可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 村松辰之介個展『alminium scape』

展覧会『村松辰之介個展「alminium scape」』を鑑賞しての備忘録
GALLERY b.TOKYOにて、2024年5月27日~6月1日。

海や動物をモティーフにアルミニウムを支持体にした油彩画で構成される、村松辰之介の個展。

《波 1》(520mm×910mm)は、水平線を望みつつ、岩で覆われた磯に打ち寄せる波をアルミニウムの支持体に油絵具で描いた作品。モノクロームとアルミニウムの光沢とが相俟って、平然と波に打たれる固く暗い岩に向けられる視線の冷静さを強調する。それでは金属の無機質さが波が砕ける岩場の峻厳さ荒寥感を生むかと言えば、そうではない。それは、波の表現において写実描写からやや離れ、日本画に見られる形が採用されているためである。実際、波だけを描く《波 2》・《波 3》・《波 4》(各158mm×227mm)では、日本画における波の表現を、黒の描線、あるいは黒く縫った画面から絵具をナイフで削ることで探究している。それらは粘着質な波である。なぜ作者は粘着質な波を描こうとするのか。それは、アルミニウムの平滑な画面に絵具を定着させるために油絵具の粘性を高めざるを得ないという事情を反映しているからだろう。岩はアルミニウムの支持体、波は油絵具のメタファーなのだ。《波 1》は作家の絵画の象徴であり、だからこそ、最初に目に入る場所に設置されているのである。
《白鷺(海) 1》(272mm×410mm)はアルミニウムの画面に白鷺の顔を左向きに大きく写実的に表わした作品である。目の辺りを中心にして、嘴の先や後頭部は描かれない。冒頭に展示されているのは、アニメーション映画『君たちはどう生きるか』(2023)の「青サギ」よろしく、「お待ちしておりましたぞ」と鑑賞者を迎え入れるためだろうか。いずれにせよ、なぜ白鷺の顔をそれほど大きく捉えるのか、タイトルに「(海)」が挿入されているかが気になる。鷺は海鳥ではないからだ。おそらく白鷺は海なのだろう。目や嘴などの黒い部分が岩礁であり、白い羽毛が波なのだ。黒白の鬩ぎ合う場としての磯を鷺の顔に見出したのである。烏鷺とは黒白を指すように鷺は白の象徴であり、その白=鷺の中にも黒は存在する。そして、鷺は日本画で描かれるモティーフでもあり、《波 1》の波と相俟って、日本画に対する作家の興味・関心を象徴するとともに、屏風型作品への導入の役割も果している。
《海景図屏風 1》(1250mm×2700mm)は、6枚のアルミニウムのパネルを六曲一隻の屏風状に仕立てた画面に、穏やかな海とその水平線上に浮かぶ雲とを描いた作品である。尤も、屏風ではあるが、床に置かれてはいない。壁に掛けられている。すなわち画面の自立のために屏風形式が採用されているわけではない。では、なぜ屏風に仕立てられたのか。それは錯視を利用するためである。パネル1枚ごとに画面を見ると、水平線は水平ではなく、左右の端に対して傾いている。だがある角度から眺めるとき、水平線が水平に見えるように描かれているのである。向かい合うように反対側の壁面には、類例の《海景図屏風 2》(1300mm×3600mm)が掛けられている。
《兎亀図屏風》(1200mm2400mm)は森で競走する亀と兎とを捉えた六曲一隻の屏風スタイルの作品。やはり床には置かれず、壁に掛けられている。亀は青味を帯びた黒で描かれ、木々とともに、筆が横に刷かれることで擦れが生じ、疾走感を生んでいる。何よりルネ・マグリット(René Magritte)の《白紙委任状(La Carte Blanche)》よろしく、亀の姿は木々によって見えたり見えなくなったりしつつ、第6扇から第1線に引き伸ばされている。だが左側方向から眺めることで亀の姿は接続されるのである。そして、そのとき、第4扇の兎の姿は見失われる。白い兎は前肢を後ろに、後ろ肢を前にそれぞれ跳ね上げた瞬間が描かれている。疾駆する瞬間を捉えた写真(静止画像)のようで、亀の描写と対照的である。兎はゼノン(Ζήνων)の「飛んでいる矢」のように「止まっている」のであり、「アキレスと亀」のアキレスのように何時まで経っても亀に追いつくことはないのだと亀(tortoise)は私たちに教えてくれた(taught us)のだ。そして、兎は、波に兎として描かれてきたことから、《兎亀図屏風》もまた波・海をテーマとした作品に連なる。波兎とは水面に映る月影。アルミニウムとは水鏡のことであった。従って、"alminium scape"とは水景で然るべきなのだ。それはまた、アルミニウムが象徴する近代工業の成果を基盤に、舶来の絵画システム(洋画)と在来の室内装飾の系譜(日本画)とが混淆する様を表現することにもなろう。