展覧会『成田克彦展』を鑑賞しての備忘録
東京画廊+BTAPにて、2024年4月13日~5月18日。
成田克彦(1944-1992)が1960年代末頃~1980年にかけて制作した絵画と関連資料を紹介する企画。なお、"*"を付した作品は展示されていない。
代表作《SUMI》(1969)*は「第6回パリ青年ビエンナーレ」で展示された大型の炭の作品で、その崩壊過程を見せるものだったという。本展では一辺10cm強の立方体の墨《SUMI》(1968)が紹介されている。立方体の4辺を黒の線で表しつつ、その他の辺を途切れさせ、あるいは消去することで、灰色の立方体が周囲に溶け出していくような絵画《room 1》(1980)は、《SUMI》(1968)を絵画化した作品であろう。時間と変化とに対する関心が示されている。
「Still Life (Bottles)」シリーズ(1974)5点は、横に並べた3本の瓶をマスキング処理の上エアブラシにより描画したと思しきモノクロームの作品。口、長めの首、撫で肩で末広がりのほっそりとした背の高い瓶は3本ともよく似ているが、胴が括れているか否かで微妙な差異がある。構図も作品毎に異なるが、エアブラシ(?)により画面に消え入りそうに表現され、底が画面に溶け込むように表されないために、それが瓶の高さによるものか、前後に位置をずらしてあるためかは分明で無い。5点が並んで5扇のように展示される様子は、靄の立ち籠める松林を描いた等伯の《松林図屏風》を彷彿とさせる。
《Still Life (Bottles)のための習作》(1974)は蛸のような軟体動物を思わせるグニャグニャした赤い瓶とそれを取り囲む青とで構成されるリトグラフ。瓶が「蛸」に見えるのは首や胴が曲るだけでなく、底に向かう線が周囲に向かって曲線を描いて拡がり、蛸の8本の足を想起を連想させるからである。瓶の底は抜けているかのように、瓶の内部の白が画面の余白へと連なる。なぜ瓶が「蛸」の姿を取るのか。ヒントとなるのは、赤い瓶と、その周囲の青――空気であろうか影であろうか――との反転である。瓶の上部では赤の外側にあった青が、蛸の足の部分では赤により取り囲まれる。瓶を上方から、外からの眺める視点と、瓶の底から瓶の口を見上げる視点とが同時に画面に表わされているのではなかろうか。瓶の底から覗くためには瓶の底を切り開く必要があった。切り出された瓶の底は画面の中央付近に、瓶の口の線を映して描き込まれている。そして、この瓶の内外の視点を同時に存在させるために時空を歪める必要があったのだ。それがグニャグニャした描線であろう。観客が移動して操作可能な、柔らかい7本のスポンジの柱で構成される《可動構造》(1968)*を手掛けたという。作家は視点の移動や複数性に関心があったのだ。
紙に切れ込みを入れて挿し込んだ手遊びによって産まれた形をキャンヴァスを用いて半ば立体化した作品《the petal 27》(1976)にはメビウスの輪(帯)に通じる視線の移動の探究が窺える。《ワンダリングフォーム》(1979)は円と正方形とを重ねた作品で、モスグリーンの円が正方形の上に現われたものと、クリームの正方形が上に位置して半円を切り取ったものとの2点が並列されている。形が移ろうという意味での"wander"と、そのときのイメージの驚異"wonder"とを表した作品と言えよう。