可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『TAR ター』

映画『TAR ター』を鑑賞しての備忘録
2022年製作のアメリカ映画。
158分。
監督・脚本は、トッド・フィールド(Todd Field)。
撮影は、フロリアン・ホーフマイスター(Florian Hoffmeister)。
美術は、マルコ・ビットナー・ロッサー(Marco Bittner Rosser)。
衣装は、ビナ・ダイヘレル(Bina Daigeler)。
編集は、モニカ・ウィリ(Monika Willi)。
音楽は、ヒドゥル・グドナドッティル(Hildur Guðnadóttir)。
原題は、"Tár"。

 

プライヴェート・ジェットの機内。温かみのある白で統一されたデザイン。リディア・ター(Cate Blanchett)がアイマスクを着けてテーブルに肘を付けて眠っている。同行者がその様子をスマートフォンで撮影しながらメッセージのやり取りをしている。何時起きだったの彼女? 私一緒じゃ無かった。早起きじゃないの? 参ってる。良心があるって言いたいの? まあね。まだ好きなの?
準備は? マイクは気にしないで歌ってもらえる? 通訳が現地語に訳して伝える。少女の歌声が響く。
ニューヨーカー誌による公開インタヴューの会場。舞台袖で落ち着かないリディア。強く息を吐いたり口を動かしたり深呼吸したりして落ち着こうと努めている。秘書のフランチェスカ・レンティーニ(Noémie Merlant)がやって来る。消毒液を手に噴霧してもらい、手を擦り合わせると、錠剤を受け取って口に含み、グラスを受け取って水で錠剤を流し込む。インタヴュアーのアダム・ゴプニク(Adam Gopnik)が現れ、用意はいいかと尋ねる。ええ。リディアが答え、2人は舞台へ。大きな拍手が起こる。
ご来場の皆さんは彼女をご存じでしょう。現代の最も重要な音楽家の一人リディア・ターです。カーティス音楽院ピアノ科を卒業、ハーバードの全米優等学生友愛会に所属、ウィーン大学から音楽学の博士号を授与されました。専門はペルー東部ウカヤリ渓谷の民族音楽で、シピボ・コニボ族の下に5年滞在しています。指揮者としては、いわゆる5大オーケストラの1つクリーヴランド管弦楽団でキャリアをスタートし、フィラデルフィア管弦楽団シカゴ交響楽団ボストン交響楽団、そして当地ニューヨークのニューヨーク・フィルハーモニックで要職を歴任。ニューヨーク・フィルハーモニックではザータリ難民キャンプでのチャリティーコンサートを開催、7万5千人を集めました。ジェニファー・ヒグドン、キャロライン・ショー、ジュリア・ウルフ、ヒドゥル・グドナドッティルから依嘱された現代音楽の演奏でとりわけよく知られるようになっています。名曲の作曲者たちとともに彼女たちの作品を演奏することに力を入れています。彼女たちは会話をしている、会話が礼儀正しいとは限らない、と言ったとか。リディア・ターは舞台や映画のための音楽を作曲もしています。エミー賞グラミー賞アカデミー賞トニー賞の4つの主要な賞を全て獲得したわずか15人の一人です。リチャード・ロジャースオードリー・ヘップバーン、アンドルー・ロイド・ウェバーといった錚々たる顔ぶれ、メル・ブルックスもいますがね。
クラシック音楽のレコードの数々を床に並べたリディアは、ドイツ・グラモフォンの、クラウディオ・アバド指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団演奏のマーラー交響曲第5番のジャケットを選択する。フランチェスカは高級テーラーに向かい、アバドの写真のイメージを再現するため仕立てを依頼する。採寸、型紙作成、裁断、くせ取り、縫製、リディアの試着。シャツが完成すると、ソファや楽譜、筆記具まで周到に準備を行う。鏡を前に衣装を身につけたリディアはソファに腰を降ろし鉛筆を持って楽譜に向かってみる。
ステージではゴプニクがリディアを前に彼女の紹介を続けている。2010年、エリオット・カプラン(Mark Strong)の支援を受け、アコーディオン指揮基金を創設、女性指揮者の育成と演奏機会の提供を通じ、世界中のオーケストラでの女性指揮者採用を実現しました。2013年にはアンドリス・デイヴィス(Julian Glover)の跡を継ぎ、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団に首席指揮者となり、今に至ります。師のレナード・バーンスタイン同様、マーラーに特別な親近感を抱き、5大オーケストラ時代にマーラーの9つの交響曲を録音しています。しかしこれまでのところ1つの楽団で9つの交響曲全てを演奏することはできていません。リディアの指揮でベルリンは8曲を録音しました。交響曲第5番が残されています。世界的な感染症の流行で昨年予定されていた公演は中止を余儀なくされました。来月の公演で残る1曲の録音を行い、9つの交響曲のセットをマーラーの誕生日にドイツ・グラモフォンから発売することになっています。それに加え、リディアの新刊、『ター・オン・ター』がナン・タリーズ編集でダブルデイからクリスマス直前に出ます。クリスマスに靴下に入れるには相応しいですよ、とりわけ大きな靴下をお持ちなら。ニューヨーカー誌を代表して感謝申し上げます。マエストロ、本日はお越し頂きありがとうございます。会場から大きな拍手が起こる。

 

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者リディア・ター(Cate Blanchett)は、マーラー交響曲第5番を録音する演奏会を控えている。それをもってマーラーの9つの交響曲全てをベルリン・フィルで演奏するプロジェクトが完結する。秘書のフランチェスカ・レンティーニ(Noémie Merlant)の手配で新譜を飾る写真をクラウディオ・アバドのレコード・ジャケットを再現で整えたリディアは、ニューヨーカー誌のフェスティヴァルでアダム・ゴプニク(Adam Gopnik)による公開インタヴューに応じ演奏会と新著『ター自らを語る』の宣伝をする。イヴェント後、ジュリアード音楽院での講義までの間に、リディアの女性指揮者育成プログラム「アコーディオン指揮基金」の出資者兼理事長でもある投資銀行家エリオット・カプラン(Mark Strong)と会食し、クリスタ・テイラー(Sylvia Flote)脱退によるプログラムの欠員補充や、ベルリンフィルの副指揮者セバスチャン・ブリックス(Allan Corduner)――リディアの前任者であり師でもあるアンドリス・デイヴィス(Julian Glover)の愛弟子――の交代について意見交換する。アマチュア指揮者でもあるエリオットが指揮のテクニックについて必死に教えを乞おうとするがリディアはロボットに栄光は無いと自らの表現を追究するよう窘める。音楽院のマスタークラスでは性差別主義者であるとしてバッハを受け容れない受講生のマックス(Zethphan D. Smith-Gneist)に音楽を自らの属性で判断されたいのかと諭す。その晩、リディアはフランチェスカから差出人不明の小包が届いていたと告げられる。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

ベルリン・フィル首席指揮者リディア・ター(Cate Blanchett)は、女性指揮者の道を切り拓くだけでなく、クラシックから現代音楽までに精通して後進の指導に当たり、アマゾンの民族音楽の研究に業績を挙げ、舞台や映画への楽曲提供で世に聞こえ、現代を代表する最重要の音楽家としてキャリアの絶頂にある。
だがリディアの磐石な地位に亀裂が走り始める。ペルー東部ウカヤリ渓谷の調査旅行にも同行させたクリスタ・テイラーから執拗に脅迫のメールが送られるようになったのだ。忠実に仕える秘書フランチェスカ・レンティーニ――副指揮者セバスチャン・ブリックスの後任を期待し、また楽団員からもそう目されている――や、コンサートマスターでともに娘ペトラ(Mila Bogojevic)を養育する私的なパートナーであるシャロン・グッノー(Nina Hoss)との関係も冷却しつつある。だが「英雄色を好む」を地で行くリディアは、シャロンフランチェスカ、そしてクリスタとの関係に飽き、ロシア出身のチェロ奏者オルガ・メトキナ(Sophie Kauer)に触手を伸ばす。

「危険信号はキャッチしているが、残念ながら意識することが出来ないんですね。破滅型と呼ばれる人の生き方は、このことと関係あるのかな。近未来に自滅することを感知して、無自覚なまま、敢てその方向に歩いて行くみたいな……」(辻原登『卍どもえ』中央公論新社〔中公文庫〕/2023/p.253-254)

リディアの素晴らしい業績の数々の説明を、公開インタヴューでアダム・ゴプニクが聴衆に紹介する形で提示するとともに、リディアの完璧さを(コンサートや研究調査旅行などではなく)レコード・ジャケットの再現のための服の仕立てその他の準備の過程における、採寸、型紙作成、裁断、くせ取り、縫製に当たる職人の姿を通じて象徴的に描いてみせる趣向に唸らされる。
なおかつ、冒頭では精神を安定させるために薬に頼らざるを得ない――パンデミック下を舞台にしているためでもあるが、繰り返される手指消毒は神経質さの表現もになっていよう――リディアの繊細さ――パートナーや恋人たちはその落差を知っていて彼女を支えようと愛情を注いできただろう――を舞台袖という人には見えない蔭で示し、その後スポットライトを浴びる堂々とした彼女の姿と対照させる。
ヴィータ・サックビル=ウェストの小説『チャレンジ(challenge)』はリディアに対する「見えない敵」からの果たし合いの申し込み(challenge)である。リディアが「見えない敵」と対峙する姿は廃墟の地下室の場面で象徴的に表現される。そして、完璧な彼女は誰でもすぐそれと分かる痛手を受けることになるだろう。
脚本・演出の素晴らしさとともに、なおかつそれを超えて圧倒的なのはCate Blanchettであり、リディア・ターの存在を疑わせない。