可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『帰れない山』

映画『帰れない山』を鑑賞しての備忘録
2022年製作のイタリア・ベルギー・フランス合作映画。
147分。
監督・脚本は、フェリックス・バン・ヒュルーニンゲン(Felix Van Groeningen)とシャルロッテ・ファンデルメールシュ(Charlotte Vandermeersch)。
原作は、パオロ・コニェッティ(Paolo Cognetti)の小説『帰れない山(Le otto montagne)』。
撮影は、ルーベン・インペンス(Ruben Impens)。
美術は、マッシミリアーノ・ノチェンテ(Massimiliano Nocente)。
衣装は、フランチェスカ・マリア・ブルノーリ(Francesca Brunori)。
編集は、ニコ・ルーネン(Nico Leunen)。
音楽は、ダニエル・ノーグレン(Daniel Norgren)。
原題は、"Le otto montagne"。

 

アルプスの山中。山の向こうに万年雪で白い連峰が聳えている。
ブルーノのような友人に出会えるとも、友情が人生の基盤となるとも思いも寄らなかった。都会の集合住宅で一人っ子として育ち、2人で何かをすることに慣れていなかった。だが、1984年の夏、両親が家を借りることにした山間の寒村には、子供は1人しかいなかった。それがブルーノだった。
1984年夏。イタリア北西部ヴァッレ・ダオスタ州グラーナ村。ピエトロ・グアスティ(Lupo Barbiero)が母フランチェスカ(Elena Lietti)とともに夏の休暇を過しにトリノからやって来た。窓から村の様子を眺めていると、ブルーノと何度も呼ぶ声がする。ピエトロが家を出ると、建物に挟まれた狭い路地でブルーノと呼ばれている少年(Cristiano Sassella)が牛を追っていた。母も様子を見に出てきて、ブルーノとともに牛を追っている女性(Chiara Jorrioz)に挨拶すると、彼女はヴィレルミナ・ソニアと名乗る。ソニアとブルーノは牛を連れて道を下っていった。
夜、ベッドで書き物をしているピエトロに寝るようフランチェスカが促し、部屋の灯りを消す。
朝、ピエトロがベッドで着替えていると、フランチェスカが来訪したブルーノを朝食に招いていた。到着したばかりなの。ビスケットは? 食べる。ここに住んでるの? うん。兄弟はいる? 地元で最後の子だから。どういうこと? 村には僕しか子供はいないんだ。母とブルーノが話している階下の食卓へピエトロが降りていく。あなたも食べる? うん。ピエトロがブルーノの隣の椅子に坐る。フランチェスカがピエトロに牛乳を出す。いくつなの、ブルーノ? 11月で12。ピエトロと同い年ね! 誕生日は1月だけど。どこに住んでるの? 叔父さん夫婦と。父さんはここにはいないんだ。じゃあどこなの? 遠く。煉瓦職人なんだ。スイスか、オーストリアかも。お母さんは? ブルーノはその質問には答えず、もう1つビスケットが食べたいと言った。ビスケットを頬張り牛乳を飲むブルーノを、隣のピエトロがちらちらと見る。
ブルーノの後に付いてピエトロがアルプスの高峰に囲まれた野山を駆け巡る。2人の他に誰の姿もない。ブルーノは森の中の遺構にピエトロを連れて行った。ブルーノは1人では無理だった、苔生した大きな丸い石の覆いを外してみたかった。2人が力を合わせるが覆いはびくともしない。
早朝、ピエトロは勝手に起きて着替えると、母親にろくに挨拶もせず家を飛び出して行く。ブルーノが斜面の牧草地に牛を放ち、電気柵用のオレンジ色のポリテープワイヤーを張っていた。すぐ脇の道は時に自動車が通るためだ。痛っ! スイッチを入れる際にテープに触れて感電するブルーノ。脅かさないでよ。大丈夫? 大丈夫だよ、これでよし。行こう。
ブルーノが村に向かって走り出し、ピエトロが後を追う。村で擦れ違う人はいない。共同の井戸で水遊びをし、壁を攀じ登って放棄され傷んだ空き家の中を探索する。探検する。グラーナには183人の村人がいたんだ。今は? 僕を入れて14人。店も2軒あったし、酒場も、学校も、パン屋もね。ある時、道路が出来たんだ。グラーナに人が来られるようにね。でもどうなったか分かるだろ? グラーナの人たちがみんな出てった。君の父さんもだね。そう。君の父さんは? トリノの家にいるんだ、仕事で。僕は母さんとここで過すんだ。夏の間だけ家を借りてるんだ。父さんは何をしてるの? 大きな工場の技術者なんだ。1万人働いてる。その時、ブルーノを呼ぶソニアの声が聞こえてくる。くそ、乳搾りの時間だ。
ピエトロは母とともに暖炉を前に本を読む。
ピエトロはブルーノとともに小川にダムを作って水遊びをする。
トリノの集合住宅。雨が降っている。窓からピエトロが外を眺めている。高い建物が視界を塞いでいる。部屋の中ではフランチェスカが沢山の植木鉢の植物の世話をしている。
父のジョヴァンニ(Filippo Timi)が暗い書斎で大きな机に向かっている。煙草を吸い、珈琲を飲む。ピエトロがふらふらと入って行って傍のソファに腰を降ろす。父子の間で言葉のやり取りはない。
ピエトロは自分の部屋で一人サッカーボールを手に寝転がる。
父が言うには、明るい季節の後には必ず地味で陰鬱な季節が続く。
渋滞する道路。何してやがる! ジョヴァンニが前の車に向かってクラクションを鳴らしながら叫ぶ。学校の前で車を降りたピエトロが道を横断しようとして待てと父に叫ばれる。今だ、行け行け! 大勢の生徒たちとともに登校したピエトロが狭い校舎の中で授業を受ける。
肌が白くなり、擦り傷の跡が消え、イラクサの痒み忘れてしまった。グラーナの日々は遠い昔のようで、本当にそんな日々を過したのだろうかとさえ思った。

 

1984年。イタリア。11歳のピエトロ・グアスティ(Lupo Barbiero)は母フランチェスカ(Elena Lietti)とともに夏の休暇を過しにトリーノからアルプス山中にある人口14人の寒村グラーナにやって来た。村で唯一の子供ブルーノ(Cristiano Sassella)はピエトロと同い年で、二人はすぐに親しくなった。ブルーノが叔母のソニア(Chiara Jorrioz)の牧場を手伝う合間に、二人は野山を駆け巡り、廃墟の中を探検して廻った。翌年、ピエトロは再び母とともにグラーナに滞在したが、ブルーノは叔父ルイージ(Gualtiero Burzi)の移牧を手伝うために村を離れていた。父ジョヴァンニ(Filippo Timi)が登山のためにグラーナにやって来た。父から登山地図の見方を説明されたピエトロは自分も父と一緒に登ることにする。標高3010メートルのマドンナの山頂からは、真夏でも雪の溶けることのないマッターホルンを始めとする高峰の数々を至近に見渡せた。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

冒頭、アルプスの雄大な山々が映し出される。グラーナの「自然」は、ピエトロ少年にトリノの集合住宅や学校、渋滞にはまった自動車が檻――窓越しにピエトロを切り取ることで表現――であることに気付かせる。就学のためブルーノがグラーナを離れることにピエトロが反対するのは、都会にはない田舎の価値を知ったからである。しかし、グラーナを離れたことがないブルーノはその価値を知らない。自分以外に子供の姿がなく労働だけがある村を出たい。
思春期を迎えたピエトロ(Andrea Palma)は都会の刺激を享受するようになり――煙草の味を覚えるのは、都市を象徴する煤煙に馴染んでいることを表現する――、なおかつ労働者として出稼ぎに出たブルーノ(Francesco Palombelli)のいない田舎の生活に以前のような面白みを感じなくなる。ジョヴァンニに対する反発から父の登山に同行することを拒否し、グラーナで夏を過さなくなる。ピエトロが再びグラーナへ足を向けるのは、疎遠になっていた父を亡くした後だ。
仕事漬けで、年に1度の休みには山に登って只管頂上を目指し、登頂するや否やすぐに下山した父。父が62歳で亡くなったとき、ピエトロ(Luca Marinelli)は31歳。31歳はピエトロが生まれた時の父の年齢だった。ピエトロは子供はおろか結婚もせず、定職にも就いていない自らを腑甲斐なく思い、没交渉となったまま父を亡くしたことを悔いる。
父は山であった。山=父は常にそこにあり、ピエトロから遠ざかることは決して無かった。ただピエトロが寄り付こうとしなかったのである。
1度、ジョヴァンニはピエトロとブルーノを伴って氷河に行ったことがあった。途中のクレヴァスで父とブルーノは飛び越えられたが、高山病になったピエトロだけが越えられず、3人は下山することにした。ジョヴァンニとブルーノとが結び付き――ジョヴァンニが山であるように、ブルーノもまた山である――、ピエトロは2人と疎遠となるという関係を暗示する出来事となった。
父ジョヴァンニがブルーノに託した山小屋の再建。それは、山=ジョヴァンニ=ブルーノとの関係の修復である。
山小屋再建をきっかけに、再びピエトロはグラーナに通う。ピエトロがマッシモ(Benedetto Patruno)、バルバラ(Elisa Zanotto)、ラーラ(Elisabetta Mazzullo)を伴って山小屋を訪れた際、山の民であるブルーノ(Alessandro Borghi)は、「自然(natura)」という言葉は都会の人間だけが用いる抽象的なものだと指摘する。森、牧草地、川、岩、道など指差すことができて利用できるものがあるだけと指摘する。
ブルーノの都市に対する反発は、グラーナに出来た道路によって村が滅んだこと――日本における新幹線の「効果」を想起すれば分かりやすいだろう――に基づいている。グラーナに人が行き来しやすくなると期待した道路は、グラーナから村人が出て行くために用いられた。都会に村落が収奪されたのだ。
ブルーノは山小屋だけでなく、山の民として酪農家として生計を立てようと奮闘する。だが他の山の民たちが都市の論理(≒資本主義〕に絡め取られてしまったように、ブルーノもまた都市の収奪から逃れることはできない。
ブルーノは都市による村落の収奪機構である道に対する反発から、自らと他人を接続する「道」を廃してしまう。ブルーノの悲しみという雪が降り積もり、ブルーのへの連絡路は全て塞がれてしまうのだ。彼は雪で覆われた世界を自己流に滑降するだろう。そして、彼は決して動くことのない山そのものになる。

都会の子供が夏休みに田舎を訪れたときの楽しさや、思春期を迎え親に対する反感や都市の刺激を覚え、田舎に退屈さを感じるようになるといった普遍的なテーマに共感する。
ブルーノに非難されてしまいそうだが、やはり「自然」は圧巻。雄大な景観を眺めるだけでも楽しめよう。
青年期以降のピエトロを演じたLuca Marinelliは、『皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ(Lo chiamavano Jeeg Robot)』(2015)のヴィランで鮮烈な印象を残す。主演作『マーティン・エデン(Martin Eden)』では詩人志望の野心家的な青年を演じた。
青年期以降のブルーノを演じたAlessandro Borghiは『ザ・プレイス 運命の交差点(The Place)』(2017)で盲目の青年を演じている。
ピエトロの母フランチェスカを演じたElena Liettiの出演作に『3つの鍵(Tre piani)』(2021)がある。
印象的な『帰れない山』という邦題は、Paolo Cognettiの原作小説"Le otto montagne"の日本語版(関口英子訳)に基づく。英題は直訳の"The Eight Mountains"となっている。仏教の世界観である須弥山とそれを取り巻く山々を指している。