可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『湖の女たち』

映画『湖の女たち』を鑑賞しての備忘録
2024年製作の日本映画。
141分。
監督・脚本は、大森立嗣。
原作は、吉田修一の小説『湖の女たち』。
撮影は、辻智彦。
照明は、大久保礼司。
録音は、吉田憲義。
美術は、大原清季。
裝飾は、遠藤善人。
衣装は、纐纈春樹。
ヘアメイクは、豊川京子。
編集は、早野亮。
音楽は、世武裕子

 

琵琶湖西岸。未明の湖では腰まで水に浸かり釣りをする人影がある。空が次第に明るみ、釣り人の姿がはっきりと見えて来た。
水辺まで樹木が立つ岸辺に1台の白い軽自動車が乗り入れて駐まった。運転席の豊田佳代(松本まりか)は坐ったままパンツのファスナーを降ろすと、下着の中に手を差し入れる。
濱中圭介(福士蒼汰)がスーツに着替えていると、身重の妻・華子(北香那)が姿を見せる。またしばらく帰られへん。そんなら実家に帰ってようかな。そろそろな気ぃする。その方がええ。そんなに動いたらあかん。ソファに置かれた圭介の衣類をバッグに詰めるために畳む華子を圭介が気遣う。時間あるときでええから義姉さんに御礼言っといてくれへん? オーガニックのおくるみ贈ってくれはった。おくるみって何? 赤ちゃんを包むもんよ。高いもの強請ったらあかんで。私が強請ったんちゃう。
圭介が自動車で向かったのは老人介護施設もみじ園。相談室に待機していた西湖署の先輩刑事・伊佐美佑(浅野忠信)に声をかける。伊佐美は圭介を遅いとどやして歩き出す。白い制服が看護師で青い制服が介護士だと圭介に注意を促すと、亡くなったのは市島民男100歳で人工呼吸器が停止していたのを早朝に職員が発見して通報したと概略を告げる。圭介と伊佐美が108号室に向かうと、鑑識が資料採取に当たっていた。刑事部長の竹脇東(近藤芳正)がここは鑑識に任せて話があると通路で2人に状況を説明する。当直は看護師2名、介護士4名。人工呼吸器が停止した午前5時から午前6時にかけて看護師は仮眠中で、介護士に任せていた。人工呼吸器に誤作動があったか、介護士による業務上過失致死か。
介護士の佳代が同じく介護士の二谷紀子(川面千晶)とともに老人を入浴させていた。湯船から老人をリフトで引き上げる。体は椅子に移してから拭きますからね。そこへ服部久美子(根岸季衣)が顔を出し、佳代と紀子に警察の事情聴取のため相談室に行くよう告げる。佳代ちゃんと一緒で良かったわ。私も昔から面談とか心臓がキューってなる。
相談室の扉をノックするが反応がない。佳代と紀子が扉を開けると、圭介がどうぞと言った。西湖署の濱中と言います。坐って下さい。お名前からお願いします。二谷紀子です。豊田佳代です。お二人とも二斑ですね。一班の人とは会いましたか? 会ってないです。私も会ってないです。お仕事の流れを一通り聞かせてもらえますか? 佳代は本来早番だったが、ぎっくり腰で急遽休むことになった職員の代わりにぶっ通しで当直に入ることになったこと、そんな佳代を気遣い、紀子が早くに仮眠を取らせてくれたこと、5時頃に佳代は仮眠室を出たことを説明する。誰かに会いましたか? 首を振る佳代。佳代をじっと見詰める圭介。…何ですか? …あの、見てはないんですけど、一班は介護スタッフだけ起きているとか…。時々そういうこと聞いたんで、大変やなぁと…。続けて。佳代は午前5時過ぎに目を覚ますと、まだ寝てていいのにと言ってくれた紀子に車で出ると告げたこと、戻ったら投薬変更のチェックをしようと言われたことなどを語った。車でどちらへ? 入り江の辺りに。何をしに? 朝陽を見に。それは初めてですか? いいえ。誰かに会いましたか。…いいえ。それから? 佳代は6時に戻って朝食の配膳準備を紀子と行ったこと、その最中、一班の介護士二人が廊下を大急ぎで走るのを目撃したと告げる。会うてへんていいましたよね?
佳代の暮らす古い民家に父親の浩二(鈴木晋介)が荷物を取りに来ていた。井戸水で冷やしていた果物の皮を剝く佳代。お母さんの使ってたの持ってたらあかんで。静江さん嫌がんで。女はそう言うもんなんや。
伊佐美は人工呼吸器の製造会社を訪れ、担当者(長尾卓磨)に誤作動の可能性について尋ねた。人工呼吸器の動作が停止する複数の誤作動が同時に起こる可能性は極めて低いこと、動作を停止した場合には警告音が鳴り続ける仕組みになっていること、警告音が鳴らさずに動作を停止させるには設定変更の操作が必要であることなどを聴き取る。誰かが故意にやらんかぎり今回のような事案は起きんちゅうことですね。

 

琵琶湖西岸地域に立つ老人介護施設もみじ園。ある日の早朝、人工呼吸器の停止により100歳の市島民男が死亡しているのが発見された。管轄の西湖署の刑事部長・竹脇東(近藤芳正)は事件と事故の両面から捜査するよう指示する。ベテラン刑事の伊佐美佑(浅野忠信)は、医療機器製造メーカーの社員(長尾卓磨)の話から人工呼吸器の誤作動の可能性を否定し、殺人の線で事情聴取を行うよう後輩刑事・濱中圭介(福士蒼汰)に命じた。死亡推定時刻は午前5時からの1時間で、当直の看護師2名と介護士4名の勤務時間だった。1階を担当する介護士1斑の松本郁子(財前直見)と本間佐知子(呉城久美)、2階担当の介護士2斑の二谷紀子(川面千晶)と豊田佳代(松本まりか)について圭介が取調を行う。伊佐美は一班の介護士・松本が待遇に不満を持ち犯行に及んだとの絵を描き、圭介に松本の自白を取るよう迫る。圭介は、妻・華子(北香那)が出産を控え里帰りする中、佳代に個人的な興味を示す。伊佐美は退職した元刑事・河合勇人(平田満)からかつて捜査に当たったMMO社の薬害事件について週刊誌記者が嗅ぎ回っていると注意を促された。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

老人介護施設もみじ園において、100歳の入居者・市島民男の人工呼吸器が停止して亡くなった。その捜査に当たった西湖署の刑事、伊佐美佑と濱中圭介は、当直の介護士・松本郁子が施設の待遇に不満を抱き犯行に及んだとの殺人の線で取調を行い、松本に執拗に自白を迫る。
圭介は先輩の伊佐美から何かにつけて叩かれ、怒鳴られる。圭介は伊佐美の捜査手法に疑問を抱きつつも、言われるがままに松本を追い詰める。出産したばかりの妻・華子も嬰児の面倒で余裕がない。圭介は取調で興味を持った豊田佳代に個人的な興味を抱き、接触する。
豊田佳代は15歳で母を亡くし、父親の豊田浩二の世話をすることになった。どんなに体調が悪くても食事や洗濯をこなしてきた。佳代が圭介の言われるがままになるのは、佳代が抱える後ろめたさ、罪の意識がある。佳代がこなした「母親代わり」には、父親との性交渉も含まれていたのだろう。それが圭介に付け入る隙を与えたのだ。
松本や佳代に対する圭介、圭介に対する伊佐美伊佐美に対する権力と、より弱い立場にある者に対する暴力・支配が連鎖していく。この点では、映画『死刑にいたる病』(2022)に通じる。

(以下では、中盤以降の内容についても言及する。)

正義漢であった伊佐美を変えてしまったのが、MMO社の薬害事件であった。厚生労働大臣・西木田一郎の圧力で立件を目前に捜査は中止され、伊佐美は無力感に苛まれた。50人が死亡し、400人が薬害による症状に悩まされたる事件を惹き起こしたのは、戦時中に満洲で生体実験を行っていた連中であり、市島民男もまたその1人であった。
暴力・支配の連鎖とともに、役に立たない人間は生きるに値しないという優生思想がテーマである。
夜の湖の真っ黒な水は、溜め込まれた負の感情を象徴する。
主演の松本まりか福士蒼汰とが起用に見事に応えた。