可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『恋するプリテンダー』

映画『恋するプリテンダー』を鑑賞しての備忘録
2023年製作のアメリカ映画。
103分。
監督は、ウィル・グラック(Will Gluck)。
原案は、イラナ・ウォルパート(Ilana Wolpert)。
脚本は、イラナ・ウォルパート(Ilana Wolpert)とウィル・グラック(Will Gluck)。
撮影は、ダニー・ルールマン(Danny Ruhlmann)
美術は、スティーブン・ジョーンズ=エヴァンス(Steven Jones-Evans)。
衣装は、アメリア・ゲブラー(Amelia Gebler)。
編集は、ティア・ノーラン(Tia Nolan)とキム・ボリッツ=ブレーム(Kim Boritz-Brehm)。
音楽は、エステ・ハイム(Este Haim)とクリストファー・ストレイシー(Christopher Stracey)。
原題は、"Anyone But You"。

 

ビー(Sydney Sweeney)が慌ててエスカレーターを下り、最寄りの喫茶店に駆け込む。すいませんトイレを借りられます? お客様専用です。ああ、それなら何か買います。近くにあったパンを手に取る。支払いは向こう。レジには長い行列ができている。先に借りても? もう我慢できないの。店員は無視してカプチーノを待つ客を呼び出す。飲食物を提供する施設は誰に対しても利用させる義務があるわ。すいません、店の方針で。店舗の方針は州法に抵触することはできないことになってる。お願い、急を要するの。キャラメルラテのお客様! そのときレジにいた男(Glen Powell)がビーに声をかける。注文するけど、いつものでいいかい? 戸惑うビー。妻はいつもエスプレッソのダブルを飲みたがるけど、最近眠れないんだろ? シングルの方がいいかもな。真夜中まで起きてたみたいだし。そうね。砂糖2つでペパーミントティーにするわ。あのチーズサンドも一緒に。妻は客だからトイレの鍵を借りられるかな? 男がレジの店員から鍵を受け取る。ありがとう、すごく助かったわ。それなら嬉しいね。トイレの法に詳しいんだね。僅かな条文しかないの。君のペパーミントティーを受け取っておくよ。「妻」を置いていく訳にはいかないだろ。ベンがビーから上着を預かる。分かったわ、じゃ、後ほど。ビーはトイレに向かう。用を足すや否やビーは姉のハリー(Hadley Robinson)に出会いがあったと電話する。こういうの久々。お茶を奢られたの、じゃなきゃ単なるコート泥棒。どうしよう。でも前に進むなら今しか無い。また電話する。洗面台の水が勢いよく出てしまい、ビーはびしょ濡れになってしまった。ハンドドライヤーで乾かそうと体を近づけて熱さで悲鳴を上げる。外で待つ男が大丈夫かと声をかける。大丈夫。6時間も我慢してたから。研修が始まったばかりなの。問題解決能力がないと思われるのが嫌でトイレの場所を聞きたくなかったの。トイレの場所尋ねることは誰でもあるし、ごく自然なことでしょ。そうだな。ビーはデニムのパンツを脱いでハンドドライヤーで乾かし、やっと一息吐く。鏡で表情を確認すると、トイレを出る。砂糖2つのペパーミントティー。男がビーにカップを差し出す。ありがとう。コートを盗まなかったこともね。男が慌ててコートを渡す。男を笑顔で見詰めたビーは店員に鍵を返すと出て行く。誘うかどうか迷っていた男はビーが靴にトイレットペーパーを付けたまま立ち去るのに気づき、思わず声をかける。ねえ、君! デートに誘うつもり? そう、そうだ。男はビーに近付き、ベンと名乗った。ビーよ。歩き出すビーの靴からトイレットペーパーを取ると、ベンはビーと店を出る。
ベンとビーが通りを歩きながら話す。巨大な雲に襲われたら助けてくれる? 無理。君を死ぬことになるね。死なせちゃうの? 死なせるつもりはないけど、生き延びるためには仕方ない。2人は公園の並木道を歩く。体操選手だったの。体操をやってたの? 5年ほど。平均台で6位。凄いね。リボンを貰ったの。参加賞だけど。
ベンの部屋のキッチンでベンがチーズサンドをフライパンで焼き上げる。2つに切り分け皿に載せた途端、ビーが摑んで頬張る。冷めるのを待たないと、熱々のフライパンから出したばかりだろ。法律家になるつもりなら、過失と違反、それにマクドナルドを訴えた女性の人身保護について理解しないと。言ってる法律用語がめちゃくちゃよ。どうして分かるんだ? まだ弁護士じゃないだろ? もっと立派な職業を選ぶことだってできるさ。あなたみたいな? 装飾の無い部屋の隅にはトレーディングパソコンが置かれていた。君が正しい。信念を貫けよ。俺も弁護士が必要になるだろうし。弁護士になりたいかどうかすら分からないの。自分でも偉そうに言ったのが信じられない。めちゃくちゃなのは私の人生の方。風向きが変わりつつるのかもよ。俺に出会っただろ。それかスーツケースに押し込められるか。何なのこの部屋。連続殺人鬼のドキュメンタリーみたい。あの巨大なレンチは? スーツケースじゃなくて機内持ち込みの手荷物で間に合うだろうな。レンチは母親がくれたものなんだ。どんなに壊れていても直す方法は常にあるんだって。すまないね、母親のことを話すつもりはなかったんだ。で、あれは何? 話せば長い話になる。全員生き延びたけどね。良かったわ。
2人の会話は続き、朝を迎えた。ベンの腕から離れたビーは靴を履き、黙って部屋を出て行く。ビーは道すがら姉のハリーに電話してベンについて話す。知らない人だけど、凄く素敵な人。街を歩き回って、話しながら眠っちゃったの。起きる前に出てきちゃった。あ、何してるんだろ。起こしてごめん。ビーは慌てて踵を返す。
ベンは靴の音で目を覚ましていたが出て行くビーに声をかけなかった。シャワーを浴びたところに、ピート(Gata)がやって来た。遅刻するぞ。ピートはベンが台所を使ったことに驚く。チーズサンドを食べたのか。レンチをどうしたんだ? まさか母親のことを話したのか? 惚れちまったんだな。
そのときビーがベンの部屋の入口まで戻ってきた。さっさと追っ払えなかっただけさ。最悪。彼女は何でもないよ。ベンの言い草を立ち聞きすることになってしまったビーはショックのあまり放心して立ち去る。

 

ボストン大学ロースクールに通うビー(Sydney Sweeney)のインターンシップが始まった。プレッシャーからトイレに行く余裕も無かったビーは駅を出ると慌てて最寄りの喫茶店に駆け込む。トイレを借りようとしたが客以外には貸さないと店員に冷たく遇われたため、商品を買おうとしたがレジには長い行列ができていた。窮したビーに、いつものエスプレッソでいいかと声を掛ける男(Glen Powell)がいた。彼が夫のフリをするのに合わせたビーは客としてトイレを利用することができた。用を足したビーはベンとデートに出る。あれこれお話しながらあちこちを歩いて回った後、ベンの部屋で喫茶店で購入したチーズサンドを焼いて食べた。弁護士になることに戸惑うビーに証券マンのベンは将来を慌てて決める必要は無いと助言する。ベンの部屋で朝を迎えたビーはベンの腕を抜け出す。道すがら姉のハリー(Hadley Robinson)に出会いがあったと興奮して連絡するうち、ベンに挨拶もせず出てきたことが大失態だったと気づき、慌てて踵を返す。ベンはビーに逃げられたとショックを受け、迎えに来たピート(Gata)に冷やかされた際、ろくでもない女だったと強がってみせる。その言葉を吐いたとき、ちょうどビーがベンの部屋の戸口に戻ってきたところだった。失意のビーはそのまま立ち去ってしまう。6ヵ月後。ベンがピートとクラブに繰り出すと、ピートの妹クラウディア(Alexandra Shipp)が新しい恋人ハリーと一緒にいた。ハリーは妹のビーをピートとベンに紹介する。ビーとベンは半年前の気まずい思いを引き摺ったまま挨拶を交わし、辛辣な応酬が始まる。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

ボストン大学法科大学院の学生ビー(Sydney Sweeney)と証券マンのベン(Glen Powell)は喫茶店で偶然出会い意気投合するが、ビーがベンの部屋で過した翌朝無断で姿を消したことから2人は擦れ違ってしまう。ベンの友人ピートの妹クラウディアが、ビーの姉ハリーと交際したことから、ビーとベンとは運命的な再会を果すものの、非難の応酬に終る。クラウディアとハリーが結婚することになり、シドニーでの結婚式に参列するビーとベンとはともにピートとクラウディアの両親ロジャー(Bryan Brown)とキャロル(Michelle Hurd)の家に滞在することになった。2人の険悪な対立がトラブルの元となるため、結婚式参列者がビーとベンに出会った時の気持ちを思い出させようと画策する。その計略は2人に見抜かれていたが、ビーの両親レオ(Dermot Mulroney)とイニー(Rachel Griffiths)が元婚約者ジョナサン(Darren Barnet)を招いて娘に復縁を迫るに及んで、ビーはベンに交際中のフリをするよう求める。ベンはかつての交際相手マーガレット(Charlee Fraser)から縒りを戻そうとアプローチされる。
ベンの部屋に戻ったビーがベンの言葉に傷つき帰る道の壁には"Here's much to do with hate, but more with love."というウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare)の『ロミオとジュリエット(Romeo and Juliet)』の一節が記されている。本作はシェイクスピアの『から騒ぎ(Much Ado About Nothing)』を下敷きにした作品で、主人公のビーとベンは、それぞれ『から騒ぎ』の主要登場人物BeatriceとBenedickとに因む。原題の"Anyone But You"は、おそらく『から騒ぎ』第1幕第1場のBenedickの科白"it is certain I am loved of all ladies, only you excepted"に基づくのであろう。但し、『から騒ぎ』に登場する悪役Don Johnに相当するキャラクターは登場しない。

(以下では、結末に触れる。)

レオはイニーを手に入れるために走行中の列車から飛び降りた。ベンもレオに倣って崖から海に飛び込む。
ビーはボストン大学法科大学院を中退し、ジョナサンとの婚約を破棄した。親の敷いたレールから外れたという点では、ビーもまた列車から飛び降りたと言える。
冒頭、ビーがエスカレーターを降りて、すいませんと言いながら慌てて喫茶店に入っていくのと、クライマックスで、ベンがすいませんと言いながらオペラハウス前の階段を駆け上がっていくのが好対照を成している。喫茶店でのビーとベンとの出会いは偶然であるが、オペラハウスの階段を上るのはベンがビーの存在を確信しビーに会うための自らの意思による。
本作では冒頭から見事なスタイルを見せつけるとともにコメディエンヌぶりを発揮したSydney Sweeneyは、日本では先行して公開された『マダム・ウェブ(Madame Web)』(2024)で眼鏡を掛けた大人しい少女ジュリア・コーンウォールを演じたのが地味ながら印象に残る。
Glen Powellは大ヒットした『トップガン マーヴェリック(Top Gun: Maverick)』(2022)の「ハングマン」で存在感を示した。