可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『ウィ、シェフ!』

映画『ウィ、シェフ!』を鑑賞しての備忘録
2022年製作のフランス映画。
97分。
監督は、ルイ=ジュリアン・プティ(Louis-Julien Petit)。
脚本は、ルイ=ジュリアン・プティ(Louis-Julien Petit)、リザ・ベンギギ(Liza Benguigui)、ソフィー・ベンサドゥン(Sophie Bensadoun)、トマ・プジョル(Thomas Pujol)。
撮影は、デビッド・シャンビル(David Chambille)。
美術は、アルノー・ブニョール(Arnaud Bouniort)とセシル・ドゥルー(Cécile Deleu)。
衣装は、エリーズ・ブーケ(Élise Bouquet)。
編集は、ナタン・ドラノワ(Nathan Delannoy)とアントワーヌ・バレイユ(Antoine Vareille)。
音楽は、ローラン・ペレズ・デル・マール(Laurent Perez del Mar)。
原題は、"La Brigade"。

 

オー=ド=フランス。人気の無い晩秋の砂浜でカティ・マリー(Audrey Lamy)が1人椅子に坐り海を眺めている。
海に面した大きな窓は酷く汚れ、乱暴に拭われた部分から目の前の浜辺が覗く。窓際の机に向かい、カティが一人書き物をしている。最低限の家具しか置かれていない部屋の灰色の壁には設計図、ユニフォーム、壁紙のサンプルなど、レストラン出店計画に関する諸々が貼られている。
車の運転席。カティが印刷所に電話を入れる。自動応答のメッセージが流れる。カティ・マリーです。昨日電話しました。折り返しの電話をお願いします。見積もりの件です。
人気料理番組「ザ・クック」出演でおなじみの料理人リナ・デレット(Chloé Astor)のレストラン。古い建築とガラス壁面を組み合わせたエントランスホールには、ブラウン管のテレビがオブジェのように何台も積まれ、その全ての画面に「ザ・クック」が映る。司会のミカエル(Stéphane Brel)が視聴者に向かって話している。出場者は非常に単純な料理エッグ・ベネディクトを作らなければなりません、我らがスターシェフ、リナ・デレットとともにです。「ザ・クック」、始まります。
セヴィーチェ・ヴェルデ、カボチャのスープ、テンプラ、カネロニ! ウィ、シェフ! 厨房では白いコックコートの料理人たちがそれぞれの持ち場で忙しく働いている。シェフのリナ・デレットがリポーターのアデル(Adèle Galloy)やカメラマンらテレビ番組のスタッフを伴い厨房に入ってくる。パリとは違いますね。お邪魔します。あなたは何を? 林檎のタルトです。タルトを磨くんですか? そうです、爪のようにつやを出します。マニキュアのような感じですね、後ほど頂きます。こちらは新しい前菜ですか? 色鮮やかに盛り付けたトマトです。新芽の緑がトマトの赤みを引き立てますね。こちらは既に試しことのある創作料理? ええ、でも旬の素材を使って改良を重ねています。アデルがリナに視聴者を意識してカメラに向かい微笑むよう求める。これは何でしょう? オマール海老のパルマンティエ。厨房に入ってすぐ目を惹きました、印象的な料理ですね。カティが円柱状に型抜きした高さ・色味の異なるビーツを円形に並べたビーツ・オルガンに、リナがカイワレを添える。バルサミコを加えてもらえる? 蜂蜜とハイビスカスパウダーが合うわ。絶対にバルサミコよ。振り掛けてね。リナがカティに命じて移動する。ランチタイムはどれくらいの予約が? 大抵は60名ですね。そんなに? リナがオーダーを通る声で読み上げる。セヴィーチェ・ヴェルデ、カボチャのスープ、テンプラ、カネロニ! ウィ、シェフ! カティはカイワレを外すと、ハイビスカス・パウダーと蜂蜜を振り掛ける。ガラスドームで覆ったビーツ・オルガンを台に運ぶ。前菜、16番! 給仕がビーツ・オルガンを両手に客席に向かう。
営業終了後、カティがリナから呼び出される。大して時間は取らせないわ。ビーツの件、説明してもらえる? 自分の味付けを尊重したまでよ。勝手にマトウダイにケッパーを加えたり、ローストトマトにはバジルをまぶしたり。お客様はそれをお好みでは? そんなこと問題じゃないの。シェフなら誰だって考えなきゃならない問題でしょ。セルジュ、お客様の反応は? 給仕長のセルジュ(Christophe Aironi)が控え目に肯定する。テレビや書籍で知ったシェフ目当てでお客様がレストランにいらっしゃるのは分かってる。でも私の料理を食べにもいらっしゃってるの。その点は考慮してもらわないと。この際だからはっきりさせておくわ。あなたの代わりならいくらでもいるの。あなたは私の厨房に属しているんだから、私のルールに従いなさい。以上。まずはイヤリングを外すところから初めてもらいましょうか。了解。今すぐ辞めさせてもらうわ。三流タレントに付き合ってる暇なんてないの。出口なら常に開いてるわ。壊してでも出てってやるわ。勤め口ならいくらでもあるんだからね。

 

オー=ド=フランス。カティ・マリー(Audrey Lamy)は、テレビ番組「ザ・クック」などで有名なシェフ、リナ・デレット(Chloé Astor)のレストランで働きながら、自分のレストランを開店準備を着実に進めていた。ところが「ザ・クック」でアデル(Adèle Galloy)のリポートのためにカメラが厨房に入った日、指示を無視して自らの調理法を貫いたことを咎められたカティは、代わりはいくらでもいると言い放ったリナに啖呵を切り、その場で職を辞してしまう。カティは条件に見合う採用の口を見つけられない。芸歴10年の女優志望の友人ファトゥ(Fatou Kaba)は、「辛口の顧客」を抱える「魅力的なレストラン」にカティを連れて行く。そこは未成年の難民のために在留資格の取得支援をする施設で、責任者のロレンゾ・キャルディ(François Cluzet)から70名の若者たちのための食事を用意して欲しいと頼まれる。騙されたと帰ろうとするカティだが、開業資金を貯めるべきだと留まるようファトゥに説得される。カティは気のいい寮母のサビーネ(Chantal Neuwirth)に歓待されるが、厨房は悲惨な状況だった。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

カティはシェフのリナに従わずビーツ料理で自らのスタイルを貫いたのは傲岸不遜だ。その性格が彼女を孤独に陥らせもしている。だが、その性格は、彼女が施設で育ったという生い立ちに由来している。頼れるものは自分だけであったカティが自らの道を切り拓くことができたのは料理の腕前であり、料理に親しむきっかけがビーツであった。ビーツ料理を否定されることは、カティにとってその存在の基盤を否定されるに等しい。
リナの人気レストランを辞し、夢を抱きながら行き場を失ったカティが流れ着いたのは、ロレンゾの運営する難民の少年の支援施設である。カティは、自らと少年たちを重ねざるを得ない。
ロレンゾの施設に厨房は広いが、缶詰料理など調理は最低限しか行われなて来なかったため、ほとんど使われず老朽化している。時間通りに腹を満たせることだけを考えるロレンゾと、シェフとして美味しいものを温かく提供したいとの理念に固執するカティとは、お互いに対極に位置し、両者が問題解決に向けて衝突する。
調理の手伝いに訪れたジブリル(Mamadou Koita)を役に立たないとカティは追い払う。代わりはいくらでもいると言い放ったリナ・デレットと同じことをカティは自らの厨房で行っていた。他方、ロレンゾはサッカーで足を傷める。少年たちを就学させることで在留資格を得させるロレンゾの方針の行き詰まりが暗示される。カティとロレンゾの両者が気付きを得て、活気ある厨房(及びそして食堂)の誕生こそ、両者の将来に展望をもたらすことになることが次第に明らかになってくる。
難民の若者たちが多く登場することもあってか、1人1人のキャラクターがほとんど簡単な経歴の自己紹介のセリフで処理されてしまい、掘り下げられることがない。ファトゥやサビーネのユニークさも賑やかしに終ってしまっている。簡明な筋立てと相俟って、難民の若者を適所に受け容れることが老朽化した古い厨房――すなわちフランス――を刷新するというメッセージを伝えることが優先されている。
難民の少年少女を描く作品としては、オー=ド=フランスが接する、ベルギーのジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ(Jean-Pierre et Luc Dardenne)兄弟の映画『トリとロキタ(Tori et Lokita)』(2022)の鑑賞を強くお薦めしたい。