展覧会『城蛍「ハローグッドバイ」』を鑑賞しての備忘録
OIL by 美術手帖ギャラリーにて、2024年4月26日~5月20日。
額や台座の役割を担う装飾を添え、どこか不穏な雰囲気を醸す絵画に親切に引き摺り込む作品で構成される、城蛍の個展。
《初恋に恋する》は、舗装されていない道に佇む人物を描いたくすんだ色味の絵画(900mm×2000mm)に、木製の小さな棚に置いたガラスの花瓶、忍び返しらしき杭を添えたインスタレーション。画中のデニム(?)のパンツを履いた人物は上半身に何も身に付けていないようだ。彼女の肌は彼女の立つ黄褐色の道に擬態するほど似る。臍から延びる植物はいくつも黄色い花を咲かせ、顔から胸を覆う。強い風のためか、三つ編みにした髪が真横に流れている。彼女の後方では道の先に空が続いているために突端に見えるが、脇に立つ規制標識は道が続くことを示す。絵画は床に立てられていて、左側にある同じ高さの白い壁(パーテーション)に直交する。その白い壁には木製のL字の棚が取り付けられ、口に草花が添えられたガラスの花瓶が置かれている。花瓶のサイズに比して小さすぎる花は初恋のメタファーだろうか。L字の木製の棚は白い壁とともにL字を作る絵画と、草花を添えられたガラス器は花入れとなった人物と、それぞれアナロジーとなっている。白い壁の上に設置された杭は左方向への進入を禁止し、画中の女性の三つ編みは右方向へ向かうよう指示する。過去ではなく未来へと目を向けさせるのだ。
1号か2号ほどの小さな画面の《山の穴、春の穴》は、鬱蒼とした茂みに面する人物の後頭部(?)がシルエットとして描かれる。そのシルエットにはスクリーンのように、人物の周囲に拡がるのと同じ茂みと、周囲には見えないカーブミラー、ガードレール、白線(路側帯)が表わされる。周囲と人物=スクリーンとは、くすんだ緑とモノクロームとの色彩で区別される。その絵画が木の棒で150cmほどの高さに設置され、絵画(画中の人物)はカーブミラーと化す。絵画=人物は鏡となり、鑑賞者を見詰める(見詰め返す)。絵画の背面にはカーブミラーの位置に穴が穿たれ、その奥には蝶が潜む。まなざしの主体・対象の反転は、胡蝶の夢に変奏される。
本展のメインヴィジュアルに採用されている《恋は盲目JCT》(552mm×1233mm×40mm)には、ヘッドライトを点けたタクシーが向かってくる道路脇で男性の顔を手で摑んでキスする女性が描かれる。タクシーはワイパーを動かしているので、雨が降っているらしい。女性か男性のいずれかがタクシーに乗って立ち去るのだろうか。それともタクシーは2人の世界に闖入したに過ぎないのだろうか。「恋は盲目JCT」との画題からは後者のようである。見えない雨滴の落下、タクシーの接近、ガードレールの屈折によって、横長の画面の左側の2人の顔に視線を誘う。画面の左側には大中小3つのサイズの木製の円盤が取り付けられ、それぞれに放射状の刻みが入っている。ヘッドライトの接近か、あるいは漫画の吹き出しか。いずれにせよ絵画に視線を惹き付ける、異化効果を発揮する変種の額縁と言える。
《触れたい》(243mm×437mm×34mm)には、裸婦の石膏像の胸の辺りが切り取られ、脇からは紫色の花が伸びる。周囲を壁紙の表現か、レースのようなものが覆っていることに加え、乳房の間には楕円の木辺が載せられ、触覚を刺激する。なお、画面の左右には波状の木片が額縁のように取り付けられている。
《大きい水》(728mm×923mm×44mm)には海を前にした人物の後ろ姿(?)が描かれる。くすんだ青で表現された海は、空が雲に覆われているにも拘わらず、キラキラと輝く。《山の穴、春の穴》に似て人物は耳以外スクリーンとなり、波打つ海面と、ガードフェンス脇の電柱に供えられた花とビニール袋とが重ね合わされたイメージがモノクロームで表わされている。死のイメージは、海によって増幅される。同時に、寄せては返す波が、生死を反転させる。記憶を蘇らせることで、文字通り死者は蘇る。画面の左側には半円の木片が取り付けられ、その中央に穿たれた穴にからは月が覗く。月が波を引き起こす。のみならず、太陽の光を受けて輝く月もまた鏡である。ここでも眼差しの主客の転倒が目論まれている。
《愛するということ》(390mm×426mm×40mm)では、上下を隅付き括弧の木片が囲う画面に、赤いのマニキュア白い手が、毛で目が隠れた犬の顔を抱いている。隅付き括弧の木片は、手を擬態する。
《恋は盲目JCT》、《触れたい》、《大きい水》、《愛するということ》の4点は、右端を揃えて壁面に縦に並んでいる。《恋は盲目JCT》・《触れたい》・《愛するということ》の3作品はいずれも手あるいは乳房で挟む動作で、《大きい水》では波あるいは光に包まれる現象によって、触れる(touch)ことを表現する。鑑賞者は作品に触れる(touch)ことができない。だが、作品によって心を動かされる(touched)。オクシモロンのような展覧会タイトル「ハローグッドバイ」は、両立しないことを両立させる意図を表わすものだろう。