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芸術鑑賞の備忘録

映画『Shirley シャーリイ』

映画『Shirley シャーリイ』を鑑賞しての備忘録
2020年製作のアメリカ映画。
107分。
監督は、ジョセフィン・デッカー(Josephine Decker)。
原作は、スーザン・スカーフ・メレル(Susan Scarf Merrell)の小説。
脚本は、サラ・ガビンズ(Sarah Gubbins)。
撮影は、シュトゥルラ・ブラント・グロブレン(Sturla Brandth Grøvlen)。
美術は、スー・チャン(Sue Chan)。
衣装は、アメラ・バクシッチ(Amela Baksic)。
編集は、デビッド・バーカー(David Barker)。
音楽は、タマール=カリ(Tamar-kali)。
原題は、"Shirley"。

 

ローズ・ネムザー(Odessa Young)が車中でシャーリー・ジャクソン(Elisabeth Moss)の小説「くじ」を読んでいる。ローズが笑みを浮かべる。隣に坐る夫フレッド・ネムザー(Logan Lerman)に洩らす。みんなが彼女に向かって石を投げるのよ。シャーリーの小説を読んでるのかい? 町中の人たちがね、自分の子供さえ。ぞっとするね。ぐっとくるわ。ローズはフレッドの左の太腿に手を伸ばし、擦って刺激する。2人は化粧室に移動すると口付けを交わす。ローズが夫のパンツを慌ただしく下ろし、フレッドは妻のスカートを捲り上げ、立ったまま後ろから妻を突き上げる。身繕いのために残ったローズは鏡で自分の姿を確認する。
バーモント州ベニントン。列車を降りたローズとフレッドは徒歩でベニントン大学の文学教授スタンリー・エドガー・ハイマン(Michael Stuhlbarg)の邸宅に向かう。パーティーが催され、多く人が集まっていた。地の果てなんぞによく来たもんだな。お会いできて光栄です。スタンリーはフレッドと抱擁を交わすと、連れのローズを見る。美しい女性はどちら様かな? ハイマン教授ですね。スタンリーで構わん。教授はお借りすると言ってフレッドを連れて行く。ローズは土産のパイをテーブルに置くと、人集りに近付いた。椅子に坐ったシャーリーが語っていた。重い足取りで丘を登りながら背中を、足を、人類を、全てを呪った。『ニューヨーカー』が掲載した最も酷評された物語。イサーク・バーベリの流れを汲んだ反ユダヤ主義の寓話と言えませんかね。1人がコメントする。妻を反ユダヤ主義と言い表すのはいかがなものかね。スタンリーがやって来て口を挟んだ。公平に言って、妻は私と結婚するまでユダヤ人を1人として憎んだことはないんだ。素晴らしい日々だったろう? チーズバーガーを食べに行こうって。そんな誘い、応じない訳にはいかないでしょ。彼は私の物語を徹底的に批判したの。おまけに財布をなくしたって言うのよ。20年以上経ってるけど未だに見つかってないわ。あの物語は私が読んだ中で最も素晴らしい作品でね、その書き手の女性と結婚することは必定だと。僕たちの苦しみに、乾杯。その物語はスコッチが足らないわね。で、シャーリー、今は何を書いてるんだい? 1人が尋ねる。短編小説よ、『余計なお世話』って題の。
シャーリーが、片手にグラス、片手に火の点いた煙草を持ち、よろよろと階段を上っていく。すいません、私、ローズ・ネムザーです。あなたが誰だろうとどうでもいい。新学期からハイマン教授の助手をするフレッド・ネムザーの妻です。落ち着き先が見つかるまで滞在するよう招かれたんです。シャーリーがローズを見つめる。妊娠を隠してたの。誰にも話していません。いくつか作品を読みました。「くじ」を読んでゾクゾクしました。何も言わずシャーリーが自室に引き上げる。
与えられた部屋で夫婦の営みを終えたローズが服を身に付ける。
朝。シャーリーはベッドに横たわったまま煙草を吸う。
ベニントン大学の階段教室。ハイマン教授はしばし軽快な音楽を聞かせる。剽軽な仕草をしながら満場の学生たちをにこやかに眺める。レコードを停める。レッドベリー。ハディー・レッドベター。『神話と民話』の講義。担当のスタンリー・ハイマンだ。これから12週間に渡って神々の高みに昇り、人間の奈落の底に身を落ちる冒険を勇敢にも率いることになる。ハイマン教授は即座に学生たちの心を摑んでいた。
フレッドが講義を終えたハイマン教授を前にローズに凄いだろうと言う。素晴らしかったです。講義が重なっていなければと残念に思います。他の学期があるさ。頼みがあるんだがね。何です? シャーリーが病気で家事や買い物がままらないんだ。家政婦も辞めてしまってね。腰だか肺だかが悪くて。痛風かもしれん。ちょっと台所の片付けだけでもしてくれると助かるんだけどね。洗濯や料理も。何も君を家政婦にしようとしている訳じゃない。ただどうにも困っていてね。聴講の合間で構いませんか? 無論、宿泊費と食費は負担するよ。そんな。もちろん支払うよ。滞在先が決まるまで家に留まってくれないかな。教授が2人から離れる。今晩はビーフステーキはどうだ? 暑いときこそ熱々を頬張りたい。本当に困ってるみたいだよ。ちょっと楽しそうじゃない? フレッドは妻が引き受けてくれるものと思っている。困惑するローズ。まあ、断るのもありだけどね。
ローズは1人で帰宅する際、キャンパスで失踪した女子学生ポーラの貼り紙を目撃する。

 

1940年代末のアメリカ合衆国バーモント州ベニントン。ローズ・ネムザー(Odessa Young)は夫で駆け出しの文学研究者フレッド・ネムザー(Logan Lerman)とともにベニントン大学文学教授スタンリー・エドガー・ハイマン(Michael Stuhlbarg)の邸宅を訪ねる。フレッドは新年度からハイマン教授の助手を務めるのだ。ハイマン教授の妻シャーリー・ジャクソン(Elisabeth Moss)は短編小説『くじ』で話題を攫い、ローズも作品にすっかり魅了されていた。だがシャーリー自身は酒と煙草が手放せず、執筆も遅々として進まないまま家に引き籠もっていた。気難しく攻撃的な性格のため家政婦も皆辞めて手を焼いていたスタンリーは、若く美しいローズに家事を手伝うよう求める。夫の上司の依頼を断ることもできず、ネムザー夫妻は新居が見つかるまでハイマン邸に滞在することになった。ローズはフレッドに黙っていた妊娠を、しかも婚前交渉によるものとシャーリーにばらされ激昂する。ローズはフレッドに必死に宥められ、住み込み家政婦もどきの生活に耐え忍ぶことにする。ローズはシャーリーの部屋で原稿を目にして、失踪した女子学生ポーラをテーマに次回作を準備していることを知る。シャーリーはその草稿に「絞首人」との題名を与えていた。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

ローズは妊娠により夫のフレッドが自分に興味を失うのではないかと恐れている。ハイマン教授の助手としてフレッドは女学生たちに囲まれるのだ。実際、フレッドはシェイクピア倶楽部に顔を出すと言っては遅くなり、ローズの身体を求めなくなるようになる。ローズは、妻になり、母になり、家政婦になる。ローズは何処へ行ってしまったのか。誰もローズを認識しなくなる。
シャーリーは次回作を、失踪した女学生ポーラに取材することにしていた。ポーラは行方不明になることで逆接的に人々にその存在を認識されることになる。否、人々にその存在を認めて貰うために行方を晦ましたのだ。シャーリーは女子学生の失踪を、そう読み解いてみせる。
娘から、妻、そして母へ。ローズは女性の辿るべきとされている道を歩んでいる。その道から外れるなら、ローズもまた失踪者として「ローズ」の存在が浮かび上がるだろう。シャーリーの中で、ローズとポーラとは重ね合わされたのだ。シャーリーと次第に連帯していくローズもまた、その考えを共有するだろう。
ローズに対して過剰なスキンシップをとるハイマン教授ではなく、いかに自分の上司とは言え、教授の好きにさせておくフレッドに対する不信を抱く。ローズであるためには崖の上から身を投げるしかないのか。ローズが人生の手綱を自ら握ることは可能であるのか。
シャーリーは周囲から魔女と目され、また自らそれを認めてもいる。魔女とは異端であり、男性(社会)の思い通りにならない者に貼られるレッテルでもある。「魔女」として覚醒するとき、ローズもまた自らの道を切り拓くことができるであろう。
シャーリーの文学と「現実」とが重ね合わされる。ローズとともにその世界に分け入り、読み解いていくことになる。列車の中でのセックス、行為後に1人鏡の中の自らを見つめるローズ(靄がかかり曖昧となるイメージ)、キャンパスで媚態を示すような女子学生たち、籠の中の鳥。映画ならではのイメージもふんだんだ。文学好きの向きにはとりわけ面白く感じられるだろう。
冒頭でハイマン教授が『マクベス』に言及した。