可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『蛇の道』

映画『蛇の道』を鑑賞しての備忘録
2024年製作のフランス・日本・ベルギー・ルクセンブルグ合作映画。
113分。
監督・脚本は、黒沢清
原案は、黒沢清監督、高橋洋脚本の『蛇の道』(1998)。
撮影は、アレクシ・カビルシーヌ(Alexis Kavyrchine)。
編集は、トマ・マルシャン(Thomas Marchand)。
音楽は、ニコラ・エレラ(Nicolas Errèra)。
フランス語題は、"Le chemin du serpent"。

 

パリ。古いアパルトマンの並ぶ通り。新島小夜子(柴咲コウ)が車の脇に立つアルベール・バリュレ(Damien Bonnard)のもとに近寄る。寝てないの? ほとんどな。今日は止めておく? 気にしないで、また都合をつけるから。いや、今日やろう。でも間違いないか? 彼でなかったら? 確かよ。老女が目的のアパルトマンの入口にやってくる。暗証番号を押して扉を開けた。アルベールは車の後部座席からヴィデオカメラを取り出すと、助手席に坐ってヴィデオを再生する。赤い服の少女がピアノを弾いている。マリー、もうすぐだよ。小夜子がちょっと見てくると声をかけてアパルトマンの入口へ向かう。プレートに挿し込んでおいたスマートフォンには老女が暗証番号を押す様子がはっきり録画されていた。小夜子はアルベールに自分が先に行こうかと確認する。ああ。ラヴァルがいる。やるわね? ああ。そんなもの仕舞って。小夜子に言われたアルベールは拳銃をグローブボックスに入れる。
アパルトマンの階段室に入る扉の前に立っていた小夜子にラヴァル(Mathieu Amalric)が声をかける。小夜子が答えないのでフランス語が通じないのだと思い、英語は分かるかと英語で尋ねる。ラヴァルは小夜子を管理人の下に案内しようとする。そのときアルベールが背後から迫りスタンガンでラヴァルに電気ショックを与えた。アルベールと小夜子はラヴァルをダクトテープで縛り、納体袋に押し込む。2人は袋を引き摺り表へ出ると、急いで車のトランクに積む。
運転席の小夜子と助手席のアルベールに、トランクからドンドンと鈍い音と男の呻き声が漏れ伝わる。
小夜子が建物の裏手に車を停める。2人はトランクから袋を取り出すと、建物の中に引き摺って引く。2人が袋からラヴァルを出して立たせて足を縛っていたテープを外す。2人は逃げようとするラヴァルを捕まえ、古い建物のタイル張りの壁に連れて行く。壁には取り付けてあった鎖にラヴァルの手足を繋ぐ。口に貼ってあったテープを剥がす。誰だ? 私に何の用だ? 小夜子は新聞を手に部屋を出て行く。アルベールはモニターをラヴァルの前に運び、ヴィデオカメラと接続する。ピアノを弾くマリーの映像が流れる。殺された娘だ。何だって? マリー・バリュレ、8歳。セナールの森で死後1週間で発見された。16箇所の刺傷。左手と右手中指の骨折。腹部と頭部に創傷。皮下出血の生活反応あり。死因は広範囲の失血。顔は原形を留めず歯形で確認。マリーの検視結果を読み上げたアルベールがラヴァルに確認する。ミナール財団の会計責任者だったな。財団は解散した、関係ない! しらを切るな。やってない。その娘を知らない。アルベールはラヴァルに向かって銃を構える。焦らないで。時間はあるわ。脅しただけだ。小夜子がアルベールから銃を取り上げる。おい、後で後悔するぞ! おーい、誰か助けてくれ! 無駄よ、近くには誰もいない。アルベールと小夜子がラヴァルを置き去りにして建物を出る。小夜子は自転車に跨がる。小夜子、感謝する。長かったけど、ゴールは間近よ。
診察室。小夜子が吉村三郎(西島秀俊)に所見を述べる。頭痛と吐き気ですから。それと吐き気も。検査の結果、特に異常はありませんよ。精神的なものです。言葉の通じない環境では誰にも起こりうることです。念のため精神安定剤を出しておきますね。先生はフランスに長いんですか? えっ? 精神的な問題、先生にはないんですか? ありますよ。そんなとき先生はどうしてます? 日本人捕まえておしゃべりですか? 薬物とか? 医者なら簡単に手に入るんですよね? 困った方ですね。吉村さん、何かアレルギーや既往はありますか? ありません。じゃあ、1週間分出しておきます。先生はどちらご出身ですか? 生まれは東京です。ご家族は? 東京に父親が。母親は? 亡くなりました。そうですか、すいません。ご結婚は? 聞いちゃまずかったですか? 若い頃からの憧れのパリに来ました。気付いたらそのままずっと。すごいな。憧れがずっと続いてるんですね。薬、1錠飲んでいきます? ちょうどストックがあるんです。じゃあ。小夜子が水と錠剤を吉村に出す。まさか毒じゃないですよね? 冗談ですよ。吉村が薬を飲む。

 

パリに渡り心療内科医として働く新島小夜子(柴咲コウ)は、病院の廊下で塞ぎ込むアルベール・バリュレ(Damien Bonnard)を見かけ、声をかける。彼はドラントル博士の患者で、8歳の娘マリーを惨殺されていた。小夜子はアルベールとともにマリーの殺害犯を見付け復讐することを誓う。3ヵ月後、2人は会計士のラヴァル(Mathieu Amalric)を拉致して打ち棄てられた建物に監禁した。ラヴァルは、児童売買の斡旋を行うミナール財団の会計責任者だった。ラヴァルはアルベールもまたミラール財団にいたことを思い出す。アルベールは財団の権力者ピエール・ゲラン(Grégoire Colin)に取り入って得た情報をマスコミに売るつもりだったが、報復を恐れて逃げ出したために報復を受けたのだとラヴァルは主張した。アルベールはジャーナリストとして財団の児童福祉サークルに潜入したが何も発見できなかったと釈明する。小夜子はラヴァルの証言の信憑性を確認するため、アルベールとともに田園地帯の森に隠棲するゲランの拉致に向かった。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

アルベールは8歳の娘マリーを惨殺されて心療内科に通院していたところ、主治医ではない、心療内科医の小夜子に声をかけられた。アルベールは小夜子の協力を得てマリー殺害犯に復讐することにした。3ヵ月後、児童売買の斡旋を行うミナール財団の会計責任者ラヴァルを犯人として拉致する。ラヴァルは財団が既に解散したこと、アルベールが財団内の児童福祉サークルに加わっていたこと、アルベールがマスコミに情報を垂れ流そうとして報復を受けたと証言する。アルベールはジャーナリストで潜入取材を試みていたと釈明した。2人がラヴァルの証言の信憑性を確認するためゲランを拉致すると、ゲランは真っ向から否定した。
ラヴァルの拉致を決行する朝、アルベールは不眠を告白する。ラヴァルはすぐに拳銃を手にする。不自然に笑い出す。繰り返し娘の映像をラヴァルらに見せながら遺体の発見状況を朗読する。アルベールは幼い娘を惨殺を惨殺されて病み、心療内科に通院していた。復讐とは言え犯罪に手を染めることも精神的な重圧になっている。
アルベールはラヴァルを拉致する際、小夜子に復讐の対象者がラヴァルで間違いないか確認する。小夜子は請け合う。だがラヴァルの証言に基づきゲランを急遽拉致すると、ゲランはラヴァルの証言を否定する。小夜子はアルベールがいない隙に、ラヴァルとゲランに対し、アルベールの復讐対象者を捏ち上げるよう求める。小夜子が復讐の相手がラヴァルで間違いないと保証したのは何だったのか。この辺りから小夜子の異常さが次第に明確な形をとっていく。ゲランが小夜子の目が蛇のようだと評するのも尤もな展開が続く。
小夜子の夫・新島宗一郎(青木崇高)はパリを離れ、日本にいる。小夜子はヴィデオ通話で夫とやりとりする。

(以下では中盤以降の内容についても言及する。)

小夜子の患者・吉村が処方された薬が効かないと訴える。吉村は言葉が通じない相手に瞞されているとの想念に囚われている。小夜子が帰国を勧めると、吉村は帰国したら終わりだと嘆く。小夜子は、本当に苦しいのは終わらないことですよ、あなたならできます、と吉村に声をかける。

(以下では結末に関わる重要な内容についても言及する。)

吉村は自死する。突然首を掻き切ったという。「本当に苦しいのは終わらないことですよ、あなたならできます」という小夜子の言葉――あるいは/それとともに小夜子の邪眼――が吉村を死に追いやることになった。それは小夜子が吉村に与えた解放である。なぜなら小夜子は死に取り憑かれ、その妄執から決して逃れることができないからである。
アルベールは小夜子の患者ではない。別の医師の患者であるアルベールが沈痛な面持ちでベンチに腰掛けていた際に、小夜子から話しかけて知り合ったのだ。小夜子はアルベールの抱える問題に興味を抱き、復讐を唆し、復讐の対象となり得るような人物としてラヴァルを見繕ったまでである。ラヴァルは真犯人ではない。だからラヴァルが次なるターゲットを挙げるまでアルベールに殺害を許さないのである。ラヴァルが口にしたのはゲランであった。小夜子はラヴァルとゲランとに適当なターゲットを挙げるよう迫る。結果、クリスチャン(Slimane Dazi)という新たな復讐相手が誕生する。
小夜子の復讐は決して終わることがない。アルベールの娘の復讐という物語――それさえ真実である必要はないし、実際アルベールの妄想かもしれない――が幕を降ろしても、「自らの娘」の復讐の物語が新たに幕を開けるのである。蛇の目を持つ小夜子は脱皮して次々と新たな獲物を吞み込みながら生き長らえていくだろう。
小夜子の暮らす、生活感のないアパルトマンの1室を移動するロボット掃除機は、繰り返し呑み込む蛇=小夜子のことの象徴か。

ラヴァルは小夜子にすっかり魅入られてしまったようで、小夜子に水を浴びせられても従順に。残念ながら小夜子に殺されることはなかったが、改めて小夜子にグサグサとナイフを突き立てられたことは本望だったろう。ラヴァルの死体の造型は映画『ローズ・イン・タイドランド(Tideland)』(2005)に通じるものがある。

ほとんど表情を変えず、抑揚の口調で、蛇としての小夜子を体現した柴咲コウが素晴らしい。ほとんどフランス語のセリフをマスターしていたのも凄い(対照的に、パリ在住のジャーナリストが、一言二言だけのフランス語の質問が極めてお粗末だった映画が思い出された。質問を英語とすればマシだったろう。作品自体、目も当てられないものだった)。