可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『先生の白い嘘』

映画『先生の白い嘘』を鑑賞しての備忘録
2024年製作の日本映画。
117分。
監督・編集は、三木康一郎
原作は、鳥飼茜の漫画『先生の白い嘘』。
脚本は、安達奈緒子
企画・プロデュースは、稲垣竜一郎。
撮影は、板倉陽子。
照明は、疋田ヨシタケ。
録音は、原川慎平。
美術は、小林蘭。
装飾は、岩本智弘。
スタイリストは、渡邊奈央
ヘアメイクは、千葉友子。
音響効果は、井上奈津子。
編集は、三木康一郎
音楽は、コトリンゴ

 

人間を2つの分けたとして、必ずどちらかが少しだけ取り分が多いと私は感じている。例えば女と男。私はいつも少し取り分が少ない方にいる。
原美鈴(奈緒)が大衆的な居酒屋のテーブルに1人坐り、割り箸を割った。美鈴! 渕野美奈子(三吉彩花)が店に姿を現わした。ごめん、電車1本逃しちゃってさ。大丈夫。美奈子が隣に坐る。あとさ、急でゴメンなんだけど、早藤君連れて来ちゃった。えっ? 久しぶり。早藤雅巳(風間俊介)が美鈴に挨拶する。いいよいいよ、坐って。美奈子が早藤にビールでいいと確認し、店員を呼ぶ。すいません、ビール2つ。
だから美鈴は損してるから。だってさ、素材がいいのに勿体ないよ。ブラとかちゃんとフィッティングしてる? 本当はもっと胸大きいかもしれないじゃん。今いいよ、そういう話。あっ、今、美鈴の胸見たでしょ。美奈子飲み過ぎ、原さん困ってるよ。私は別に。そんなことないよね。あと、メイク。肌と髪は綺麗なんだからさ。ちゃんとしないと男の人にモテないよ。馬鹿だなあ。何が? 男はさ、原さんみたいに自分の魅力に気付いてない女の子にグッときたりするもんなんだよ、意外と。そんなことより本題なんだけど。美鈴の隣にいた美奈子が早藤の隣の椅子に坐り直し、左手の婚約指輪を見せる。私たち結婚するの。…そうなんだ。それで式の日取りいつにしようかって早藤君と相談してて。美鈴の意見も聞いておきたくて。だって親友だし。…親友。なんか元気なくない? そんなことないよ。…美奈子、おめでとう。ありがとう。すいませーん、これのお代わり!
大丈夫。こんなことは何でもない。月曜になれば私はいつも通り学校へ行く。
美鈴が自転車で坂を下る。都立桜丘高校の門を抜け、自転車を停めて職員室へ。廊下を歩いて教室に向かう。学級委員の号令で生徒が起立する。気を付け! 礼! おはようございます! 着席!
私は先生。女も男も関係ない。
それでは、授業を始めます。
桜の季節。教室で美鈴が漱石の『こころ』を朗読している。「私がKに向って、この際何んで私の批評が必要なのかと尋ねた時、彼はいつもにも似ない悄然とした口調で、自分の弱い人間であるのが実際恥ずかしいといいました。そうして迷っているから自分で自分が分らなくなってしまったので、私に公平な批評を求めるより外に仕方がないといいました」。「悄然」の意味は分かる? 新妻祐希(猪狩蒼弥)が隣の女子生徒から、置き忘れてあったスマートフォンを和田島直人(井上想良)に回すよう頼まれる。新妻は取り損ねてスマートフォンを落としてしまう。慌てて拾おうとしゃがみ込むと、彼女のスカートの中が目に入ってしまった。新島の姿勢を見た生徒に茶化される。新妻、勃ってんじゃねえ? 教室中がどっと沸く。思わず新妻が言い返す。勃ってないよ! だって俺、勃たないから! 意外な発言に教室がざわつく。静かに、授業中でしょ! 新妻が教室を出て行く。新妻君? …すいません、トイレです。女じゃ駄目ってこと? スマートフォンを渡してもらった和田島が茶化す。みんな、スマホしまってね。
職員室。美鈴がホットドッグに付けようとしたケチャップを飛び散ってしまった。指についたケチャップを舐めるが味がしない。窓からは花壇で1人スイセンの手入れをする新妻の姿が見えた。そのとき電話が鳴る。原先生、外線2番に電話です。美鈴が受話器を取る。俺だけど、分かるよね。
化学室。和田島が三郷佳奈(田辺桃子)の服を脱がせて胸を揉む。もう終わり。いーじゃん、最後までやらせろよ。初めては運命の人にあげたいから。ドSだな。やらせてくれないなら何でこういうことさせんの。だって何でも言うこと聞いてくれるじゃない。イヤならもういいよ。イヤじゃない、俺、何でもするからさ。じゃあ、新妻君の誤解を解いてあげてよ。化学室のベランダに出ると、花壇にいる新妻の姿が見えた。新妻君、普通に女の人好きだよ。中学同じだったの。この前、かなり年上の女の人とホテルから出て来るの見たよ。その辺の女じゃ勃たねえってこと? そういうの誤解されたままだと可哀想じゃない?
学校の傍らに駐まっている修和ハウジング北町支店と記載のある商用車。車内では早藤が美鈴の股間に顔を埋めている。声出していいよ。本当に授業にいかないとまずいから。こんなとこでパンツ脱いでんのお前だろ。…美奈子にバレたらどうするの? は? 何それ? 脅してるつもり? バレたところで美奈子はあんたに誑かされたって思うだろ。美奈子は幸せのためなら白でも黒にしちゃうから。生意気するから、お宝写真の刑だな。脚開け。開けって言ってんだよ! 早藤がスマートフォンを美鈴の秘部に向けて構える。アソコはやる気まんまんだよ。早藤が写真を撮る。
三郷が教室に行くと、黒板にでかでかと落書きされていた。「新島君は勃たなくなんかない! 人妻とラブホ熱愛中!」 名誉挽回しといたからな。得意気な和田島。やり方が馬鹿。ぼやく三郷。
お帰り。帰宅した早藤を美奈子が迎える。マジで酔ったわ。ご飯あるよ。マジで1ミリも受け付けねえわ。ねえ、今日もしないの。疲れてんだよ。最近ずっとしてないよね。疲れてないの何時なの? そういう風に女に迫られるとか、引くんだよね。じゃあ今から私がしてあげるね。美奈子が早藤のベルトを外してパンツを下げようとする。いいんだよ美奈子はそんなことしなくても。髪をクシャクシャにして撫でると早藤はシャワーを浴びに行く。美奈子「は」? 残された美奈子が訝しがる。

 

原美鈴(奈緒)は高校の国語教諭。親友の渕野美奈子(三吉彩花)から、美奈子の父が常務取締役を務める修和ハウジングの早藤雅巳(風間俊介)との婚約・結婚を報告された。美鈴はおめでとうと口にするが、とても祝える心境ではなかった。美奈子は気付いていないが、6年前、美奈子の引っ越しを手伝った際、美鈴はやはり手伝いに来ていた早藤からレイプされて以来、呼び出されては性慾の捌け口にされていた。
美鈴が担任を務めるクラスの新妻祐希(猪狩蒼弥)が人妻とラブホテルに行ったとの噂が拡がる。同僚の教師(吉田宗洋)から何も無かったと言わせて落着させればいいと言われ、美鈴が新妻と面談する。噂なんて信じないという美鈴に、意外にも新妻はアルバイト先の花屋の奥さんとホテルに行ったのは事実だと言う。本当じゃ困るのよ! 思わず激昂する美鈴に、本当の話をしないならこの時間は無意味だと言い返される。そのとき、電話が鳴る。早藤からの呼び出しに違いなかった。電話に出ないでいると、早藤から美鈴の性器を映した写真が送られてきた。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

美鈴は6年前に親友の美奈子の恋人・早藤にレイプされて以来、早藤に呼び出されては性慾の捌け口とされていた。暴力で捩じ伏せられ疵物にされた弱者として自己規定する美鈴は、強者である早藤に対する恨みを蓄積させながらも、彼の意のままになっている。
美鈴が担任を受け持つ生徒の新妻が人妻とホテルに行っていたという噂が立った。美鈴に呼び出された新妻は噂が事実であると認めた上、アルバイト先の奥さんに無理矢理求められて、女性器が怖くなり、勃たなくなったと告白した。美鈴は男なら力で拒絶できたはずだと主張するが、新妻から暴力には精神的なものもあると言い返される。
美鈴は早藤に対するルサンチマンから、男が強者で女は弱者であるという枠組みに囚われていた。しかも美鈴は教師であり、対生徒の関係では自らが強者であるということにも気付いていなかった。だが、年上の女性からホテルに行った以上最後までと迫られたとき、逃げられたのに逃げないでそこに居続けたのは何でなのかという新妻が自らを責める心情を吐露したことが、美鈴に気付きを与えることになる。女である美鈴と同じ状況に追い込まれた新妻という男がいたということは、男性が強者で女性が弱者であるという関係が、女性が強者で男性が弱者であるという関係に反転可能だと。「私の敵は」自らを思考の枠組みに閉じ込めていた「私なの」であった。

(以下では、後半の内容についても言及する。)

美鈴は早藤が勃たない状況を作ることで、隷従からの解放を模索する。怯えてる女じゃないと欲情しないんでしょ、辛いのはそっちも同じなんじゃないの。いつものように呼び出しに応じたとばかり思っていた美鈴からの思わぬ発言に早藤は狼狽え、ヤる気が失せたと立ち去った。
服従しない美鈴に対し早藤は性器の写真を拡散すると脅す。だが美鈴はばらまけばいいと動じない。男性器のように機能しないということがなく、受け容れたくないものも含めて全てを受け容れてしまう女性器を見るように促す。これは美鈴が見られる(撮られる)という受動的立場から見せるという能動的立場へ転換したことの象徴である。美鈴は知らずにアナ・スロマイを実現したのである。そして、早藤が美奈子との間に作った子のためにも、赦しを与えると宣言する。
だが立場の逆転を受け容れられない早藤は暴力により美鈴を屈服させようとする。早藤は顔面を殴り着けたのだ。6年半前に下の口から出血させた男は、今度は上の口から出血させたのだ(ここにも倒立がある)。だが過去の美鈴とは異なり、現在の美鈴は暴力に屈することはない。痛みでも幸福と思い込むと女をせせら笑ってきた早藤は自らの卑小さ、愚かさを自覚させられることになる。
美鈴は顔面の怪我の完治を俟たず学校に復帰する。傷を隠すのではなく、晒すのは、自らの受けた傷を自らの問題として抱え込まなくなったことを意味する。割れ目であり傷にも擬えられる女性器(陰部)はここで「陽」に転換されているのだ。
主演の奈緒の美鈴は素晴らしいが、とりわけ風間俊介が徹底的に悪役に成りきったことで引き立てられた。早藤には――美奈子との関係で――もう少し魅力的な側面が描かれていると良かった。美奈子が彼に入れあげる理由が今一つ分からなくなってしまうからだ。あるいは美奈子こそ畏るべき人物として造型したかったのであろうか。
片岡礼子が一瞬だけ登場した。早藤の母役か。
美鈴が鬱病の症状のために味が分からなくなっていたが、新妻の存在により味覚を取り戻すというエピソードがいい。
前半では美鈴は坂を下り、後半では美鈴は坂を上る。両者の差異も利いている。
美鈴の庭に生える木は蘇鉄ではなく棕櫚であった。棕櫚は勝利の象徴である。