映画『蒲団』を鑑賞しての備忘録
2024年製作の日本映画。
95分。
監督・編集は、山嵜晋平。
原案は、田山花袋の小説『蒲団』。
脚本は、中野太。
企画は、佐藤友彦。
撮影は、神野誉晃。
照明は、津覇実人。
録音は、鈴木一貴。
美術は、三藤秀仁。
衣装は、中村もやし。
ヘアメイクは、河本花葉。
音楽は、田中拓人。
城東にある老朽化したビルの屋上。仕事部屋にしている増築されたプレハブ小屋で、竹中時雄(斉藤陽一郎)が机に向かう。ラップトップに打ち込むのは深夜ドラマ『サウナ日和』第一話の脚本。ラストのバス停のシーン。こんな大切な場所を離れても、彼と一緒になることを決めたんだ。主人公カオリの独白を打ち込み、決定稿とする。時雄は一人達成感を味わい、机を離れて冷蔵庫へビールを取りに行く。栓を抜いたビールを呷ると、瓶を片手に郵便受けを確認しにいく。DMに混じって手紙があった。風が強く吹いている屋上でデッキチェアに坐り、手紙を読む。先生のドラマに救われた経験から自分も感動を生み出す脚本家になりたい、直接会ってお話をしたいと綴られていた。差出人は横山芳子。これが4通目だった。時雄は机に戻りラップトップに向かう。心身をすり減らすばかりで見返りが少ない脚本家など目指さず真っ当な人生を送ること、手紙はこれっきりにして欲しいことをメールした。
時雄は歩いて自宅へ向かう。途中、小名木川に架かる十字路の橋を渡る。
帰宅すると妻のまどか(片岡礼子)がラップトップに向かっていた。仕事まだかかる? もうちょっと。今日中に送らないと。時雄が冷蔵庫を開けるが何も無い。食べてくると思ったから何もやってないわ。食べんだろ? Uber EATSにしようよ。何か買って来るよ。何食べたい? 何でもいい。じゃあ行ってくる。バッグを肩に掛けた時雄が出て行こうとする。トイレットペーパー、買ってきて。あと、雪見だいふく。まどかはコンピューターのディスプレイに向かったまま、時雄を振り返ることもない。
トイレットペーパーを提げた時雄が橋を渡る。
夜。ベッドで時雄が雑誌を読んでいると、まどかが隣にやって来る。電気消して。まどかは時雄のいない方に向いて毛布を被る。時雄は雑誌を置き眼鏡を外すと、灯りを消して毛布に潜る。鼾が寝室に響き渡る。
仕事部屋で時雄がラップトップに向かっていると、インターホンが鳴った。時雄が受話器を取り上げると、先日お手紙差し上げた横山ですと言う。時雄がプレハブ小屋を出て階段室へ向かい扉を開けると、うら若い横山芳子(秋谷百音)が立っていた。メールありがとうございました。弟子は取らないと言われましたけど来てしまいました。時雄は芳子をしばらく見詰める。…あ、どうぞ。時雄は芳子を仕事部屋に通す。
冷蔵庫から麦茶のペットボトルを取り出すとグラスに注ぎ、芳子が正座する脇の卓袱台に置く。時雄は自分の机の前の椅子に坐る。ここの住所、どうして分かったの? 新潟で脚本家養成講座を受講したときに篠原先生に教えていただいたんです。篠原先生、ご存じですか? 会ったことないけど、名前なら知ってる。ここ、良いところですね。親父の事務所だったんだ。お仕事は何をされてたんですか? ヤクザ。…嘘ですよね? 嘘だよ。飲んで。頂きます。芳子が麦茶に口を付ける。落ち着く場所ですね、東京じゃないみたい。田舎は新潟だよね? 上京しました。地元の大学に通ってるって。中退しました。私、本気で脚本家になりたいんです。お願いします。弟子にして下さい。芳子が頭を床に着けて懇願する。土下座止めようよ。分かったら顔上げて。時雄が芳子に歩み寄って体を起こさせる。参ったな。時雄は卓袱台の脇に腰を降ろし、膝を抱える。女の子に土下座されたの、初めてだよ。私も土下座するのは人生で初めてです。何か書いたの持ってる? はい。芳子がバッグから分厚い紙の束を取り出す。受け取った時雄は机に戻って眼鏡を掛ける。表紙には『噓をつく女』とあった。
城東にある老朽化したビルの屋上。かつて父親が事務所として使っていたプレハブ小屋で竹中時雄(斉藤陽一郎)が深夜ドラマ『サウナ日和』の脚本に取り組んでいる。時雄は10年前にテレビドラマ『湖のある町』をヒットさせたがその後鳴かず飛ばず。テレビ局プロデューサー海谷(永岡佑)の顔色を窺って食いつないでいた。作家である妻まどか(片岡礼子)は執筆や取材旅行で多忙を極め、同居しながらも時雄とは擦れ違いの生活を送っている。そんな時雄の元に、弟子入りを志願する手紙を寄こしていた新潟の大学生・横山芳子(秋谷百音)が、大学を中退してまで押しかけてきた。うら若い芳子の情熱に絆された時雄はアシスタントに採用することに。初めから女性の科白には目を見張るものがあったが、それだけでなく、芳子の手の入った男の科白も、科白のニュアンスを指示する書き方も、海谷の眼鏡に適うもので、時雄の株は上がる。時雄は芳子の仕事に信頼を置くだけでなく、芳子に恋情を募らせていた。その芳子に交際する相手(兵頭功海)がいると知り、時雄は嫉妬を禁じ得ない。
(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)
田山花袋の『蒲団』を翻案したドラマ。脚本家・時雄のアナクロニスムが、作品自体の構造によりメタレヴェルで示されている。
時雄は10年前にテレビドラマ『湖のある町』をヒットさせた脚本家。だが今は深夜ドラマの脚本を手掛けるのがやっと。他方、妻のまどかは作家として多忙を極め、時雄と擦れ違いの生活を送っている。そんな中、『湖のある町』に憧れた横山芳子が大学を辞めて脚本家になるべく押しかけ弟子となった。時雄は才能を示す芳子に次第に依存するようになるとともに、彼女に恋情を募らせていく。芳子に交際相手――しかも脚本家志望!――がいると知れると、嫉妬からますます芳子に執着する。芳子はその分時雄を疎ましく感じることになるにも拘わらず、時雄には自らを俯瞰する眼はもはや失われてしまっている。
時雄が父親の事務所を仕事部屋として用いることで、彼が過去に囚われていることが暗示される。だから老朽化したビルの屋上に仕事部屋は、芳子からすれば東京(TOKIO)ではないように見える。一世を風靡した時雄(TOKIO)が時代遅れになっていたのだ。屋上のプレハブ小屋という世間とは隔絶した場にいる時雄が書く作品が時代にマッチしないのも宜なるかな。
時雄が椅子に坐り、芳子が床に座る。正坐する芳子が脚を痺れさせてしまい脚を曝すことで時雄の劣情を誘うだけではない。師匠と弟子という力関係が示されていた。芳子が自分の机を与えられると、二人はともに椅子に坐る。建前はともかく、パートナーとして対等な関係となることが示される。交際相手のために芳子が姿を現わさないと、時雄は芳子の椅子に坐り、結果として彼女の席を温めるという、時雄が芳子に従属的立場にあることが示されもする。
塔屋もまた、先に登っている時雄が芳子を招く関係から、先に登っていた芳子のもとに時雄が向かうと芳子が降りてしまうというように、二人の関係を説明する舞台となっている。
時雄と芳子の関係性を説明する舞台として重要なのは小名木川クローバー橋で、とりわけ上京した田中秀夫に時雄が説教した後、時雄と田中とが別方向に歩いて行き、芳子が田中の後を追う形で示される。
(以下では、結末に関わる事柄についても触れる。)
芳子が地元で書き上げた脚本は『噓をつく女』である。芳子が「噓をつく女」であることが暗示される。だが芳子は時雄の求める無垢な女性を演じることで時雄の信頼を得ようとしたに過ぎない。仕事は仕事と割り切って考えられるのが芳子であり、そうでないのが時雄である。
時雄が企画を考えてみろと芳子に手渡した文庫本はおそらく田山花袋の『蒲団』なのだろう(タイトルは視認できなかったが、岩波文庫の緑)。芳子は『蒲団』の企画を温め、完成させることになるだろう。
風と近隣の学校から届くチャイムという2つの音が印象的に挿入される。強く吹く風は、時雄に対する向かい風であろうか。だが向かい風は飛躍のチャンスでもある。だが時雄は風に乗ること無く、無様に転げることになるだろう。時代に追いつくことはできず、チャイムが楔のように打ち込まれ、終わりを告げる。
オレンジ色の夕陽が翳り行く仕事部屋に射し込む。それは時雄の人生の黄昏を表わすものである。逢魔時の光は全てを美しく照らし出すことにもなる。