展覧会『衣真一郎「積み重なる風景」』を鑑賞しての備忘録
KATSUYA SUSUKI GALLERYにて、2024年5月11日~6月2日。
鍵穴形あるいは二瘤型にシンボル化された前方後円墳がトレードマークの画家・衣真一郎の個展。抽象化された風景などを描いた絵画作品とともに、古墳・家・靴・カップ・スプーンとフォークを象った焼き物も併せて展示される。
《横たわる風景》(1120mm×1620mm)の下半分には、丘陵とその斜面の樹木や建物、底には真っ直ぐ伸びる道と平地などが表され、上半分には空とも水辺とも何なのか判然としない淡い水色を基調とした画面に矩形や古墳状の形などが鏤められている。ぽつぽつと木々が描かれた丘陵の斜面は果樹園として利用されているのかもしれない。わずかに人の姿もある。左右両端の丘陵の中腹から上の辺りには「果樹」に比して何倍も大きい樹木が描き込まれている。巨大な樹木の異化効果は、空とも水辺とも知れない上部へのジョイントの役割を果している。濃淡の異なる水色の矩形を並べて構成された画面上部には、横向きで立つ(歩く?)人の姿がある他、前方後円墳の鍵穴状の形、あるいは前方後方墳、樹影や松毬などが点在する。横から捉えた人物、上から見た「前方後円墳」に代表される複数の視座の同時存在するとともに、「前方後円墳」に比して巨大な人、さらに巨大な松毬と異なる複数の縮尺が採用される。だが複数の眼差しの混在は、地面にあるものが空にある、あるいは水鏡による映像といった反転のイメージと相俟って、不不思議と絵画世界に調和をもたらす。
《積み重なる風景》(1000mm×727mm)は、画面左端中段から右上と右下とに伸びる斜線により画面を3つの三角形(正確には台形)に分割し、茶色の地中、灰白の地上、青い夜空の3つの部分で構成されている。茶色の地中は、茶色と赤味のある焦茶色とで5層から成る地層のように見える。中央の層には水色と山吹色の前方後円墳(鍵穴の形)が並ぶのを始め、記号化された前方後円墳や銅鐸、色取り取りの矩形などが鏤められ、太古の世界に誘う。「地層」の地表に当たる斜めの線には樹木や懸造の建物、歩く人や犬を散歩させる親子(?)のシルエットが緑や茶で描かれる。真横からの視線である。明暗の異なる灰白の矩形などで表された真ん中の三角形(正確には台形)には、土器(壺)、人物埴輪・家形埴輪、橋梁などのシルエットが記号のように緑や青、山吹色などで描き込まれる。何を表すか判然としない色取り取りの矩形は、斜面の建物や人物と土器・埴輪などの世界の接続を果す。灰白の上側の斜線にはハイビームで走行する車、鹿、木立が描かれ、暗い夜空には有明の月が白い雲の中にが浮かぶとともに、別の車の姿も覗く。《横たわる風景》同様、複数の視点が混在している。もっとも「横たわっている」静的な《横たわる風景》に対し、「積み重なる」と題された《積み重なる風景》では、傾斜や移動するモティーフにより変化=時間が導入される。上段の坂を自動車や鹿が下り、それにあわせて雲が小さいものから大きいものへと形を変じる(あるいは近付く)ようだ。空は未だ暗いが、「有明の月」により朝の到来が暗示される。下の坂道では坂を上がる犬の散歩の親子とキャップの人物とが擦れ違う。そして、「積み重なる」地層は、人のライフスパンを超えた大きなスケールでの時間を表す。
これらの作品には、精神科医・中井久夫の臨床に対する姿勢との共通性が見出せる。中井は「古代からのさまざまな記号性を帯びた地政学的風景における狂気と人間の関係」を考察した。
この土地〔引用者註:中井久夫の郷里である奈良盆地〕はいうまでもなく、古代におけるヤマト王権がある段階で発生した(卑弥呼の本拠地が纏向遺跡であるかどうはともあれ)神話の地である。そして近代以降においても、宗教的な起源が初期よりたどられ公式的な宗教になった天理教が発生した土地である。その創始者中山ミキは、出口ナオ、北村サオと並び、中井にとっては貴重な精神病的事例にほかならない。この点で、中井が中山ミキの生家と500メートルも離れていない場所に産まれたことは、特別な意味をもつだろう。いまは全文を引用することはできないが、中井の美しい文章の一端だけを記しておきたい。これこそが中井的「臨床」だからである。
奈良盆地が、東を限る山々と接するところを、春日山の西嶺から三輪山まで行けば右には水田、左には丘陵、古墳、社寺、段々畑をみる。このように国中平野のまさに東縁を走る国鉄桜井線の線路の東の小集落「三昧田」がミキの誕生の地である……東を見れば二百数十メートルの竜王山脈が間近である……それでもミキの生家の近くに立って秋の午後に東を望めば、次第に高まり行く斜面は棚田をハッチに変えつつ、稜線に向かいはいのぼる……西に目を巡らせば景観は一変する。古代の条里制の痕跡は2万5千分の1図にも見るごとく今も驚くほど存在する。(同右〔引用者註:中井久夫『分裂病と人類』、1982年、東京大学出版会〕 48-49頁)
しかし、みはるかす四周の山々の麓には数多の神々が住み、古墳が築かれ、都がいとなまれ、仏閣が造られた。バリ島の宇宙が中央にそびえるアグン火山を中心とし、それとの関係によって自らを定位するとすれば、大和に住む人々は四周の山々に依って定位をおこなう。(同右、51頁)
(略)
これは、おそらくは木村〔引用者補記:敏〕では描きえない「臨床」の記述である。(略)歴史性をになった環境のなかでの、あるいはまさに古代からのさまざまな記号性を帯びた地政学的風景における狂気と人間の関係がとりだされる。
(略)
(略)盆地と古代の記号性の集積という環境との「あいだ」とは、木村とヴェクトルが違うとはいえ、水平に無限の拡がりをもつテーマだからである。(略)奈良盆地と狂気の関係性というのも、もちろん統計学的調査がありうるとはいえ、単純で明確な結論がだせるものでもないだろう。だが中井の文章は、表面的で明晰な「臨床」よりも、まさに「深淵」と形容されるその得たいの知れなさに触れるところに核心がある。
(略)中井の場合は、集団、雰囲気、場所、気候、地勢が、ほとんど一種の見者(ヴォワイヤン)の視覚によるような仕方で描きだされ、また患者を支えるさまざまな組織(家族・地縁血縁・習俗)からの風圧が読み解かれているからである。
こうした中井のあり方を、木村の臨床の垂直性に対し、一種の水平性(木村が何度も言及する和辻哲郎の「あいだ」性そのもののまさに「風土」的拡張)の「深淵」であるとのべるのはあまりに安易であろうか。(檜垣立哉『日本近代思想論 技術・科学・生命』青土社/2022/p.173-176)
作家もまた「集団、雰囲気、場所、気候、地勢」を「ほとんど一種の見者(ヴォワイヤン)の視覚によるような仕方で描きだ」す。「表面的で明晰な」風景では無く、「『深淵』と形容されるその得たいの知れなさに触れ」ようとしていると言えまいか。
中井後期の主要作品といっていいであろう『兆候・記憶・外傷』(2004年、みすず書房)の冒頭論文で、中井は、やはり『分裂病と人類』と同様に木村的な構図をもちだしながら、さらに微分回路と積分回路について言及し、同時にイントラ・フェストゥムについて、おおきな位置変更をおこなっている(略)。
木村にとって、イントラ・フェストゥム論はきわめて中枢的なものである。元来は、精神の病の分類において、分裂症をアンテ・フェストゥム(祭の前)である先取り的狂気(微分回路のなかで先駆的な読み)、鬱病をポスト・フェストゥム(祭の後)である責罪感として描きだすなかで、いわば未来志向と過去志向の2つの病の「あいだ」として、木村はてんかんの具体例に仮託しつつイントラ・フェストゥム(祭の中)という位相をとりだしていた。だがある時期までの木村においては、分裂症研究や鬱病の責罪感研究こそにスポットが当てられていたのであり、イントラ・フェストゥムをてんかんの病と規定することも、一種の「天才」性との関連においてひとつのテーマを形成するとはいえ(ある種の天才にてんかん患者が多いことはよく知られている。創造的な現在と祭の中の熱狂とは深く連関している)、ともあれ脳波の極端な振動とそこで身体が何も受容できなくなることで説明されるこの病を、ある程度以上つよくひきたてることには困難があったようにおもわれる。
とはいえ、この主題が木村にとって初期から重要なものであったことはいうまでもない。京都大学で辻村公一〔引用者註:「辻」は正しくは一点しんにょう〕とハイデガーの講読を行いながら、未来という時間制に本来的時間の位相を付すハイデガーに対し、辻村が、現在こそが本来性の時間ではないかという類のことをのべていたと木村は述懐してもいる(ととえば、木村敏・檜垣立哉『生命と現実』2006年、河出書房新社、44頁)。このことの背景には(辻村にとっても木村にとっても)、西田の「永遠の今」という発想が控えていることはいうまでもない。(略)
時間論一般を考えても、改めてのべるまでもないが、「現在」ほど不思議な時制というものはない。未来とは、未だ来たらずという不在であり、過去とは、すでに過ぎ去ったものという意味での不在であるが、とはいえ「現在」とは「いま・ここ」という現前でありながら、つねに消え去る瞬間でしかありえない。しかしつねに今は今なのである。何が今であるのかという問いは、とりわけ時間論において根本的である。
時間とは、現在に依拠しないかぎり、それが「何か」をのべることはできないものである。西田の「永遠の今」という言葉も、垂直の絶対無の方向に掘り下げた無限が、この今という有限性によって一面では支えられるという、絶対矛盾としかいいようのない事態の矛盾的表現なのである。
木村もまたイントラ・フェストゥムを、アンテ・フェストゥムやポスト・フェストゥムと同列の一時制としておくことはしない。(略)木村の探求のなかで、垂直性への掘り下げを徹底化するならば、必然的にイントラ・フェストゥムこそがすべての時間性を包むものとなり、これを無視して個々の病を語ることはできなくなるからである。それは現在という狂乱であり、有限のなかの無限である。だがこの狂気のなかでしか、われわれの今はないし、未来や過去にかかわる病について語ることもできない。(檜垣立哉『日本近代思想論 技術・科学・生命』青土社/2022/p.176-178)
作家は複数の視座を作品に導入することにより、その「狂乱」を介して、「有限のなかの無限」であるところの「現在」の「深淵」に触れようとしているように思われてならない。