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芸術鑑賞の備忘録

映画『朽ちないサクラ』

映画『朽ちないサクラ』を鑑賞しての備忘録
2024年製作の日本映画。
119分。
監督は、原廣利。
原作は、柚月裕子の小説『朽ちないサクラ』。
脚本は、我人祥太と山田能龍。
撮影は、橋本篤志
照明は、打矢祐規。
録音は、小松崎永行。
美術は、我妻弘之。
装飾は、大和昌樹。
編集は、鈴木翔と原廣利。
音楽は、森優太。

 

夜。三河湾岸にある工場。フードを被った人物が川の水を張った業務用シンクにコートを着た女性の頭を沈める。必死に顔を上げる彼女の頭を再び水中に押し入れる。彼女が動かなくなるまで動作を繰り返した。
フードの人物は上野川上流に架かる橋まで遺体を運び川に突き落とす。手を合わせ祈りらしき言葉を唱える。桜には堅い蕾が付いている。辺りに霧がかかった。
愛知県警本部。総務部広報広聴課では職員総出で電話対応に当たっている。確認でき次第、すぐに公表させて頂きます。課長の富樫隆幸(安田顕)も受話器を取らざるを得ない。だが森口泉(杉咲花)だけは自分の席で放心状態だった。
2月25日。平井市内で女子大生の長岡愛梨(新谷ゆづみ)が殺害された。神社の神職・宮部秀人(篠原悠伸)によるストーカー行為がエスカレートしての犯行だった。平井中央署は両親からのスト-カー被害の届け出を受理していなかった。平井中央署は職員が多忙を極めていたためとの説明を繰り返していたが、米崎新聞社のスクープで生活安全課の職員が慰安旅行に出かけていたことが判明したのだ。
いつまで続くんだ。平井中央署はやらかしてくれたよな。スクープした新聞社は浮かれてるだろ。やはり内部から漏れたんですかね? それ以外考えられないだろ。課の面々がぼやく。飯入れよう。お前さんもどうだ? 富樫課長から昼食を誘われるが、泉はお弁当があるのでと断った。親友で米崎新聞社記者の津村千佳(森田想)から話があるから会えないかと連絡が入った。先日、千佳と会ったときの記憶が蘇る。
泉は千佳を部屋に招いて高校時代の写真を見て笑っていた。泉に会うと元気が出るって言ってた年下の磯川俊一(萩原利久)君とはどうなの? 慰安旅行のお土産にこれもらった。泉が菓子を出す。旅先でも泉のこと思ってたわけだ。そういえば慰安旅行っていつ? 2週間前かな? その時期ってさ…。千佳、ゴメン、忘れてくれない? 私からバレたなんてことになったら、私立場弱いのに。記者に会ってるだけで不味いのにさ。分かった、約束する。会えなくなるの困るしさ。乾杯しよう。
平井中央署。入口には大勢の報道関係者が集まって、署員にカメラやヴォイスレコーダーを向けていた。生活安全課の磯川俊一が窓辺に立ってその様子を眺めていた。こんな状態じゃデートもできないって顔してるわね。ベテランの女性職員の高田彰子(山野海)が茶化す。誰かさんのせいで偉いことになった。男性職員の松田は辺見学(坂東巳之助)がリークしたものと信じて疑わない。どんな人に対しても真摯な辺見さんに限ってあり得ません、何かの間違いですよ。だったら本人に訊きゃいいだろ。こんなとこでこそこそ話してたら密告者だって疑われちゃう。
夜。三河湾に面した道路沿いのレストラン。千佳が泉に訴える。私だってびっくりした。本当に違う。信じてよ。スクープで挽回したかったのは認めるよ。でも、友達売ると思う? 自分のことだけならないと思う。でもデスクの兵藤洋(駿河太郎)さんのためなら分からない。だから妻子持ちは止めなって言ったんだよ。違うって、信じてよ。信じたいけど…。私が約束破ったことある? 千佳が珈琲代を置いて立ち上がる。疑いは絶対晴らすから。そのときは謝ってよ。泉を置いて千佳が出て行く。千佳が頭を抱える。千佳が車を出す。
泉は部屋のカウチに横たわり、千佳に言い過ぎたと謝るメッセージを打ち出したが、思い返して消した。
磯川が平井中央署に向かうと、待ち構えていた報道陣に囲まれる。お話お願いします!
磯川が生活安全課に着くと、窓辺に辺見が立っていた。おはようございます。…辺見さん? …ああ、おはよう。次々と職員が職場に姿を現わす。
愛知県警。総務部広報広聴課。上層部もおかしいよ。署長更迭すりゃ済む話なのに。職員が愚痴る。情報の出所が分からないうちは処分の方針も立てられないんだろうな。富樫課長が宥めるように言う。そのときサイレンの音がして、数台のパトカーが緊急出動した。富樫課長が刑事部捜査一課課長の梶山浩介(豊原功補)に電話する。梶山か。騒々しいんだが、何かあったか? …そりゃ確かか? …分かった。詳しいことが分かったら教えてくれ。平井市の上野川でホトケがあがった。県警記者クラブ所属の米崎新聞社記者・津村千佳だそうだ。

 

愛知県平井市内で女子大生の長岡愛梨(新谷ゆづみ)が殺害された。彼女にストーカー行為を繰り返していた神社の神職・宮部秀人(篠原悠伸)が逮捕される。平井中央署がスト-カーの被害届を受理していなかった上、米崎新聞社のスクープで担当の生活安全課職員が慰安旅行に出かけていたことが発覚した。愛知県警には苦情の電話が殺到、総務部広報広聴課は課長の富樫隆幸(安田顕)以下総出で対応に当たった。森口泉(杉咲花)は親友で米崎新聞社記者の津村千佳(森田想)に県警の後輩・磯川俊一(萩原利久)との恋愛関係の進展を問われた際、彼が慰安旅行に行ったことを口にしてしまう。磯川は平井中央署生活安全課の所属だった。千佳は妻子ある兵藤洋(駿河太郎)と不倫関係にあり、米崎新聞社デスクの彼の名誉挽回を図って情報をリークしたものと疑った。疑いを晴らすと泉に言い残した千佳が遺体となって発見された。富樫課長は、県警記者クラブ所属だった千佳に面識があり、泉と親しいことも知悉していた。富樫課長は通夜に参列した後、千佳から事情を聞き出すと、刑事部捜査一課課長の梶山浩介(豊原功補)に被疑者として取調べを受けさせる。梶山は鑑識結果から他殺と断定し、周辺人物を洗うとともに、Nシステムから千佳が訪れた小先市に何があるのか探っていた。泉は千佳を疑ったために死に追いやったと悔悟するが、千佳の母親・津村雅子(藤田朋子)にその経緯を伝えることができない。千佳の死の真相を探ろうと悲壮な決意をする泉に、磯川が協力を申し出る。磯川は署内でリークを疑われている辺見学(坂東巳之助)と交際していた臨時職員の百瀬美咲が契約期間中に突然解雇され、小先市にある実家に戻ったことを知る。泉と磯川は百瀬を訪ねると、父親(諏訪太郎)から娘が亡くなったと知らされた。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

ストーカー被害の届け出を多忙を理由に受理しなかった平井中央署の生活安全課の職員が慰安旅行に出かけていたことが米崎新聞にスクープされる。県警広報広聴課所属の泉は、磯崎との関係を問われて洩らした慰安旅行の内容を、親友で米崎新聞社記者の千佳が記事にしたのではないかと疑う。千佳は同社デスクの兵藤の不倫していたためだ。疑いを晴らすと言い残した千佳が殺害される。自責の念に駆られた泉は事件の真相を自ら探ろうとする。亡くなる前の千佳は小先市に脚を伸ばしていた。平井中央署生活安全課でリークを疑われている辺見の交際相手で、退職した臨時職員の美咲の実家があった。千佳が磯崎とともに訪ねると、美咲が自殺していたことが判明する。兵藤は秘匿していた情報源が美咲であったことを認めた。
自らの言動が親友の死を招いたと鬱ぐ泉に、広報広聴課課長の富樫は公安部所属当時、現在は「ヘレネス」と名を変えて存続する宗教団体を監視していた際、リンチされた信者を救い出したことから警戒され、結果として同団体による毒ガステロ事件が早期に実行されてしまったと悔やんでいると告白した。
泉は千佳の遺留品にあったおみくじがストーカー殺人犯・宮部の実家の神社のものと考え訪れた。境内に「ヘレネス」の小祠を見つける。

(以下では、中盤以降の重要な内容についても言及する。)

ベテラン刑事が「サクラ」と呼ぶ公安は、発生した事件をに対して事後的に対処する刑事と異なり、事件の発生そのものを未然に防ぐことを使命とする。そのために監視対象の組織に「S」と呼ぶ情報提供者を作り、資金提供・安全確保と引き換えに情報を得ている。その事実は絶対に秘匿される。
100人の命を救うためには1人の命の犠牲はやむを得ない。量的功利主義的主張を当然とする公安は、「S」とのパイプを維持するためには手段を選ばない。それは救急救命医療従事者のトリアージに類するが、公安の場合、事件発生の未然の防止という観点から、危険はより抽象化される嫌いがある。抽象的な危険を回避する目的のために目の前の命をどこまで犠牲にできるのか。できるとしても実行するに至る際の危険の発生の切迫性、結果回避の必要性、手段の許容性などの要件判断は容易ではない。

(以下では、結末に関する内容についても言及する。)

富樫は毒ガステロ事件における教訓を踏まえ、比較的緩やかに危険源の除去を判断する。他方、泉は友人の死を突き付けられ、富樫の判断に疑義を呈することになる。千佳の遺した問いは、在原業平の和歌のように「サクラ」が存在しなければ人々はより穏やかに過ごせるのかであった。トロッコ問題が作品の中核にある。