映画『不死身ラヴァーズ』を鑑賞しての備忘録
2024年製作の日本映画。
103分。
監督は、松居大悟。
原作は、高木ユーナの漫画『不死身ラヴァーズ』。
脚本は、大野敏哉と松居大悟。
撮影は、冨永健二。
照明は、杉本周士。
録音は、日下部雅也。
整音は、西條博介。
美術は、趙心智。
スタイリストは、望月恵。
ヘアメイクは、寺沢ルミと杉本あゆみ。
音響効果は、渋谷圭介。
編集は、相良直一郎。
音楽は、澤部渡。
病院の薄暗い個室でベッドに横たわる小学1年生の長谷部りの。眼を開ける。照明がぼんやりと眼に映る。わたしはもうすぐ死ぬ。まだ7才。短い人生だった。ベッドサイドモニタが数値の異常を知らせる警告音を発し始める。その時りのは誰かに右手を摑まれる。ベッドサイドに少年が立っていた。誰? 甲野じゅん。あげる。近くで咲いてたんだ。じゅんは黄色い花を付けた野草をりのに手渡す。きれい。ありがとう。りのがベッドから体を起こすと、病室は射し込む陽光で明るかった。りのはベッドから飛び降りると、廊下へ駆け出す。クマのぬいぐるみを抱え病室に向かう田中の脇を擦り抜ける。長谷部? 田中が驚く。
斜面の造成地には色取り取りの戸建てがびっしりと立ち並ぶ。平地に広がる田んぼの真ん中を新幹線の高架と直交して真っ直ぐ延びる車道を高校生の長谷部りの(見上愛)が全速力で駆け抜ける。
校門が閉鎖される直前、りのが校内に滑り込む。息を切らして膝に手を突くりのの脇を男子生徒が走り抜けた。振り返ったのは甲野じゅん(佐藤寛太)だった。りのは慌てて甲野じゅんを呼び止める。誰? 小1のとき、死にかけの私を救ってくれた。こうやって右手を触ってくれた。りのがじゅんの手に触れる。触んな! じゅんは側転を決めると校舎へ軽快に走り去った。
りのは、ずっと恋い焦がれて来た甲野じゅんを遂に見付けたと、幼馴染みの田中(青木柚)に興奮して報告する。不良っぽいなら止めておけばと田中に忠告されるが、恋する気持ちに止めるとか止めないとかは無いと、りのは聴く耳を持たない。そのとき陸上部の貼り紙に甲野じゅんの顔写真を認めた。
りのは陸上部の部室に押しかけ、部長にマネージャーになると宣言。甲野じゅんをコーチに400メートルリレーの大会に出場するべく猛特訓を開始すると訴える。りのはトラックを駆け抜ける甲野じゅんの姿に見惚れる。目線は真っ直ぐ、軸をぶらさず、手をしっかり振る。甲野じゅんの的確なアドヴァイスで1人の部員の走りが変わる。その姿に他の部員が触発された。りのは部長たちにも加わるよう声をかけ、400メートルリレーのメンバーが揃った。走りの姿勢に加え、ペース配分、バトンパスなどの技術も磨いていくうち、大会出場に向けた目標タイム実現も夢物語ではなくなった。ある日の放課後、りのは用意した人力車に甲野じゅんを乗せて帰る。その道すがら甲野じゅんからりのがなぜ自分に思いを寄せるのか尋ねられた。好きなものは好きだと言い張るりの。長谷部先輩のために勝たなきゃな。甲野じゅんが洩らす。
りのがグラウンドで1人木製レーキを使いトラックを均していると、甲野じゅんが現われる。みんな言ってた。長谷部先輩のこと恨んでるって。思わぬ言葉に、りのは困惑する。だが甲野じゅんの言葉は続いた。こんなに楽しい夏になっちゃってどうすんだって。先輩のおかげで走るのもっと楽しくなりました。ありがとうございました。りのは自分のやってきたことが間違って無かったと感激する。甲野君のこと好きになって良かった。俺も、長谷部先輩のこと、好きです。そのとき甲野じゅんの姿が消えた。
長谷部りの(見上愛)は7歳のとき入院して死の淵を彷徨った。そのとき枕元に現われた甲野じゅん(佐藤寛太)に右手を握られ、野の花をプレゼントされた。りのは息を吹き返す。以来、りのは甲野じゅんに恋い焦がれていた。りのは同じ高校の下級生に甲野じゅんがいて、陸上部に所属していることを知った。幼馴染みの田中(青木柚)が止めておけというのに耳を貸さず、りのはすぐさま陸上部のマネージャーとなった。りのは甲野じゅんを中心に400メートルリレーでの大会出場を目指し猛特訓を始める。りのの恋心に絆された甲野じゅんは遂にりのの愛に応える。ところがその瞬間、甲野じゅんは跡形も無く姿を消してしまう。甲野じゅんの存在を田中に確認しようとするが、スマートフォンのデータからも甲野じゅんは消えていた。りのは恋に恋してただけだと田中に言われてしまう。失意のりのは音楽室で甲野じゅんがギターを抱えているのを見付ける。その場でりのは軽音部に入部する。しかしまたもや甲野じゅんは突然姿を消してしまった。
(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)
長谷部りのは7歳のとき死の淵から救ってくれた甲野じゅんに恋い焦がれている。高校生になり、陸上部の下級生に甲野じゅんが所属しているのを知ったりのはすぐさま陸上部のマネージャーとなる。ところがようやく甲野じゅんがりのの恋心に応えてくれたと思った瞬間、甲野じゅんは姿を消してしまう。軽音部に甲野じゅんがいるのを見かけるが、そこでも甲野じゅんは姿を消してしまった。
りのは甲野じゅんに会いたい一心で死の床から起き上がることができた。すなわちりのの生は、甲野じゅんに会いたいという気持ちにより延長されている。甲野じゅんに会って思いが遂げられると、りのの生はそこでピリオドを打つことになってしまう。だからピリオドが打たれるとともに、生の目的たる甲野じゅんは消滅し、再度甲野じゅん探しが始まる。資本主義の構造とアナロジーだ(それが狙いではないだろうが)。
幼馴染みの田中は、りのが恋に恋しているだけだと指摘する。すなわち甲野じゅんは恋そのものだとも言える。甲野じゅん=「恋人」の等式が成り立つ。甲野じゅんが固有名詞ではなく、誰を当てはめることも可能な一般名詞であるということだ。
大学生の甲野じゅんは事故の影響で眠ると記憶が失われてしまう。現在の甲野じゅんは睡眠により失われ、目覚めとともに甲野じゅんがリスタートする。甲野じゅんの観点からすれば、りのが消滅していることにもなる。高校時代のりと甲野じゅん=「恋人」が反転した関係に立つ。りのは自らが消えないように(甲野じゅんの記憶から消えないように)奮闘する。
幼馴染みの田中は、消えることは存在が前提とされているとりのに指摘する。存在していないものは消えることもできない。りの手にしていたアイスクリームが溶け落ちることで存在の消失が表現される。
幼馴染みの田中は常にりのの傍にいて、りのを見守る。りのが田中を恋の対象にすることはない。この田中の存在は鑑賞者のアヴァターとなり、スクリーンの中と観客席とを繋ぐ仕組みである。
好きになるときの引力って凄いんだよ。だから重力なんて比じゃない。りのの甲野じゅん=恋に向かってまっしぐらな様子が、直線道路を突っ走るりのによって象徴的に表現される。そして、重力なんて比じゃない恋の引力の凄まじさは、人力車の登場や甲野じゅんの突然の消失を始めとする強引とも言える展開により表現される。ストーリー自体というメタ構造に影響を及ぼすかのように装うことで、恋の引力の凄まじさを表現するのである。
恋の引力の凄まじさの表現を可能にするのは、長谷部りのを演じた見上愛である。観客を惹き付ける力がある。テレビドラマ『春になったら』(2024)でも、大学時代に写真部で一緒だった親友の椎名瞳(奈緒)に恋心を抱く岸圭吾(深澤辰哉)を密かに只管思い続ける大里美奈子を演じた。
眠ると記憶が消えるという設定は、テレビドラマ『アンメット ある脳外科医の日記』(2024)の主人公川内ミヤビにも見られる。