可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 クリスチャン・プーレイ個展『Geographies of Love』

展覧会『クリスチャン・プーレイ「Geographies of Love」』を鑑賞しての備忘録
Gallery 38にて、2024年5月11日~6月30日。

顔の表現を省いた人物、平行に走らせた筆跡で抽象化させた景観、画面の一部を隠すような塗り潰し、異なる光景の強引な接合などが特徴的な絵画で構成される、クリスチャン・プーレイ(Christiane Pooley)の個展。限られた筆数で的確に対象を表現しつつ、大胆な抽象化した部分の挿入が忘れがたい印象を残す絵画群である。

《Layers of Time》(2200mm×1600mm)には、放牧された馬の姿を表わした前景、木々の茂る山の斜面の中景、紫がかった青い嶺の遠景、さらにその背景の夕空とが画面下部から上部へかけて描かれている。地理学の祖と呼ばれるアレクサンダー・フォン・フンボルト(Alexander von Humboldt)の南北アメリカ大陸を探査旅行を表わした絵画に通じる雰囲気を纏う絵画である。"Layers of Time"というタイトルも興味深い。単に前景・中景・遠景の対象から届く光には時間的差異があるというだけでなく、(前景の)馬の時間、(中景の)植物の時間、(遠景の)山岳の時間という、生きる(形成される)時間の長さの違いが表現されていることが明示されているからだ。複数の時間、異なる時間が同じ平面で巡り逢うのが絵画であると作家は訴えるのではなかろうか。

《Space Between Us》(1400mm×1000mm)の画面中央には、ピンクで塗り潰され、光の粒のような黄が点じ入れられている。画面下端左側には、頭を左側に草地で仰向けに寝る人物が、画面上端右側には砂浜で頭を右側に俯せに寝る人物が描かれる。違う時空にいる人物同士が、夢の中で、あるいは想起により、同じ世界を共有できる。それが絵画である。
《Spatial Dialogue》(730mm×600mm)には、麦藁帽子を被るワンピースの少女と白いシャツの男性(老人?)とが背中合わせに描かれている。右側の少女は仰ぎ見るように顔を上げる姿を右側後方から、左側の男性は頬杖を突く姿が左後方から、それぞれ描かれている。2人とも顔の表現は省略され、とりわけ男性の顔や手はほとんど背景に溶けている。注目すべきは、2人の姿は切り取った写真を繋ぎ合わせたように、お互い背中の部分で断ち切られた姿を接するように描き出していることである。2人は別々の方向を見ている。だが2人は同じ背景を有している。その2人を敢て無理矢理繋ぎ合わせることを明示することで、別離ないし不和と邂逅ないし愛情とを浮かび上がらせて見せるのだ。

Surface and Anchor》(730mm×600mm)には、2人の人物がしゃがみ込んで何か作業している様子が描かれる。1人は半袖に短パン、もう1人は半袖のシャツと分かるが、丁寧に描き込まれた2人の周囲は、縦・横・斜めに絵筆をそれぞれ並行に走らせた緑の描線により塗り潰されてしまっている。青々とした麦か、生い茂る草か。左上には夕空を表わすと思しき白みの強いピンクが画面の6分の1強ほど矩形状に残されている。
《Shield》(1400mm×1000mm)の舞台は森の中の開けた場所だろう。奥に木々が高く伸び葉を繁らせ、手前には木々が作る陰が伸びる草地があり、そこに前屈みになって何かを探す女性が描かれる。彼女の周囲は、画面右下に寄せて画面の半分以上を占める大きさのピンクの矩形によって塗り潰されている。ピンクの矩形の中央に、横から捉えた女性の垂れた髪、半袖のシャツ、右腕、腰だけが覗くのである。咲き誇る花の中で、彼女は花を摘んでいるのであろうか。
仔細に思い出そうとすればするほど、靄が掛かり、イメージが遠ざかってしまう。イメージがぼやけて遠ざかるほど、愛惜の念は却って高まっていく。作家は抽象部分を大胆に作品に導入することにより、懐旧の念自体を造形化して見せているのだ。