映画『胸騒ぎ』を鑑賞しての備忘録
2022年製作のデンマーク・オランダ合作映画。
95分。
監督は、クリスチャン・タフドルップ(Christian Tafdrup)。
脚本は、クリスチャン・タフドルップ(Christian Tafdrup)とマッズ・タフドルップ(Mads Tafdrup)。
撮影は、エリク・モルバリ・ハンセン(Erik Molberg Hansen)。
美術は、サビーヌ・ビード(Sabine Hviid)。
衣装は、ルイーゼ・ニッセン(Louize Nissen)。
編集は、ニコライ・モンベウ(Nicolaj Monberg)。
音楽は、スーネ・コルスター(Sune Kølster)。
原題は、"Speak No Evil"。
トスカーナ州の丘陵地帯。夜、街灯の無い未舗装の道を自動車が進む。上下に揺れる車のフロントガラス越しに見えるのは、ヘッドライトに照らし出される道路と木立だけ。ヴィラの前に車が駐まり、運転席と助手席から人が降りる。
プールにアウネス(Liva Forsberg)が跳び込む。プールサイドチェアの母親のルイーセ(Sidsel Siem Koch)はスマートフォンを見て、やはりプールサイドチェアに座る父親のビャアン(Morten Burian)は読書している。にこやかな表情を浮かべた男(Fedja van Huêt)がやって来てビャアンに隣の席に坐っていいか尋ねる。もちろん。ビャアンはアウネスの荷物をどかす。男の子に跳び込む手本を見せる父親がいる。退屈そうなアウネスは羨ましそうに父子の姿を眺める。
ビャアンとルイーセは、アウネスと留守番するベビーシッター(Ilaria Di Raimo)に、砂糖が多すぎるから寝る前に林檎ジュースを飲ませないよう注意する。ビャアンはルイーセとともに出かける。デレク(Adrian Blanchard)とハンナ(Sarina Maria Rausa)の料理教室の話題はもう勘弁して欲しいな。
ヴィラの屋外のテーブルで晩餐会が行われている。デレクがラビオリを作った話をするのを向かいに坐るビャアンとルイーセが聞いている。明日の料理教室に参加しませんか? ニョッキを作るそうですよ。そのときグラスを鳴らす音がする。こやかな表情の男が立ち上がる。素敵な晩餐を中断してしまい申し訳ありません。2つお伝えしたいことがあります。昨晩遅くに玄関をノックしたのは私です。迷ってしまって遅くなってしまいました。申し訳ありません。お互いのことをよく知りません。でも素晴らしい皆さんとお近づきになれたら幸いです。乾杯させて下さい。皆さんに、イタリアに、食べ物に、そして愛に。乾杯!
合唱隊が「ニンフの嘆き」を歌唱している。ルイーセがスマートフォンで撮影する傍らで、ビャアンは歌声に聞き惚れている。前方に坐るにこやかな男が振り向いた。ビャアンは手にしていたワイングラスを掲げて挨拶する。
夜。寝苦しくてベッドを離れたビャアンは窓辺に立つ。外に人影を見た気がしたが、もう1度眼を向けると誰の姿も無かった。
歴史ある石造りの建物が残るヴォルテッラを訪れたビャアンとルイーセ、アウネスは、昼食をとる店を決めかねていた。この店は観光客向けだね、実際、私たち観光客でしょ。ここにするか? 別のところでもいいけど。アウネスがパパ、パパと呼びかける。どうしたの? ニヌスがいない。クソ、しっかり抱いておけよ。そんな言い方しないで。ビャアンはしぶしぶ娘のウサギの人形を探しに戻る。これまでの経路を辿り、英語で住民に尋ねるが埒が明かない。それでも展望スポットの壁の上にニヌスが置かれているのを発見できた。ビャアンが家族のもとに戻ると、ルイーセがにこやかな男の家族と英語で話していた。あったよ。ありがとう。夫のビャアンよ。パトリックだよ、よろしく。ヴィラで会いましたね? カリン(Karina Smulders)です。自己紹介を忘れてたわ、私はルイーセ、娘のアウネスよ。あなたのお名前は? ルイーセがパトリックとカリンの息子(Marius Damslev)に尋ねるが、男の子は黙ったまま。アーベルは話すのが苦手でしてね。重圧を感じると不安になるんです。重圧なんてないわよ。この子は誰? ニヌス。アウネスがなくしてしまって、ビャアンが見付けたの。ウサギをぬいぐるみを探しに? ええ。英雄的な行為だね。そりゃあどうも。いや、冗談で言ってるんじゃ無い。尊敬に値するよ。で、昼食は済ませましたか?
こぢんまりとしたレストランで2家族がテーブルを囲む。ところでご出身は? オランダの南部よ。田舎にある美しい場所ですよ。そうなのね、私も街から離れて自然の傍で暮らしたいとは思っているの。ぜひ遊びに来て下さい。素晴らしいわね。料理が運ばれてくる。Lasagna Vegeteriana。ルイーセはヴェジタリアン向けかどうか確認する。SÌ。茸のパスタやピッツァ・マルゲリータなど注文した料理が次々と食卓に並ぶ。あなたはヴェジタリアンですか? パトリックがルイーセに尋ねる。ええ。魚は口にしますけど。いいですね。学ぶべきですね。本当に環境にいいですから。Peposo。パトリックの前に牛肉の煮込み料理が置かれる。うまそうだ。オランダ人とデンマーク人はとても似ていますね。ビャアンが言う。同じね。同じユーモアとか、同じ文化。オランダの人の方がスウェーデンの人よりも共通点が多い気がするわ。国境なき医師団の同僚にスウェーデン人がいてね。お医者さんですか? ええ。彼は至極真っ当だけど退屈な人物だったね。
ヴィラでの晩餐。ビャアンとルイーセはパトリックとカリンと向かい合わせに坐り、愉快に話し込んでいる。
ビャアン(Morten Burian)とルイーセ(Sidsel Siem Koch)の夫婦と、娘アウネス(Liva Forsberg)のデンマーク人一家は、休暇をトスカーナ州の丘陵地帯にあるヴィラで過していた。ヴォルテッラの史跡を見学に行った際、アウネスがお気に入りのウサギのぬいぐるみをなくしてしまう。ビャアンが見付けて戻るとルイーセが別の家族と英語で話し込んでいた。ヴィラで見かけたパトリック(Fedja van Huêt)と妻カリン(Karina Smulders)、それに緘黙症の息子アーベル(Marius Damslev)だった。ビャアンはぬいぐるみを探しに行ったことを英雄的だとパトリックに賞賛され気分が良くなった。一緒に昼食を取ると、パトリックはルイーセがヴェジタリアンであることを環境に良いと評価した。パトリックの一家がオランダ南部の出身だと聞いて、ビャアンはユーモアの感覚が似ていると指摘する。ルイーセがデンマーク人はスウェーデン人よりもオランダ人と似ていると続けると、パトリックは国境なき医師団の同僚にいたスウェーデン人はとんでもない堅物だったと笑った。ビャアンとルイーセはその後のヴィラでの晩餐をパトリックとカリンと囲むようになった。休暇を終えて暫く経って、パトリックからヴィラでの2家族の記念写真の絵葉書を受け取った。遊びに来て欲しいとの申し出に迷うビャアンだったが、友人のヨーナス(Jesper Dupont)とフィー(Lea Baastrup Rønne)の夫妻に断るのは失礼だろうし車で行けると背中を押され、ビャアンの一家はオランダのパトリック一家を訪ねることにする。
(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)
デンマーク人のビャアン、ルイーセ、アウネスの一家が、イタリア、トスカーナの丘陵地帯にあるヴィラで知り合ったパトリック、カリン、アーベルのオランダ人一家と知り合い、オランダ南部にある家に招かれ滞在した顚末が描かれる。一家はお互いにやり取りするときには英語を用いる。
冒頭は、街灯のない未舗装の道を進む自動車のフロントガラス越しの眺めが描かれる。斜面を登るために見通しが悪く、しかも凸凹した道のために映像が揺れる。車の軋む音と不穏な音楽と相俟って、禍々しい事態が迫り来ることが表現される。
続いて、昼間のヴィラのプールだが、アウネスは1人プールに跳び込む。アウネスは父親と遊ぶ少年が羨ましい。ビャアンは読書し、アウネスはスマートフォンをいじる。ビャアンは穏やかさを失わないように常日頃努めるが、それがストレスになっている。ルイーセは暇さえあればスマートフォンを手にする。休暇を楽しむ余裕のある、何の不自由もない生活を送る一家だが、そこには何かが欠けている。
(以下では、結末に関わる内容についても言及する。)
アウネスがプールに跳び込むことは、自宅でビャアンがアウネスを寝かせるために読む絵本で女の子(?)が水に引き摺り込まれて溺れるという話と関連性が持たされている。アウネスが失われる可能性が示唆されているのだ。ここで注目したいのは、ヴィラでベビーシッターにアウネスに林檎ジュースを飲ませないよう注意する場面だ。なぜ林檎ジュースなのか。林檎は――植生の問題から疑義が挟まれることは扨置き――聖書の知恵の実に比されている。林檎ジュースには性的な含意がある。アウネスはパトリック家に滞在中、夜中にルイーセと寝たいと夫婦の寝室にやって来るが、ルイーセはビャアンとの性行為を優先して娘の訴えを聞き入れない。結果、アウネスはパトリックとカリンの寝室で眠ることになった(ルイーセはそれを知って激昂する)。アウネスが性的な目覚めを迎えることが暗示されている。後にアウネスに起こる出来事は初潮のメタファーと解し得る。アウネスが少女から女性へと変化するとき、ビャアンとルイーセは幼い娘との楽園を逐われることになるのである。
なお、ウサギは性的なイメージが賦与されている動物である。すぐに「ウサギ」を見失うアウネスは未だ性的に成熟していないのだ。やがてアウネスはウサギをしっかりと抱き留めるだろう。
以上から、"Speak No Evil"とのタイトルは、性的な言及を抑圧することを意味していたもの――知恵の実は英語で"the fruit from the tree of the knowledge of good and evil"である――と解される。