展覧会『ブランクーシ 本質を象る』を鑑賞しての備忘録
アーティゾン美術館にて、2024年3月30日~7月7日。
彫刻家コンスタンティン・ブランクーシ(Constantin Brâncuşi)(1876-1957)の業績を、実作約20点を中心に、写真・絵画、関連作家の作品も含め、約90点で紹介。
時系列による章立てではなく、7つのキーワードにより作品を配する。順に、故郷ルーマニアで彫刻を学んだ後パリに出て国立美術学校に学んだアカデミックな様式が認められる「形成期」、わずか1ヵ月でロダンの工房を離れ、オーギュスト・ロダン(Auguste Rodin)(1840-1917)に反発するように採用された制作手法「直彫り」、生命や誕生のシンボルとして抽象性を高めた卵形などの「フォルム」、アメデオ・モディリアーニ(Amedeo Modigliani)(1884-1920)やマルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)(1887-1968)との「交流」、完成作の展示にも用いられたパリはモンパルナスの「アトリエ」(そのために存命中の個展はアメリカの7回とブカレストの1回のみだった)、写真家アルフレッド・スティーグリッツ(Alfred Stieglitz)の撮影に納得がいかかったという経験から自作の再解釈ツールとして自ら撮影に乗り出した「カメラ」、自由と上昇のシンボルであるモティーフ「鳥」の7つである。
正面を見据える女性の頭像《プライド》(1905)[01]はアカデミックな作風の作品だが、「プライド(L'orgueil)」というタイトルは観念を作品と結び付けることに関心を示していることの現われだという。少年が頭を捻って後ろに倒し、右頬を右肩に接した頭像《苦しみ》(1907)[02]では、目を瞑る少年の表情は判然としない。先行する同題の胸像作品では見られた腕の捻れにより表わされた苦悶が、肩から下の部分の省略により失われたらしい。水平近くまで倒された頭や目を瞑り滑らかに表わされた顔は、卵の形態を取る後行作品への繋がりを感じさせる。
1907年に1ヵ月ほどロダンの下で下彫工として働いたブランクーシは、同年に石を用いた直彫りを行うようになる。分業に頼らず素材から完成作品までを作家が手掛けるべきだとの気運が高まっていたことが背景にあるという(同時期の日本で自画自刻自摺の「創作版画」の動きが起こったことが想起される)。直彫りの最初期の作品の1つが、1つの石に唇を重ね抱き合う男女を素朴かつ簡素に表わした《接吻》である(《接吻》(1907-10)[04]は石の作品をもとに制作された石膏像)。
《眠る幼児》(1907:1960/62鋳造)[03]はタイトル通り眠る幼児を写実的に表現した頭像で、右頬を下に水平に置かれる。後年の卵の形態のオブジェへの基点となる作品という。《最初の一歩》(1913-14)は赤ん坊が立ち上がる姿を表わした作品(そのエスキースの1つと考えられるのがテンペラ画《スタンディング・ボーイ》(1913頃)[24])で、その頭部は右目(の眉から鼻にかけて)を表わす弧と口の台形とだけを彫り出した卵の形に抽象化されている(頭部以外は作家自身が破却したという)。オーク材を卵形に形成し右目の刻みと鼻筋の直線状の隆起、口の台形の彫り込みによる《子どもの頭部》(1913)は、《最初の一歩》の頭部を改めて作品化したもので、さらに木彫の《子どもの頭部》を元にブロンズ作品《うぶごえ》(1917:1984鋳造)[07]を制作した。卵が割れる様に誕生≒産声を見出した作品である。《新生Ⅰ》(1920:2003鋳造)[09]ではより丸みを帯びた卵状の頭部に対し円に近い形状の口がより大きな比率で表わされ、右目の表現は段差のみでより単純化されている。
《ミューズ》(1918:2016鋳造)[08]は卵形の頭部に首、鎖骨辺りまでを表わしたと思しき女性像。Y字状の突起で目(眉)と鼻筋を、その下に口を表わし、頭頂部には髪を表わす刻みが施されている。単純化された顔や頭部から首、肩にかけての表現がモディリアーニの絵画《若い農夫》(1918頃)[82]とよく似ているが、両者にはアフリカの仮面の影響が窺えるという。《眠れるミューズⅡ》(1923:2010鋳造)[12]では、卵形の頭部のみとなり、右頬を下にして置かれている。切断された頭部、眠りといういずれも死のメタファーが、《うぶごえ》[07]や《新生Ⅰ》[09]といった誕生を表わすものと同じ卵形に表現されているのが興味深い。生と死という対概念と思しきものが重ね合わされている。卵はデュナミス(潜勢態)なのだ。
対となるものの重ね合わせは、《王妃X》(1915-16:2016鋳造)[06]に明瞭である。その先行作品には《ボナパルト王女の肖像》とのタイトルが付され、アントニオ・カノーヴァ(Antonio Canova)による《勝利の女神としてのパオリーナ・ボルゲーゼ(Paolina Borghese come Venere vincitrice)》に着想したとも考えられるが、卵形の頭部と2つの乳房とを長い首で繋いだ女性像は、むしろ男性器(陰茎と睾丸)のような姿を取る。円柱を逆さのY字に組み合わせたような《若い男のトルソ》(1924:2017鋳造)[14]も明らかに陰茎と睾丸と表わしているが、そこでは勃起する男根を垂直に屹立する円柱で表わされるのに対し、《王妃X》[06]の方は前傾するカーヴにより女性的な柔らかみが感じられる。卵というデュナミス(潜勢態)ではなく、両性具有のエネルゲイア(現実態)に発展したとも言えよう。
《レダ》(1926:2016鋳造)[18]は背を反らせて坐る女性の姿を、円錐状の胴と楕円体状の太腿で抽象的に表現した作品であり、鏡のような円盤の上に置かれている。レダは白鳥(ゼウスの化身)とセットで表わされてきた。実際、階下のコレクション展には、彫刻家アントワーヌ・ブールデル(Antoine Bourdelle)の水彩画《レダと白鳥》が展示されている。《レダ》[18]はタイトルからすれば、レダだけを表わしたことにもなりそうだ。だが、円錐と楕円体とに極度に抽象化された形は、鏡面のように機能する磨かれた円盤と組み合わせることで白鳥を想起させる。ここでもレダ=女性と白鳥(ゼウス)=男性という相反するものが重ね合わされている。まさに両性具有のエネルゲイア(現実態)である。
《空間の鳥》(1926:1982鋳造)[19]は正面から見ると、アルベルト・ジャコメッティ(Alberto Giacometti)の引き伸ばされた人物像のように縦に細長い棒状に表わされているが、確かに頭・胴体・尾が見える。だが横から見ると鋭利な弧を描き、切っ先を空に向けた刀のようでもある。彫刻という地に接する(重力に縛られる)存在を同時に空中へと解き放つ。ここにも対立するものが確かに同時に存在している。鳥は赤子を運んできて、魂を運び去る。鳥もまた両義的であり、エネルゲイア(現実態)のメタファーと言えよう。