、壁際に控え頭を下げる。ジェームズ卿、おはようございます。うむ。ジェームズ卿が目もくれず立ち去る。
州議会の事務局。書き物をする者、タイプライターを打ち込む者、電話に対応する者など、大勢の職員がデスクに向かっている。ピーターはウィリアムズが課長を務める公共事業課のデスクを宛がわれ、堆く積まれた書類を前に坐り戸惑っている。ピーターの前のデスクのマーガレット・ハリス(Aimee Lou Wood)は書類を処理しながら興味深げに新人の様子を盗み見ている。ラスブリッジャー君、D19はなぜ返却されたのかね? 企画課のライトさんが送金証明を添付ということで。送金証明が発行されるのはD19の承認後に限られる。承知しています。ライトさんに説明しようとしましたが、聞き入れられませんでした。ならば当座は保管するまでだ。差し支えあるまい。ウィリアムズはトレーに書類を入れる。ラスブリッジャーが笑顔を無理矢理作って見せる。ピーターが書類の山をいじっていると、マーガレットが声をかける。ウェイクリングさん、とても幸運だって思って。最も高い書類の山を残してもらったんですもの。前任のウッドウォードさんの計らいよ。書類の山が高くなければ、とんでもないことだけど、あまりにも素早く処理してするべきことが全く無いなんてことになったら、重要な仕事を抱えていないんじゃないかって疑われてしまうわ。ミドルトンがマーガレットを見る。それを見てピーターが微笑む。了解。だからこの職場での第一の規則は「書類の山の高度を保て」なの。シン(Anant Varman)がウィリアムズにチェスター通りの女性方がお見えですと告げる。通して差し上げなさい。ミドルトン君、対応してもらえるね。もちろんです、ウィリアムズさん。ウェイクリング君、ミドルトン君の補佐をお願いできないかな? もちろんです。
カウンターでミドルトンが3人の女性を迎える。今日はどのようなご用件で? 私どもは昨日丸一日この建物の別の場所におりました。最初に公園課、続いて企画課、さらに衛生課。昨日の閉庁直前になって市民課を案内されました。スミス夫人(Lia Williams)がミドルトンに書類を手渡す。課長と相談させて頂きます。少々お待ちを。マクマスタース夫人(Zoe Boyle)がピーターに尋ねる。新入りでしょ? そうです、初日なんです。せいぜい楽しんでね、ここでの楽しみには終わりはないのよ。スミス夫人がマクマスタース夫人に余計無いことを言わないよう窘める。ミドルトンが戻って来る。皆さんの手紙と嘆願書はよく書けています。私どもも以前から承知しております。しかしながら皆さんにはまずは3階の公園課に提出頂き…。昨日伺いましたわ。ベンチを用意しようとさえしたんですよ。それだけ待たされました。申し訳ございません。お手数をかけて恐縮です。そこで課長が職員を同伴させるよう申しております。さらなる面倒が起こらないように。動揺するピーターが言葉を捻り出そうとする。す、素晴らしい! あの、きちんとですね…。むしろ面倒なことになりそうだと女性たちは表情を曇らせる。

 

1953年。ロンドン郊外の駅。真新しいスーツに身を包んだピーター・ウェイクリング(Alex Sharp)がロンドン行きの汽車を待っていた。今日からロンドン州議会の公共事業課に勤務するのだ。ピーターは同僚のミドルトン(Adrian Rawlins)を見かけ、ハート(Oliver Chris)、ラスブリッジャー(Hubert Burton)とともに4人で汽車に乗り込む。途中、課長のロドニー・ウィリアムズ(Bill Nighy)が同じ汽車に乗り込んだが、ピーターたちの席へはやって来ない。ウォータールーに到着しても、ミドルトンらは課長と距離を保ったまま職場に向かった。堆く積まれた書類の山に戸惑うピーターに、向かいのデスクのマーガレット・ハリス(Aimee Lou Wood)は書類の山を維持して仕事をしているよう装うことが肝要だと助言する。スミス夫人(Lia Williams)、マクマスタース夫人(Zoe Boyle)、ポーター夫人(Jessica Flood)がチェスター通りの爆撃跡地の公園建設を陳情に訪れるが、ミドルトンは公園課を案内する。前日も盥回しにされたと訴える女性たちに課長はピーターを同行させることで手を打つ。しかしピーターを伴った女性たちは、公園課、企画課、衛生課を経て再び公共事業課を案内される。ウィリアムズは衛生課の判断が誤りだとしながら請願書を棚晒しにする。ウィリアムズは早退して先日の検査結果を聞きにマシュー医師(Jonathan Keeble)を訪れると、余命6ヶ月との宣告を受けた。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

公僕として坦坦とした日々をやり過ごしてきたウィリアムズは、病気で余命半年の宣告を受けることをきっかけに変わろうとして、まずは預金を引き出して観光地へ向かってみる。だが酒や娯楽からは楽しみを得られない。
駅の跨線橋からロンドン州議会の螺旋階段まで、大勢の通勤客は、暗い色のスーツに身を固めた無表情の人々の濁流として描かれる。そこから逃れる術は無い。日向のベンチに坐り漫画紙を読む少年は、未だその濁流に呑み込まれていないことを示す。子供の持つ可能性が暗示される。
ロンドンに向かう単線の鉄道は、選択の余地無く、目的地=死へと運ぶ人生のベルトコンベヤーのメタファーである。
ウィリアムズの職場の紅一点マーガレットは、レストラン・チェーンへ転職する。分岐する別の線路があること、そして転轍機を作動させれば進入が不可能ではないことを、ウィリアムズに示唆する。ウィリアムズは自分にはないしなやかな感性に打たれ、マーガレットに学ぼうとする。だが彼の行動は端から見れば老いらくの恋であり、ミス・フライ(Eunice Roberts)が象徴する世間からも、息子のマイコゥ(Barney Fishwick)とその妻フィオナ(Patsy Ferran)の身内からも、顰蹙を買うことになる。
スミス夫人らの陳情は、ザ・ブリッツによる爆撃跡地における公園建設である。爆弾の炸裂により空いた穴には汚水が溜まるばかりで不衛生であった。この穴はウィリアムズの空虚さを象徴する。彼は子供たちのための遊具を設置することで、豊かな日々を子供達(=未来)に託そうとする。
陳情を盥回しにするロンドン州議会はフランツ・カフカの描く世界のよう。公僕たちの表情が絶妙。
職場の雰囲気に染まっていない新人ピーターを演じたAlex Sharpが印象的。
ウィリアムズを変える、愛らしいマーガレットを演じたAimee Lou Woodにガチャピンを重ねてしまうのは私だけではあるまい。