展覧会『TOPコレクション 時間旅行 千二百箇月の過去とかんずる方角から』を鑑賞しての備忘録
東京都写真美術館にて、2024年4月4日~7月7日。
想像力次第で時空を飛び越えることが可能であると「時間旅行」を冠して東京都写真美術館の収蔵品を紹介する企画。丁度100年前に宮沢賢治(1896-1933)が『心象スケッチ 春と修羅』を自費出版していることから、その序に見える「これらは二十二箇月の/過去とかんずる方角から」を、100年(1200ヵ月)に変えて副題としている。なおかつ「最先端の科学や思想から影響を受けた宮沢賢治の想像力が生み出した」「第四次延長」を引き合いに、「百年前の詩人の言葉とそれを生み出した想像力には、現代という分断の時代を生きる私たちの心にも響く何かがきっとあるはず」と訴える。
ところが、本展を構成する5章のうち最終章「時空の旅―新生代沖積世」のみが「宮沢賢治の言葉にインスパイアされた、時間と空間の多層的な世界を形にしたセクション」であるに過ぎない。他の4つの章は、1924に制作された写真のみ(主に「ピクトリアリズム(絵画主義)」の写真)を集めた「1924年(大正13年)」、1930年代の東京を写真や広告(国立工芸館・東京都江戸東京博物館所蔵品)で振り返る「昭和モダン街」、東京都写真美術館の地にあったビール工場の記録を並べた「かつて ここで―『ヱビスビール』の記憶」、『LIFE』誌と『アサヒグラフ』誌を紹介する「20世紀の旅―グラフ雑誌に見る時代相」であり、「時間旅行」は雑多な内容を一纏めにするための方便だったようだ。最終章の内容を充実させて1つの展示とされていればと、肩透かしを食らった気分を味わわされた。最終章以外のコレクションも、絵画と写真の関係を問う企画、戦時下の東京の生活を描き出す企画、ジャーナリズムにおける写真び役割を追う企画などとして独立させた方が魅力的であったろう。
最終章「時空の旅―新生代沖積世」では、『心象スケッチ 春と修羅』の初版本(明治大学図書館蔵)[5-23]を展示するとともに、その序文が紹介される[5-17]。
けれどもこれら新生代沖積世の
巨大に明るい時間の集積のなかで
正しくうつされた筈のこれらのことばが
わづかその一点にも均しい明暗のうちに
(あるいは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を変じ
しかもわたくしも印刷者も
それを変らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます
けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記録や歴史 あるいは地史といふものも
それのいろいろのデータ(論料)といつしよに
(因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません
(「序」『春と修羅』『全集 1』〔引用者註:ちくま文庫の『宮沢賢治全集 1』〕16-17頁)
こうした記述もまた、さまざまに飛躍的な表現に満ちています。二十二箇月どころか、心象スケッチ」には新生代沖積世の一万年の歴史が、さらには多細胞生物が出現し生命の闘争(修羅)がはじまった十億年の地球史が孕まれているようです。そしてここにも「感官」という語が登場することに注意を払うべきでしょう。賢治にとって風景や人は、あの微細な「感官」のはたらきによって感知され、表現されるのですが、それを「歴史」とか「地史」とか私たちが呼ぶのは、そのときどきの因果の時空的制約のなかであって、「感官」の悠久のはたらきは、つねにそうした制約や限定を超えて伸びているのです。そうした感官の自在な動きを思い切り活用することで、私たちの「心象」のスケッチは、既存の歴史や地史を変えてゆくことができるはずです。そこでは本質的な意味で、「組立」や「質」の変容が起こるのです。マシン(機械)のような体系的な構造ではなく、古い品物を断片にして再生させるときのようなアサンブラージュ(組立)のヴィジョンが、賢治の脳裡には閃いているように思われます。(今福龍太『宮沢賢治 デクノボーの叡知』新潮社〔新潮選書〕/2019/p.215-217)
『心象スケッチ 春と修羅』の序文の近くには、島田謹介《釜石線の列車》[5-15]、あるいは光の帯を捉えた北野謙の「光を集める」シリーズ[5-18, 5-19]など、とりわけ『銀河鉄道の夜』を連想させるイメージが並べられる。世界初のSF映画であるジョルジュ・メリエス《月世界旅行》[5-08]は宇宙への想像を宮沢賢治と共有している。マン・レイ[5-11,12]やラースロー・モホイ=ナジ[5-9,10]の作品は、「アサンブラージュ(組立)のヴィジョン」である。
〔引用者補記:「銀河鉄道の夜」で〕ジョバンニは天の川がしらしらと渡る夜空から降りてくる「天気輪の柱」とは、おそらく「薄明光線」とも「ヤコブの梯子」とも呼ばれている気象現象のことで、朝や夕暮れの薄明の時間帯に、雲の切れ目から太陽光が放射状に地上に降りそそぐ神秘的な自然現象を指しています。「ヤコブの梯子」という別名が、『旧約聖書』におけるヘブライ人の族長ヤコブが、天から地上に伸びる光の梯子を天使が上り下りしている光景を見たという「創世記」の文言に由来することからもわかるように、この薄明の特異な光の現象は、多くの人びとにとって霊的な含意を持ったものとして受けとめられてきました。
画家レンブラントが風景画の背景に好んで描くことが多かったため「レンブラント光線」とも呼ばれるこの神父的な光の帯。それはまさに、「かげとひかりのひとくさり」〔引用者註:『心象スケツチ 春と修羅』の序に見える〕としての心象スケッチの姿が天に投影されたものだともいえるでしょう。その光線を浴びることで序盤には天空の異次元へと誘われていったのでした。
「銀河鉄道の夜」最終稿では削られてしまったのですが、その前の「第三次稿」と呼ばれている手稿の「銀河ステーション」の章には、銀河鉄道へと誘われてゆくジョバンニに向けて、靄のなかからこんなくぐもった声が響いてくる場面がありました。
(ひかりといふものは、ひとつのエネルギーだよ。お菓子や三角標も、みんないろいろに組みあげられたエネルギーが、またいろいろに組みあげられてできてゐる。だから規則さへさうならば、ひかりがお菓子になることもあるのだ。たゞおまへは、いままでそんな規則のとこに居なかっただけだ。ここらはまるで約束がちがうからな。)(「銀河鉄道の夜 第三次稿」『全集 7』〔引用者註:ちくま文庫の『宮沢賢治全集 7』〕510頁)
改稿途上の刹那に訪れた別の「心象」によって、賢治自身によって×印をつけられて削除されてしまったこの「セロのようなごうごうした声」で、賢治は、たしかに「心象スケッチ」の原理をもういちど繰り返すように語っていたのです。それがひかりのはたらきによるものであり、だから何にでもなれること、あらゆる事を可能にするものであり、その帰結として「お菓子」がもたらされることを。そして天空からのレンブラント光線のあまねきひかりの条が、そのお菓子の完成を最後に仕上げるのです。
そう、ひかりのエネルギーの「規則」をさえ変えることができれば、私たちはそこからすきとおったうつくしくも美味しい「お菓子」をいつでも生みだすことができるのです。心象スケッチとは、この規則の変容をうながす至高の方法です。この心象のレンブラント光線は、私たちの日常が縛られている時空間の歴史と地理、真理と信仰を、その規則ごと、その位置付けや組立ごとすっかり変換することによって出現する、夢のような平行世界への梯子なのです。そして賢治の夢は、この平行世界を人間の実在の感覚のなかについに呼び込み、あらたな道理と倫理とによって生きられてゆく社会を創造することに最後まで賭けられていました。(今福龍太『宮沢賢治 デクノボーの叡知』新潮社〔新潮選書〕/2019/p.235-238)
佐藤時啓(時を啓くという名前が示唆的だ)の「Via Appica Antica (Roma)」シリーズ[5-27-29]は、作家が自ら光源を手に古代ローマの遺跡の前を動き回り、時間を超えた共演を果している。宮沢賢治の立像写真[5-22]について、敬愛するベートーヴェン(1770-1827)に扮した演出写真であり、セルフポートレートであるとの指摘が興味深い。宮沢賢治は100年前のヨーロッパに自らを送り込んだのだ。
原美樹子が切り取った駅のホームで柱を挟んで語り合う高校生の男女《Primary Speaking》[5-33]には、むしろ2つの電極間に流れる"primary sparking"が映り込んでいる。あるいは、北野謙は《溶游する都市/東京ドーム/東京》[5-34]においてが群衆を靄のような幽鬼として捉えた(因みに、群衆のイメージは堀野正雄の作品[5-04-07]が忘れ難い印象を残す)。これらは『心象スケッチ 春と修羅』の序文の冒頭を連想せずにはいられない。
わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)〔引用者註:ちくま文庫『宮沢賢治全集 1』16頁)〕(今福龍太『宮沢賢治 デクノボーの叡知』新潮社〔新潮選書〕/2019/p.214)