展覧会『山本朱音「デッドウェイト」』を鑑賞しての備忘録
Gallery10[TOH] にて、2024年5月10日~26日。
厚ぼったい上眼瞼・下眼瞼を持つ杏仁形の目だけを表わした顔が印象的な肖像画で構成される、山本朱音の個展。
キーヴィジュアルに採用されている《intolerable》(455mm×455mm)は、今にも涙が溢れそうな巨大な片目だけを髪の下に覗かせた人物の顔を画面一杯に描いた作品。円形に近い頭部の半分以上は髪で覆われる。髪は、重力の働きを表わす尖るギザギザの毛先によって、垂直に落下する流体と化し、涙が零れ落ちる表現を強調する。恰も顔に1つしか目がないように1つだけ描かれた目は、上眼瞼・下眼瞼のどちらも厚ぼったい杏仁形をしていて、瞼の間に黒い瞳が覗く。上の瞼が大きく表わされることで、髪の毛のや顎の下の影と相俟って顔(頭)が下に向いているのが分かる。人物は明暗の灰色のみで表わされ、周囲にわずかに見えるクリーム色の背景の明るさによって、人物の暗澹たる状況が引き立てられる。「一つ目」はキュクロープス(Cyclops)のような存在を想起させ、人物表現ないし現実描写から乖離してしまう可能性があるが――例えば、鶴岡政男の《重い手》は人物ではなく心理を描いた作品と言えよう――、作家の漫画的な造型スタイル――2つの頭部を描いた《Fregs》(530mm×333mm)など、グスタフ・クリムト(Gustav Klimt)の《水の精(Nixen oder Silberfische)》を遙かに連想させるような漫画的表現である――がクッションとなって、「一つ目」の衝撃は人物画の載貨重量(deadweight)内に収まるのである。
《Pegasus 1》(1303mm×1602mm)は、右腕に顎を載せ地に伏せる、翼を持つキャラクターを臙脂の背景に描き出した作品。画面左下に、横に伸びる杏仁形の目だけを表わした顔の丸い頭部が右腕の顎を載せている様子が表わされる。異様に長く表現された左腕は右隅で折り曲げられる。頭部と腕以外、身体は表現されない。但し、赤茶色の頭髪の背後からは白い翼が2つ覗く。画面左端が空間の隅に当たるかのように、左側(人物の右側)の翼は小さく折り畳まれる。他方、右側(人物の左側)の翼は、左腕が伸びるのと同様、画面右方向の空間いっぱいに拡げられている。この画面と空間とが一致する表現によって、キャラクターが狭い空間に閉じ込められた印象が生み出されている。翼を拡げながらも、地面にぺったりと腕を付けたキャラクターは、ペーガスス(Pegasus)というより、鳥の羽根を集め蝋で固めた翼で飛翔して太陽の熱で落下したイーカロス(Icarus)のように見える。赤い背景も太陽の存在を暗示するようではないか。同じ主題・モティーフを描いた《Pegasus 2》(725mm×500mm)でも、臙脂の画面いっぱいに描かれた翼を持つキャラクターは、頭を抱えて蹲る。こちらの作品では身体も描かれ、翼はつらら石のように表わされ、落下のイメージがより明確になる。それでも作家が描くのはペーガススであるらしい。なぜなら鉛筆と水彩絵具で描かれた《I'm not pathetic 2》(430mm×350mm)には蛇の頭髪を持つメドゥーサ(Μέδουσα)が表わされているからである。臙脂は太陽ではなく、ペーガススを生んだメドゥーサの首から滴り落ちる血であった。