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芸術鑑賞の備忘録

映画『言えない秘密』

映画『言えない秘密』を鑑賞しての備忘録
2024年製作の日本映画。
114分。
監督は、河合勇人
原案は、ジェイ・チョウ(周杰倫)の映画『言えない秘密(不能說的·秘密)』(2007)。
脚本は、松田沙也。
企画は、山田実。
撮影は、足立真仁。
照明は、市川徳充。
録音は、藤本賢一。
美術は、古積弘二。
装飾は、平野鉱司。
衣装は、伊藤美恵子。
ヘアメイクは、藤原ゆみ。
編集は、瀧田隆一。
音楽は、富貴晴美
ピアノ演奏は、山中惇史と高橋優介。

 

"Secret"と題された古い楽譜。
青葉音大のキャンパス。樋口湊人(京本大我)が幼馴染みの浅野ひかり(横田真悠)と歩いている。湊人がいた時とほとんど変わってないよ。1年の頃と変わったのはレッスンを受けるのが講義棟からあっちの校舎に移ったくらい。ひかりが嬉々として説明するが、湊人は心ここにあらず。湊人、聞いてる? イギリスから急に帰って来るなんてね。久々だし飲みに行こう。留学の話も聞きたいし。湊人? いつの間にか湊人は姿を消していた。
湊人は人目を避けるように誰もいない幾何学式庭園に入る。脇に立つ古い木造校舎からピアノの音色が聞こえてきた。耳を澄ましていた湊人は校舎に入り、ピアノの音がする部屋を探して廻る。演奏は止んでしまったが、雑多な物が押し込まれた倉庫代わりの教室に、開かれた楽譜の置かれた古いピアノを見付けた。湊人が教室に入る。誰? 肩までの髪の女子学生(古川琴音)が湊人に尋ねた。邪魔したならごめん。もう終わったから。使うならどうぞ。彼女は楽譜を胸に抱え出て行く。湊人が見詰めていると、彼女は振り返り微笑んだ。壁にはショパン肖像画が掛かっていた。
西洋音楽史の講義。山本修治(皆川猿時)が19世紀の作曲家で「ピアノの詩人」と呼ばれるショパンを取り上げた。ひかりと出席していた湊人は、古い校舎で1人ピアノを弾いていた女子学生が遅れて教室に入ってくるのを見かける。講義が終わるや否や、湊人はひかりを置き去りにして彼女を追いかける。見失い落胆する湊人の後ろから彼女が声を掛けてきた。私のこと探してた? 名前くらい聞いておきたくて。あなたの名前は? 樋口湊人。ピアノ科3年。「ひぐちみなと」ね、覚えた。さっき弾いてた曲は? 聞いたこと無かったから気になって。それは「秘密」。彼女が湊人の耳元で囁くと微笑む。ねえ、名前は? 手を振って立ち去る彼女に湊人は取り残される。
茶店ポロネーズ。湊人が自転車を停めて店内へ。やっと来た。遅い。店主の父・樋口透(尾美としのり)がにひかりちゃんが待ってたんだと言う。カウンターにいたひかりが湊人が急にいなくなったと溢す。単身赴任中の母親から電話があり、ひかりが代わりに出て話したらしい。何でひかりが? ひかりちゃんと話したいって。湊人は引っ越しの荷物を片付けてくると部屋に引っ込み、2人につれない態度を取る。父親は久しぶりに夕飯を食べて行くようひかりを誘う。ナポリタンだけどいいか? 湊人、こっちに来て手伝ってくれ。
湊人がひかりを途中にある橋まで送る。湊人、向こうで何かあった? 私に出来ることなら何でもする。俺、もうピアノ止めようと思ってる。え? 大学は取り敢えず単位だけ取れればいい。練習あんなに頑張ってたじゃん。湊人くらい練習してた人いないよ。もういいんだって、お腹いっぱい。留学して現実が見えたっていうかさ。おじさんには言ったの? 父さんには余計なこと言うなよ。でも…。気を付けて帰れよ。そう言えば、髪の毛の長さがこれくらいの女の子知らない? 湊人はまだ名前を聞けていない彼女についてひかりに尋ねる。知るか、馬鹿! ひかりは怒って帰る。
彼女のことが気になる湊人は、授業中も辺りを見回してばかり。そんな湊人を見て隣ひかりは悲しそうな表情を浮かべている。湊人はひかりの気持ちもつゆ知らず、授業が終わるとキャンパスの中をあちこち探して廻る。彼女がピアノを弾いていた部屋にも姿は無かった。古い校舎の脇にあるベンチで横になって寝ていると、頭に被っていたシャツを外された。彼女だった。こんな所でサボり? そっちだって。私はいいの。個人レッスン優先。こんなとこにいて良いわけ? 後から来たのはそっちだろ。友達は? 1人になりたいときだってあるでしょ。次もサボり? 余計なお世話。一緒にサボろうか? ピアノ以外のこと何も知らないからサボり方教えてよ。ごめん。実は俺もサボりって何すればいいかよく分かんない。
湊人は彼女を乗せて自転車で走り出す。

 

樋口湊人(京本大我)は青葉音大ピアノ科3年。留学先のイギリスから急遽帰って来た。父親の樋口透(尾美としのり)は湊人の生まれる前から青葉音大の傍で喫茶店ポロネーズを経営しているが、趣味で音楽を始めたの湊人の影響だった。湊人の母親は忙しく現在も単身赴任していて姿がない。留学前は誰よりもピアノに打ち込んでいた湊人が心ここにあらずとなっていることに、同じ大学に通う幼馴染みの浅野ひかり(横田真悠)が心配する。湊人はピアノはどうでもいい、取り敢えず単位を取って大学を出るとひかりに打ち明けた。湊人は解体が決まっている旧校舎から聞こえてきた曲に心を奪われ、ピアノを弾いていた女子学生(古川琴音)に出遭う。曲名を尋ねると彼女は秘密と囁いた。神出鬼没な彼女から一緒にサボろうと声を掛けられた湊人は、ようやく内藤雪乃という名前を聞き出せた。スマートフォンを持っていないと連絡先を教えてくれない雪乃は、運命ならきっとまた会えると言う。同期の棚橋順也(三浦獠太)と広瀬慎之介(坂口涼太郎)の悪巧みでピアノバトルに無理矢理参加させられる湊人は、留学中のトラウマが蘇り、演奏を中途で放棄してしまう。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

ピアノに打ち込んできた音大生の樋口湊人が留学先で挫折して帰国した後、内藤雪乃の弾く未知の曲に魅せられてピアノに対する情熱を取り戻す物語。ミュージシャンのジェイ・チョウ(周杰倫)が監督・脚本・主演を務めた映画『言えない秘密(不能說的·秘密)』(2007)の翻案という。
湊人の父・透は青葉音大の傍で喫茶店を営んでおり、その店名は「POLONAISE」である。本作のモティーフの1つとなっているフレデリック・ショパン(Frédéric Chopin)(出身はポーランド)の「英雄ポロネーズ」などからの連想であろう。尤も、透は音楽を嗜んでいた訳ではなく、現在趣味で演奏しているのは、息子の影響だという。
湊人という名前に着目したい。(ピアノを)奏でる人にさんずいが付されている。さんずいは涙を示すのではないか。悲しみのために奏でる人が湊人なのではなかろうか。湊人がピアノを始めたきっかけについては作中で明かされようが、ここで注目したいのは、母親の不在である。湊人が急遽留学先から帰国しても単身赴任先から戻って来ることはない。息子が音楽家になるために必要な費用を賄う必要もあろうが(この点については作中で言及される)、何より仕事を生き甲斐としいるのではなかろうか。そのために湊人は幼い頃から、母親の不在を埋め合わせるためにピアノに打ち込んできたと考えられるのである。留学先の指導者がピアノに向いていないと指摘するのは、彼のピアノに対する消極的な姿勢を見抜いたからではなかろうか。

(以下では、結末に関わる事柄についても言及する。)

雪乃は湊人と同学年であるが、2002年から2023年にタイムリープしている(雪乃がスマートフォンを持っていないのは当時存在しなかったためである)。実は雪乃は湊人の21歳年上に当たる。これは母親と息子ほどの年齢差に相当しよう。湊人が母親の空白を埋め合わせるのが、雪乃(この名前は白を連想させる)なのだ。
擬似的な母親と息子との恋愛関係は、ファンと年の離れたアイドルとの関係とのアナロジーともなる。「みなとの前ではただの女の子でいたかった」と雪乃が吐露するのは、まさに年齢差のあるファンの心理表明ではなかろうか。どこか現実から遊離するような不思議な魅力を放つ古川琴音は、年齢を超越したアヴァターとしての雪乃にうってつけのキャスティングであったと言わざるを得ない(ピアノの演奏も含め見事な演技の古川琴音が作品を成り立たせた)。
そして、若い燕・湊人はうら若きひかりには目もくれず、雪乃とのロマンスに没頭するのである。
雪乃と湊人の連弾は、美しく、エロスに溢れる。SEXそのものと言い切ってしまってもいい。それほど見事であった。説明的な科白や演出、調子外れのコメディ要素、季節感の無さなどの欠点を――帳消しにはできないまでも――補って余りある。あのシーンが描ければ、あとはどうでも良かったのかもしれない。
もはや明らかであろう。「言えない秘密」とは、実は母子の近親相姦的関係のことであり、禁忌であるが故に口に出来ないのだ。


『言えない秘密』の主演の男女を逆転させたとも評し得るのが、年の差男女の擬似的恋愛を描いた映画『恋は雨上がりのように』(2018)。文字通り雨上がりの爽やかな気分を感じさせる作品であり、是非にお薦めしたい。