可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 酒井みのり個展『家は記憶が崩れない』

展覧会『酒井みのり展「家は記憶が崩れない」』を鑑賞しての備忘録
藍画廊にて、2024年6月17日~22日。

斜面に土の塊を盛り付けて土砂が崩れ落ちた状況を再現した《土のイメージ》、土で覆った正方形の画面や動物のぬいぐるみ、家(を表わす五角形)や種を網状の巾着に入れた様を表した絵画などで構成される、酒井みのりの個展。

展示空間は壁で2つに仕切られている。入口側の空間を占拠するのが土を貼り付けた板《土のイメージ》である。土の板の左右両端はそれぞれほとんど接に接し、天井中央から入口近くの床に向かい斜めに設置されている。板の表面には人の拳よりも大きい土の塊が貼り付けられ、床に接する部分では土が板から食み出すように拡がる。土砂が崩落し、展示空間を呑み込んでしまった状況を現出しようとしている。
もう1つの空間の1つの壁面には、1辺29cmの正方形のパネルに土を貼り付けた作品を4枚並べている。《土のイメージ》の土塊に比べればほとんどなだらかだが、土は粒状でごつごつとした表面を持つ。黒灰色の土だが4枚並べられることで明暗や茶色味など違いが浮かび上がる。作品の下には、それぞれ「石のようにカタくて」、「もっと重たくて、重くて変えられない」、「乾いた砂のカタマリに触れて 崩れるみたいに」「大切なものは、コワイもの」という言葉――個々の索引の題名でもある――を記した紙が貼られている。重量があり、堅固でありながら、崩落する。生活の基盤を――実際も比喩的にも――構成する土は恐ろしいものに姿を変え得る。それが作家の「土のイメージ」なのだろう。
土を用いたもう1つのシリーズが、窓側に設置された台に5点、その向かい側の壁面に1点が並べられている、表面を土で覆った小さな人形のシリーズである。耳の形などからクマやウサギを象っていることが分かる。《土のイメージ》で崩落する土を見せつけられているために、土砂に呑み込まれた人形であり、また土砂から救い出された人形であるとの印象を受ける。
2つ目の空間の土のパネルと向かい合う壁面には、三角屋根の家を五角形で表わした家や、様々な形の種をモティーフとした絵画・版画が掛けられている。白い画面に黄色い網の巾着袋に入れられた黒い「家」を描いた《巾着に包まれた家》、同じく白い画面に赤い網の巾着袋に入れられた黒い種を描いた《大切な種》、白い画面に種のみを描いた《植物のタネ》、黒い「家」(=五角形)のみを表わしたリトグラフ《しずかな家》である。崩落して恐ろしい存在に変じ得る土砂《土のイメージ》に対し、家や種はともに生命を守るシェルターである。のみならず、展覧会タイトル「家は記憶が崩れない」からすれば、作家が家や種を記憶のメディアと捉えていることは疑いない。面白いのは、種とともに「家」を巾着袋に入れて見せていることである。何故であろうか。おそらく種は生命(を伝えるメディア)であり、複数の種(《植物のタネ》)は社会であり、世界=宇宙に擬えられる。小さな種に世界=宇宙を見る眼差しは、家もまた種であることに気付かせ、世界をちっぽけなものと捉えることを可能にするだろう。作家はリトグラフ《LOOKチョコレート》において、眼差しを表わす"LOOK"の文字を"L"、"O"、"O"、"K"と1文字ずつに解体している。眼差しを一旦解体し、スケールを変えてみる。そのとき《土のイメージ》の見え方も変わるだろう。ギャラリー≒家を呑み込んでしまう量の土砂であっても、地球規模で眺めるなら、種ほどの大きさもないのだ。網目状に表わされた巾着袋はそのような変幻自在の眼差しの象徴ではなかろうか。また、変幻自在な眼差しを通して見れば、土(表土)は地球(の一部)を覆う皮膚となる。泥を被った人形もまた地球のアナロジーとなる。無論、泥のタブローも地球の表現に他なるまい。地球(the earth)とは土(earth)なのだから。そして、人も動物も生命は地球のごく薄い表層での生成・変化に過ぎず、人類如きの思惑を超えて、地球という家は記憶を運んでいくのである。崩れることなく。